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礼拝れいはい

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礼拝れいはい(れいはい、らいはい)は、宗教しゅうきょうにおいてかみふつなどをおがむこと。

キリスト教きりすときょう礼拝れいはい

かみたいする奉仕ほうし行為こうい。または、その行為こうい対象たいしょうかみではなくて、かみ奉仕ほうしするための儀礼ぎれい一般いっぱんのような間接かんせつてき行為こういすこともある。カトリック教会きょうかいにおいては普通ふつう典礼てんれいのことをすが、個人こじんてき行為こうい場合ばあい典礼てんれい区別くべつされる。正教会せいきょうかいにおいてはたてまつかみあやのことをすが、カトリック教会きょうかいことなり個人こじんてき祈祷きとう正教会せいきょうかいたてまつかみあやにはふくまれることおおい。

かみのみにみとめられる最高さいこう礼拝れいはい行為こうい英語えいごまたはラテン語らてんごで latria とう。latria はギリシャλατρεία由来ゆらいし、やとわれた労働ろうどうしゃ状態じょうたい奉仕ほうし語源ごげんとする。かつて、尊敬そんけい意味いみするギリシャ προσκύνησις との区別くべつ明確めいかくではなかったが、だい2ニカイアこう会議かいぎ以降いこうλατρεία唯一ゆいいつ神性しんせいたいする礼拝れいはいπροσκύνησις聖人せいじんひじりぞうなどのせいなる造物ぞうぶつたいする崇敬すうけい、として区別くべつされるようになった[1]

イスラム教いすらむきょう礼拝れいはい

礼拝れいはい(サラーもしくはサラート)とは、カアバ神殿しんでん方角ほうがくかっていのることで、イスラム教いすらむきょうぎょうのひとつである。

礼拝れいはい方法ほうほうには一定いっていまりがある。普段ふだん家庭かていなどで個人こじんおこなってもいいが、イスラムの祝日しゅくじつである金曜日きんようび礼拝れいはいうちすくなくとも1かいは、モスクあつまってみんなでおこなうことが奨励しょうれいされる。 イスラム教いすらむきょうでは、1にちかい礼拝れいはいおこなう。かく礼拝れいはい大体だいたい時間じかんたいは、一回いっかい夜明よあけ、かい夜明よあけからちゅうぼっするまで、さんかいかげ自分じぶん身長しんちょうおなじになるまで、そして日没にちぼつからがなくなるまで、最後さいごよる礼拝れいはいはじまる時間じかんは、ムアッジンばれるひとによってげられるが、これをアザーンという。むかしはモスクの尖塔せんとう(ミナレット)にのぼりそのうえからアザーンがおこなわれたが、現在げんざいはスピーカーがけられている。

脚注きゃくちゅう

  1. ^ 上智大学じょうちだいがく中世ちゅうせい思想しそう研究所けんきゅうじょ,“中世ちゅうせい思想しそう原典げんてん集成しゅうせい後期こうきギリシャ教父きょうふ・ビザンティン思想しそう”, 平凡社へいぼんしゃ, 1994.