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'''崔泰福'''(チェ・テボク、[[1930年]][[12月6日]] - )は、[[朝鮮民主主義人民共和国]]([[北朝鮮]])の[[政治家]]。[[朝鮮労働党]]中央委員会政治局員、党中央委員会書記局書記(教育・科学担当)、[[最高人民会議]]議長。 |
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[[平安南道 (日本統治時代)|平安南道]][[南浦市]]生まれ。[[万景台革命学院]]卒業。旧[[東ドイツ]]の[[ライプツィヒ]]工業大学に留学。[[1978年]]9月に[[金策工業総合大学|金策工業大学]]の学長に就任。[[1981年]]5月に教育委員長に就任。[[1982年]]2月より最高人民会議代議員を務める。[[1986年]]12月に朝鮮労働党の党中央委員に就任。[[1990年]]5月に党中央委員会政治局員候補になる。[[1992年]]1月から12月まで党教育部長と党科学部長を兼任し、1992年12月から[[1993年]]12月まで党中央委員会書記局書記(国際担当)を務める。同93年4月から12月までには最高人民会議外交委員長も務めた。同93年10月に党中央委員会書記局書記(教育・科学担当)に就任し、同93年12月には再び党教育部長と党科学部長を兼任している。[[1998年]]9月に最高人民会議議長になる。[[2001年]]9月に党中央委員会書記局書記(国際担当)になる(その後退任)。 |
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崔泰福は、金正日の国葬時に霊柩車を囲んで歩いた8名の権力中枢人物のうちの一人だった<ref>[http://japanese.joins.com/article/049/179049.html?servcode=500§code=500 <張成沢氏失脚説>金正日の霊柩車7人のうち軍人は全員姿消す…党員2人だけ残る] 中央日報 2013年12月4日</ref>。 |
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崔泰福は、金正日の国葬時に霊柩車を囲んで歩いた8名の権力中枢人物のうちの一人だった<ref>[http://japanese.joins.com/article/049/179049.html?servcode=500§code=500 <張成沢氏失脚説>金正日の霊柩車7人のうち軍人は全員姿消す…党員2人だけ残る] 中央日報 2013年12月4日</ref>。 |
2015年12月31日 (木) 03:09時点における版
崔泰福(チェ・テボク、1930年12月6日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。朝鮮労働党中央委員会政治局員、党中央委員会書記局書記(教育・科学担当)、最高人民会議議長。
経歴
平安南道南浦市生まれ。万景台革命学院卒業。旧東ドイツのライプツィヒ工業大学に留学。1978年9月に金策工業大学の学長に就任。1981年5月に教育委員長に就任。1982年2月より最高人民会議代議員を務める。1986年12月に朝鮮労働党の党中央委員に就任。1990年5月に党中央委員会政治局員候補になる。1992年1月から12月まで党教育部長と党科学部長を兼任し、1992年12月から1993年12月まで党中央委員会書記局書記(国際担当)を務める。同93年4月から12月までには最高人民会議外交委員長も務めた。同93年10月に党中央委員会書記局書記(教育・科学担当)に就任し、同93年12月には再び党教育部長と党科学部長を兼任している。1998年9月に最高人民会議議長になる。2001年9月に党中央委員会書記局書記(国際担当)になる(その後退任)。
崔泰福は、金正日の国葬時に霊柩車を囲んで歩いた8名の権力中枢人物のうちの一人だった[1]。
2015年12月30日に発表された金養建の葬儀委員名簿で確認された党内序列は、金正恩、金永南、黄炳瑞、朴奉珠、金己男、崔竜海に続く第7位であった[2][3]。
出典