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アブドゥッラフマーン・ハーズィニー

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アブドゥッラフマーン・ハーズィニーアラビア: أبوالفتح عبدالرحمن منصور الخازنی‎, ラテン文字もじ転写てんしゃ: Abū al-Fatḥ ʿabd al-Raḥmān Manṣūr al-H̱āzinī、1115ねん–1130ねんごろ活動かつどう)はセルジュークあさ時代じだいホラーサーン活動かつどうした天文学てんもんがくしゃ[1][2]。ギリシアけい[3][4]。スルターン・サンジャルもとめにおうじて作成さくせいした天文てんもんひょうズィージュZīj al-Sanjarī, 1115ねん)はぜん近代きんだいのイスラームけん数理すうり天文学てんもんがく代表だいひょうするいちしょである:107メルヴ観測かんそくおこない、その緯度いど対応たいおうするはすぎょうあかけいひとし時差じさるための恒星こうせい位置いち記述きじゅつしている:197ことなる暦法れきほうあいだ対照たいしょう方法ほうほう[5]度量衡どりょうこう物理ぶつりがくについての著作ちょさくもある[6]

生涯しょうがい

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ハーズィニーはメルヴの財務ざいむ長官ちょうかん、アブルフサイン・アリー・イブン・ムハンマド・マルワーニー Abu‘l Husayn ‘Alī ibn Muhammad al-Khāzin al-Marwazīおさないころに購入こうにゅうされたギリシアじん奴隷どれいであった:197[7]:107。ハーズィン khāzin は「会計かいけいがかり」を意味いみし、初期しょきイスラーム国家こっかでは財務ざいむ管掌かんしょうする役職やくしょくのなまえとしてもちいられた[8]。マルワーニーはハーズィニーがだいいちきゅう教育きょういくけられるようにはからった[5]一説いっせつによればハーズィニーはウマル・ハイヤーミーの弟子でしであるという[7]。ハーズィニーはハイヤーミーがいわゆる「アルキメデスの原理げんり」の発見はっけんしゃである(そして原理げんりはさらにイスフィザーリーによりふか研究けんきゅうされた)といている[9]:176。ハーズィニーはまた、1079ねんジャラーリーれき改暦かいれきにも関与かんよしたとされる:199

ハーズィニーは質素しっそひとであったことでられ、仕事しごと対価たいかとしてなんせんディーナールを提示ていじされても、自分じぶんいえには自身じしんねこしかいないのだからとりを拒否きょひした[6]。イスラーム時代じだいにおいては自分じぶん自身じしん観測かんそくをした天文学てんもんがくしゃが20にんほどしかいないが、ハーズィニーはその数少かずすくないうちのひとりである[6]。ハーズィニーの著作ちょさくは14世紀せいきにはビザンツ帝国ていこくにまでもたらされ、ゲオルギウス・クリスコッカステオドロス・メリテニオテスによって研究けんきゅうされた:107

著作ちょさく

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ハーズィニーはセルジュークあさのサンジャル・イブン・マリクシャーの宮廷きゅうてい高官こうかんであったようである。ほとんどの著作ちょさくがメルヴで執筆しっぴつされており、当時とうじメルヴはすぐれた蔵書ぞうしょそなえた図書館としょかん有名ゆうめいであった[6]。『知恵ちえのつりあいのしょ』『天文学てんもんがくかんして』『サンジャル天文てんもんひょう』がハーズィニーの代表だいひょうてき著作ちょさくである[6]

