服部はっとり 正次まさつぐ(はっとり しょうじ、1900年ねん5月28日にち - 1974年ねん7月がつ29日にち)は、日本にっぽんの経営けいえい者しゃ。服部はっとり時計とけい店てん(現在げんざいのセイコー)社長しゃちょうを務つとめた。
東京とうきょう都と出身しゅっしん[1]。1924年ねんに慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく経済学部けいざいがくぶを卒業そつぎょうし、同年どうねんに服部はっとり時計とけい店てんに入社にゅうしゃ[1]。1929年ねんに取締役とりしまりやくに就任しゅうにんし、1946年ねん5月には社長しゃちょうに就任しゅうにんした[1]。1954年ねん3月からは第だい二に精せい工こう舎しゃ会長かいちょうも務つとめた[1]。
1962年ねんに藍綬らんじゅ褒章ほうしょうを受章じゅしょうし、1970年ねん11月に勲くん二に等とう瑞宝章ずいほうしょうを受章じゅしょう[1]。
1974年ねん7月がつ29日にち、胃いがんのために死去しきょ[2]。74歳さい没ぼつ。
父ちちは服部はっとり時計とけい店てん創業そうぎょう者しゃの服部はっとり金太郎きんたろう。妻つまの智子さとこは三共さんきょう創業そうぎょう者しゃ塩原しおばら又また策さく三さん女じょ。服部はっとり一郎いちろう元もとセイコーインスツル社長しゃちょうは長男ちょうなん。服部はっとり靖夫やすおセイコーエプソン名誉めいよ会長かいちょうは三男さんなんで、その妻つま久美子くみこは小島こじま太作たいさく元もと駐ちゅうインド大使たいしの娘むすめ[3]。