(Translated by https://www.hiragana.jp/)
「礼拝」の版間の差分 - Wikipedia コンテンツにスキップ

礼拝れいはい」のはんあいだ差分さぶん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除さくじょされた内容ないよう 追加ついかされた内容ないよう
Evangelical (会話かいわ | 投稿とうこう記録きろく)
Kliment.A.K. (会話かいわ | 投稿とうこう記録きろく)
追加ついか
4ぎょう: 4ぎょう:
かみたいする奉仕ほうし行為こうい。または、その行為こうい対象たいしょうかみではなくて、かみ奉仕ほうしするための儀礼ぎれい一般いっぱんのような間接かんせつてき行為こういすこともある。[[プロテスタント]]教会きょうかいでは、[[おおやけどう礼拝れいはい]]、[[家庭かてい礼拝れいはい]]、個人こじん礼拝れいはい([[ディヴォーション]])が礼拝れいはいばれるが、おおくは[[おも]]のおおやけどう礼拝れいはいしてわれる。[[カトリック教会きょうかい]]においては普通ふつう、[[典礼てんれい]]のことをすが、個人こじんてき行為こうい場合ばあい典礼てんれい区別くべつされる。[[正教会せいきょうかい]]においては[[たてまつかみあや]]のことをすが、カトリック教会きょうかいことなり個人こじんてき祈祷きとう正教会せいきょうかいたてまつかみあやにはふくまれることおおい。
かみたいする奉仕ほうし行為こうい。または、その行為こうい対象たいしょうかみではなくて、かみ奉仕ほうしするための儀礼ぎれい一般いっぱんのような間接かんせつてき行為こういすこともある。[[プロテスタント]]教会きょうかいでは、[[おおやけどう礼拝れいはい]]、[[家庭かてい礼拝れいはい]]、個人こじん礼拝れいはい([[ディヴォーション]])が礼拝れいはいばれるが、おおくは[[おも]]のおおやけどう礼拝れいはいしてわれる。[[カトリック教会きょうかい]]においては普通ふつう、[[典礼てんれい]]のことをすが、個人こじんてき行為こうい場合ばあい典礼てんれい区別くべつされる。[[正教会せいきょうかい]]においては[[たてまつかみあや]]のことをすが、カトリック教会きょうかいことなり個人こじんてき祈祷きとう正教会せいきょうかいたてまつかみあやにはふくまれることおおい。


かみのみにみとめられる最高さいこう礼拝れいはい行為こうい英語えいごまたはラテン語らてんごで latria とう。latria はギリシャ {{lang|el|λατρεία}} に由来ゆらいし、'''やとわれた労働ろうどうしゃ状態じょうたい'''や'''奉仕ほうし'''を語源ごげんとする。かつて、尊敬そんけい意味いみするギリシャ {{lang|el|προσκύνησις}} との区別くべつ明確めいかくではなかったが、[[だい2ニカイアこう会議かいぎ]]以降いこう {{lang|el|λατρεία}} 唯一ゆいいつ神性しんせいたいする礼拝れいはい {{lang|el|προσκύνησις}} を[[聖人せいじん]]や[[イコン|きよしぞう]]などのせいなる[[造物ぞうぶつ]]にたいする崇敬すうけい、として区別くべつされるようになった<ref>上智大学じょうちだいがく中世ちゅうせい思想しそう研究所けんきゅうじょ,“中世ちゅうせい思想しそう原典げんてん集成しゅうせい後期こうきギリシャ教父きょうふ・ビザンティン思想しそう”, 平凡社へいぼんしゃ, 1994.</ref>。
かみのみにみとめられる最高さいこう礼拝れいはい行為こうい英語えいごまたはラテン語らてんごで latria とう。latria はギリシャ"{{lang|el|λατρεία}}"(ラトリア)<ref>現代げんだいの[[ギリシャ正教会せいきょうかい]]でも使つかわれる言葉ことばであるため、みの片仮名かたかな転写てんしゃ現代げんだいギリシャ準拠じゅんきょ古典こてんギリシャでは「ラトレイア」</ref>由来ゆらいし、'''やとわれた労働ろうどうしゃ状態じょうたい'''や'''奉仕ほうし'''を語源ごげんとする。かつて、尊敬そんけい意味いみするギリシャ"{{lang|el|προσκύνησις}}"(プロスキニシス)<ref>現代げんだいギリシャからの転写てんしゃ古典こてんギリシャでは「プロスキュネーシス」</ref>との区別くべつ明確めいかくではなかったが、[[だい2ニカイアこう会議かいぎ]]以降いこう"{{lang|el|λατρεία}}"(ラトリア)唯一ゆいいつ神性しんせいたいする'''崇拝すうはい'''('''礼拝れいはい''')"{{lang|el|προσκύνησις}}"(プロスキニシス)を[[聖人せいじん]]や[[イコン|きよしぞう]]などのせいなる[[造物ぞうぶつ]]にたいする'''崇敬すうけい'''(すうけい)、として区別くべつるようになった<ref>上智大学じょうちだいがく中世ちゅうせい思想しそう研究所けんきゅうじょ,“中世ちゅうせい思想しそう原典げんてん集成しゅうせい後期こうきギリシャ教父きょうふ・ビザンティン思想しそう”, 平凡社へいぼんしゃ, 1994.</ref>。


