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アグリッパ2世 せい (27年 ねん 頃 ごろ - 100年 ねん 頃 ころ )は、名 な をマルクス・ユリウス・アグリッパ(Marcus Julius Agrippa)という古代 こだい ユダヤ の領主 りょうしゅ 。父 ちち はアグリッパ1世 せい 。ベレニケ とドゥルシラの2人 ふたり の妹 いもうと がいた。ロ ろ ーマ帝国 まていこく と親密 しんみつ な関係 かんけい を維持 いじ して、ローマ派遣 はけん の総督 そうとく と共 とも にユダヤを統治 とうち した。『使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 』ではアグリッパ王 おう と呼 よ ばれている。
アグリッパ2世 せい は、ヘロデ大王 だいおう の曾孫 そうそん に当 あ たるが、第 だい 1次 じ ユダヤ戦争 せんそう の際 さい 、ローマ軍 ぐん と同盟 どうめい してヘロデ大王 だいおう が造営 ぞうえい したエルサレム神殿 しんでん を破壊 はかい したことが知 し られている。なぜなら、アグリッパ2世 せい の血 ち には、敵対 てきたい するハスモン朝 あさ とヘロデ朝 あさ の血 ち が交 ま じり合 あ っているからである。曽 そ 祖父 そふ は、ハスモン朝 あさ を蹂躙 じゅうりん して乗 の っ取 と ったヘロデ大王 だいおう 、その妃 ひ である曾祖母 そうそぼ は、ハスモン朝 あさ の皇女 おうじょ マリアムネ1世 せい (英語 えいご 版 ばん ) 。そして祖父 そふ が、ヘロデ大王 だいおう によって処刑 しょけい されたヘロデ大王 だいおう の王子 おうじ アリストブロス4世 せい (英語 えいご 版 ばん ) 、その妃 ひ がヘロデ大王 だいおう の妹 いもうと サロメ の娘 むすめ ベロニカ (英語 えいご 版 ばん ) 。そしてその二人 ふたり の間 あいだ に生 う まれたのが父 ちち アグリッパ1世 せい (紀元前 きげんぜん 10年 ねん ‐ 紀元 きげん 後 ご 44年 ねん )である。
アグリッパ2世 せい はクラウディウス 帝 みかど の宮廷 きゅうてい で育 そだ った。伯父 おじ のヘロデ2世 せい (英語 えいご 版 ばん ) (アグリッパ1世 せい の兄 あに )の死 し によって48年 ねん にエルサレム神殿 しんでん の監督 かんとく 職 しょく を引 ひ き継 つ ぐが、クラウディウス帝 みかど の引 ひ き立 た てでカルキスの四 よん 分封 ぶんぽう 領主 りょうしゅ となる。のちにカルキスの代 か わりに、フィリポとリュサニアスの総督 そうとく 領主 りょうしゅ となる。ユダヤ戦争 せんそう 時 とき には、後 のち に皇帝 こうてい になるウェスパシアヌス を、2000人 にん の兵 へい を貸与 たいよ して支援 しえん している。その意味 いみ でユダヤ教徒 きょうと ではあっても、彼 かれ は完全 かんぜん なローマ人 じん であったといえよう。100年 ねん ごろ、トラヤヌス 帝 みかど 治下 ちか のローマで死去 しきょ した。ヘロデ大王 だいおう に始 はじ まる「ヘロデ王朝 おうちょう 」に連 つら なる最後 さいご の支配 しはい 者 しゃ となった。
新約 しんやく 聖書 せいしょ の『使徒 しと 行 ぎょう 伝 でん 』25章 しょう ~26章 しょう によると、アグリッパ2世 せい は、妹 いもうと のベレニケ と共 とも に総督 そうとく フェストゥスをカイサリア に訪問 ほうもん した時 とき 、とらわれの身 み であったパウロ の話 はなし を聞 き く機会 きかい を持 も ち、その言葉 ことば に感銘 かんめい を受 う けたという。これは59年 ねん ごろの出来事 できごと だと考 かんが えられている。
一方 いっぽう でアグリッパが常 つね にベレニケを帯同 たいどう していたことは、ユダヤ人 じん たちに近親 きんしん 相姦 そうかん の疑 うたが いを常 つね に抱 いだ かせることになった。さらにその妹 いもうと ドゥルシラは総督 そうとく フェリクスの妻 つま であった。