安倍あべ 豊造とよぞう(あべ とよぞう、1891年ねん - 1979年ねん)は日本にっぽんホーリネス教会きょうかいの牧師ぼくし、戦後せんごは日本にっぽん基督教きりすときょう団だんホーリネスの群ぐんの牧師ぼくし。
秋田あきた県けん鹿角かづの郡ぐん宮川みやがわ村むらに生うまれた。幼少ようしょうの頃ころは、医師いしになることを目指めざした。秋田あきた県けん小坂こさか町まちの東洋とうよう宣教せんきょう会かいの伝道でんどう館かんで大沢おおさわ豊助とよすけによって入信にゅうしんした。
後のちに、柏木かしわぎ聖書せいしょ学院がくいんに入学にゅうがくして、卒業そつぎょう後ごに日本にっぽんホーリネス教会きょうかいの伝道でんどう者しゃとして、福島ふくしま、青森あおもり、千葉ちば、仙台せんだい、東京とうきょうで働はたらいた。1933年ねんのホーリネス分裂ぶんれつ事件じけんの際さいには委員いいん側がわに加くわわり、1936年ねんの和協わきょう分離ぶんり後こうは日本にっぽん聖教せいきょう会かいの牧師ぼくしになった。
1937年ねん6月がつに日本にっぽん聖教せいきょう会かいの東京とうきょう都と中野なかの区くの更生こうせい教会きょうかいの牧師ぼくしに就任しゅうにんした。1941年ねん日本にっぽん基督教きりすときょう団だん第だい6部ぶの牧師ぼくしになる。1942年ねん6月がつホーリネス弾圧だんあつ事件じけんの時ときには、2年間ねんかん拘禁こうきんされた。政府せいふによって牧師ぼくしを辞職じしょくさせられ、1943年ねん4月がつ教会きょうかいは解散かいさんさせられる。1945年ねん5月がつの米べい軍機ぐんきの空襲くうしゅうによって、会堂かいどうは消失しょうしつする。
戦後せんごそれらの体験たいけんを著書ちょしょ『受難じゅなんの記録きろく』にまとめる。戦後せんご更生こうせい教会きょうかいを再建さいけんする。そして、日本にっぽん基督教きりすときょう団だんホーリネスの群ぐんの牧師ぼくし、更生こうせい教会きょうかいの発展はってんのために長年ながねん仕つかえ、1973年ねん4月がつ引退いんたいを表明ひょうめいして、名誉めいよ牧師ぼくしになる。