==イスラム教いすらむきょう礼拝れいはい==
==イスラム教いすらむきょう礼拝れいはい==

2009ねん4がつ16にち (木)もく 04:30時点じてんにおけるはん

礼拝れいはい(れいはい、らいはい)は、宗教しゅうきょうにおいてかみふつなどをおがむこと。仏教ぶっきょうにおいてのみ「らいはい」、それ以外いがいは「れいはい」とむ。

キリスト教きりすときょう礼拝れいはい

かみたいする奉仕ほうし行為こうい。または、その行為こうい対象たいしょうかみではなくて、かみ奉仕ほうしするための儀礼ぎれい一般いっぱんのような間接かんせつてき行為こういすこともある。プロテスタント教会きょうかいでは、おおやけどう礼拝れいはい家庭かてい礼拝れいはい個人こじん礼拝れいはいディヴォーション)が礼拝れいはいばれるが、おおくはおもおおやけどう礼拝れいはいしてわれる。カトリック教会きょうかいにおいては普通ふつう典礼てんれいのことをすが、個人こじんてき行為こうい場合ばあい典礼てんれい区別くべつされる。正教会せいきょうかいにおいてはたてまつかみあやのことをすが、カトリック教会きょうかいことなり個人こじんてき祈祷きとう正教会せいきょうかいたてまつかみあやにはふくまれることおおい。

かみのみにみとめられる最高さいこう礼拝れいはい行為こうい英語えいごまたはラテン語らてんごで latria とう。latria はギリシャの"λατρεία"(ラトリア)[1]由来ゆらいし、やとわれた労働ろうどうしゃ状態じょうたい奉仕ほうし語源ごげんとする。かつて、尊敬そんけい意味いみするギリシャ"προσκύνησις"(プロスキニシス)[2]との区別くべつ明確めいかくではなかったが、だい2ニカイアこう会議かいぎ以降いこうは"λατρεία"(ラトリア)を唯一ゆいいつ神性しんせいたいする崇拝すうはい礼拝れいはい)、"προσκύνησις"(プロスキニシス)を聖人せいじんひじりぞうなどのせいなる造物ぞうぶつたいする崇敬すうけい(すうけい)、として区別くべつするようになった[3]

イスラム教いすらむきょう礼拝れいはい

礼拝れいはい(サラーもしくはサラート)とは、カアバ神殿しんでん方角ほうがくかっていのることで、イスラム教いすらむきょうぎょうのひとつである。

礼拝れいはい方法ほうほうには一定いっていまりがある。普段ふだん家庭かていなどで個人こじんおこなってもいいが、イスラムの祝日しゅくじつである金曜日きんようび礼拝れいはいうちすくなくとも1かいは、モスクあつまってみんなでおこなうことが奨励しょうれいされる。 イスラム教いすらむきょうでは、1にちかい礼拝れいはいおこなう。かく礼拝れいはい大体だいたい時間じかんたいは、一回いっかい夜明よあけ、かい夜明よあけからちゅうぼっするまで、さんかいかげ自分じぶん身長しんちょうおなじになるまで、そして日没にちぼつからがなくなるまで、最後さいごよる礼拝れいはいはじまる時間じかんは、ムアッジンばれるひとによってげられるが、これをアザーンという。むかしはモスクの尖塔せんとう(ミナレット)にのぼりそのうえからアザーンがおこなわれたが、現在げんざいはスピーカーがけられている。

脚注きゃくちゅう

  1. ^ 現代げんだいギリシャ正教会せいきょうかいでも使つかわれる言葉ことばであるため、みの片仮名かたかな転写てんしゃ現代げんだいギリシャ準拠じゅんきょ古典こてんギリシャでは「ラトレイア」
  2. ^ 現代げんだいギリシャからの転写てんしゃ古典こてんギリシャでは「プロスキュネーシス」
  3. ^ 上智大学じょうちだいがく中世ちゅうせい思想しそう研究所けんきゅうじょ,“中世ちゅうせい思想しそう原典げんてん集成しゅうせい後期こうきギリシャ教父きょうふ・ビザンティン思想しそう”, 平凡社へいぼんしゃ, 1994.