知恵ちえのつりあいのしょ』は8かんほんぜん55しょう機械きかい工学こうがく静水せいすいがくについての当時とうじ知識ちしき集大成しゅうたいせいしたほんである[6]静水せいすい力学りきがくてき平衡へいこうとその背景はいけいにあるかんがかたかんする研究けんきゅういちしょであるが、その、これらに関係かんけいしない問題もんだいについてもあつかっている[6]現存げんそんする写本しゃほんは4種類しゅるい異本いほん存在そんざいする[6]。ハーズィニーのばかりは、かれよりふる世代せだいのアスフィザーリーのばかりをもとにつくられた[6]。スルターン・サンジャルの財務ざいむかんおそろしさのあまりアスフィザーリーのばかり破壊はかいしたところ、ハーズィニーはこれをいてかなしんだ[6]。ハーズィニー自身じしんはアスフィザーリーへの敬意けいいしめすため、みずからのばかりを「ふくごうばかり」とんだ[6]かれつくったばかりは、宝物ほうもつおさめられている貴金属ききんぞく宝石ほうせき真贋しんがんたしかめるためのものである[6]。ハーズィニーは『知恵ちえのつりあいのしょ』のなかで、ばかり信仰しんこうにもはんせず、熟練じゅくれん職人しょくにんのようなはたらきをすると主張しゅちょうしている[6]

天文学てんもんがくかんして』は比較的ひかくてきみじか著作ちょさくである[6]。7つの部分ぶぶんかれ、かく部分ぶぶんがそれぞれことなる観測かんそく器械きかい観測かんそく方法ほうほう説明せつめいしている[6]。その7つとは triquetrum, dioptra, "triangular instrument," quadrant(よんふんただし), 光学こうがくてき反射はんしゃ使つかった装置そうち, アストロラーベ, および肉眼にくがん観測かんそくである[6]

『サンジャル天文てんもんひょう』はメルヴを統治とうちするスルターン・サンジャルのためにつくられたとわれている[6]祭日さいじつ断食だんじき情報じょうほうのほか、43恒星こうせいあかぬきあかけいかけのあかるさが占星術せんせいじゅつじょう気質きしつとともに記載きさいされている[6]

出典しゅってん

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  1. ^ Winter (February 1986). “PERSIAN SCIENCE IN SAFAVID TIMES” (英語えいご). The Cambridge History of Iran. 2023ねん11月29にち閲覧えつらん
  2. ^ پژوهش‌های ایرانی | سرنوشت خازنی: داستان غم انگیز دانشمندان ایران” (ペルシア). 2020ねん4がつ8にち閲覧えつらん
  3. ^ Vernet, J. (2012-04-24). “al-K̲h̲āzinī” (英語えいご). Encyclopaedia of Islam, Second Edition. https://referenceworks.brillonline.com/entries/encyclopaedia-of-islam-2/al-khazini-SIM_4271?lang=fr. 
  4. ^ Durant, Will; Durant, Ariel (2011) [1950]. The Story of Civilization: The Age of Faith. Simon & Schuster. p. 352. ISBN 9781451647617. https://books.google.com/books?id=cusRoE1OJvEC&pg=PP352 
  5. ^ a b Montelle, C. (2011). The ‘Well-Known Calendars’: Al-Khāzinī’s Description of Significant Chronological Systems for Medieval Mathematical Astronomy in Arabic. In Steele J. (Ed.), Calendars and Years II: Astronomy and Time in the Ancient and Medieval World (pp. 107-126). Oxford; Oakville: Oxbow Books.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Al-Khāzinī, Abu'l-Fath 'Abd Al-Raḥmān [Sometimes Abū Manṣūr ' Abd Al-Raḥmān or 'Abd Al-Rahmān Manṣūr]., Complete Dictionary of Scientific Biography., (2008), pp. 335–351 
  7. ^ a b Rosenfeld, B. (1994), Book reviews: Middle ages & renaissance., Journal of the History of Science in Society, pp. 85(4), 686 
  8. ^ Floor. “kazinadar”. Encyclopædia Iranica. 4 December 2017閲覧えつらん
  9. ^ Meyerhof, M. (1948). 'Alī al-Bayhaqī's Tatimmat Siwān al-Hikma: A Biographical Work on Learned Men of the Islam. Osiris, 8, 122-217.