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アラ (ローマぐん)

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古代こだいローマぐん
紀元前きげんぜん753ねん西暦せいれき476ねん
制度せいど
陸軍りくぐん
(兵種へいしゅ役職やくしょく正規せいきぐんアウクシリア将軍しょうぐん一覧いちらん)
海軍かいぐん
(艦船かんせん提督ていとく一覧いちらん)
戦史せんし
戦争せんそう
著名ちょめい戦闘せんとう
戦功せんこう
兵器へいき
軍事ぐんじ技術ぎじゅつ (個人こじん装備そうびおさむじょう兵器へいきカストラ凱旋がいせんもん街道かいどう)
軍政ぐんせい
歩兵ほへい戦術せんじゅつ
おさむしろせん
国境こっきょう防衛ぼうえい
(城壁じょうへきハドリアヌスの長城ちょうじょうアントニヌスの長城ちょうじょう)

アララテン語らてんごala, 複数ふくすうがたはアラエ alae)とは、古代こだいローマぐんにおける編成へんせい単位たんいラテン語らてんごで ala は「つばさ」を意味いみすることから、左右さゆう両翼りょうよく部隊ぶたいし、つばさぐん(よくぐん)とやくされることもある。

アラは、アウクシリア支援しえんぐん)、すなわちローマ民権みんけんたないものたちで構成こうせいされる支援しえん部隊ぶたい編成へんせい単位たんいである。その定義ていぎながいローマの歴史れきしにおいて徐々じょじょ変化へんかしていったが、帝政ていせいローマにおいてはアウクシリアの騎兵きへい部隊ぶたい意味いみした。

また時代じだいによっては「アラレス」(Alares)または「アラリィAlarii)」ともばれた。

沿革えんかく

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共和きょうわせい初期しょきにおいてローマ市民しみんから軍隊ぐんたいじゅうそう歩兵ほへい中心ちゅうしんで、弱点じゃくてんであるその左右さゆう機動きどうりょく騎兵きへい護衛ごえいする役割やくわりっていた。

中期ちゅうきになると、ローマの覇権はけんひろがり、構成こうせいされる軍団ぐんだんはローマ民権みんけんたないローマ出身しゅっしんラテン同盟どうめい出身しゅっしんしゃはいってきた。この軍団ぐんだん当初とうしょ「アラ」とんだのが最初さいしょであるが、このとき騎兵きへい歩兵ほへい混在こんざい部隊ぶたいをひとまとめにんだだけであった。

後期こうきになるとローマ正規せいきぐん軍団ぐんだんへいイタリア半島はんとうすべてのローマ民権みんけんものへと門戸もんこひろがる。そしてアラに所属しょぞくする兵士へいし共和きょうわせいローマ本国ほんごく以外いがいローマじん、すなわちがわ以北いほくのイタリア半島はんとうガリアゲルマニア出身しゅっしんローマじん騎兵きへい主力しゅりょくとなる。この時代じだいにはかれらは「アラリィ」とばれ、とくにユリウス・カエサルガリア戦争せんそうさい自軍じぐん騎兵きへい戦力せんりょくとしてかれらを重用じゅうようした。

帝政ていせいではアラの定義ていぎはアウクシリアの騎兵きへい部隊ぶたいとされた。かれらはレギオとはべつ命令めいれい系統けいとう軍団ぐんだんとなり、ローマ正規せいきぐん所属しょぞくしない独立どくりつうごける軍団ぐんだんとなった。

関連かんれん項目こうもく

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