(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ウィリアムス (ゲーム) - Wikipedia コンテンツにスキップ

ウィリアムス (ゲーム)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウィリアムス(Williams)は、かつてアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのピンボール・ビデオゲーム著名ちょめいであった企業きぎょう、およびそのゲームのブランドめいである。1999ねんからはWMS インダストリーズ(WMS Industries)ので、ほぼアメリカ専業せんぎょう活動かつどうするギャンブルメーカーとなっていた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

WMSしゃはアメリカの大手おおてギャンブルメーカーで、とくにスロットのメーカーとしてアメリカでは有名ゆうめいであるが、アメリカ国外こくがいではかつての社名しゃめいおよびブランドめいウィリアムス(Williams)時代じだいにリリースしたピンボールおよびビデオゲーム製品せいひんられている。WMSのはかつての社名しゃめいウィリアムス(Williams)の省略形しょうりゃくけいで、ニューヨーク証券しょうけん取引とりひきしょにおけるティッカーシンボルにちなむ。

1960年代ねんだいから1970年代ねんだいにかけてのアーケードゲームの主要しゅよう機種きしゅだったフリッパーピンボールしゅとして製造せいぞうしていたが、ビデオゲームの時代じだいとなる1970年代ねんだいには、アーケードようビデオゲームにも参入さんにゅうした。「ウィリアムス」ブランドは創業そうぎょうから1999ねんまでもちいられ、WMSしゃがピンボールから撤退てったいすると同時どうじにその役目やくめえた。

なお正式せいしき社名しゃめい歴史れきしにより「ウィリアムス・マニュファクチュアリング」「ウィリアムス・エレクトロニクス」「WMSインダストリーズ」など変更へんこうかえされてたが、ピンボールやビデオゲームにおいては「ウィリアムス(Williams)」の通称つうしょう海外かいがいでももちいられるため、ほん項目こうもくでもそれを採用さいようしている。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

太平洋戦争たいへいようせんそうなかの1943ねん、ハリー・ウィリアムス(Harry.Williams、1909ねん - 1983ねん9がつ)が、仲間なかまともにウィリアムス・マニュファクチュアリングしゃイリノイしゅうシカゴ創業そうぎょうする。設立せつりつ当初とうしょは、うらなや、他社たしゃせいふるいピンボール改造かいぞうした製品せいひんっていた。

1947ねん、サム・スターン(Samuel.Stern)を共同きょうどう経営けいえいしゃむかえる。

1958ねん社名しゃめいをウィリアムス・エレクトロニック・マニュファクチュアリングしゃ変更へんこう

1959ねん創業そうぎょうしゃであるハリー・ウィリアムスは、経営けいえいをサム・スターンにゆずり、自身じしんはゲーム開発かいはつ専念せんねんし、そのもピンボールのデザインなどをがける。

1961ねん社名しゃめいをウィリアムス・エレクトロニクスしゃ変更へんこう

1964ねん、ジュークボックスの大手おおてメーカー、シーバーグしゃによって買収ばいしゅうされる。

1980ねん当時とうじ親会社おやがいしゃだったXcorインターナショナルしゃもとシーバーグしゃ)より、同社どうしゃのCEO、ルイス・ニカストロによって分離ぶんりされるが、ニカストロはつづ両社りょうしゃ会長かいちょうけんCEOをつとめる。

1981ねん、ウィリアムスしゃのライバル企業きぎょうであるバリーしゃは、ピンボール部門ぶもん子会社こがいしゃミッドウェイしゃ移管いかんすることとし、バリー=ミッドウェイしゃ発足ほっそく

1985ねん社名しゃめいをウィリアムス・エレクトロニクス・ゲームズしゃ変更へんこう

1987ねん株式かぶしき公開こうかいにグループをすべて統括とうかつする親会社おやがいしゃとしてWMSインダストリーズしゃ設立せつりつ。ウィリアムスしゃはその子会社こがいしゃとして、またはWMSインダストリーズの一部いちぶもんとして存続そんぞく

1988ねん、WMS、バリー=ミッドウェイしゃ買収ばいしゅう。WMSはウィリアムス・バリー・ミッドウェイという、ピンボール5だいブランドのうち3ブランドを獲得かくとくするにいたる。ブランドの再編さいへんをし、ミッドウェイしゃせいピンボールをすべてバリーブランドとし、ミッドウェイブランドを廃止はいしする。また、WMSグループのビデオゲーム部門ぶもんをミッドウェイしゃ集約しゅうやくし、ウイリアムスはビデオゲームから撤退てったい

1991ねん、WMS、あらたにウィリアムス・ゲーミングしゃ設立せつりつし、ギャンブル事業じぎょう参入さんにゅう

1990年代ねんだい中頃なかごろ、ウィリアムス・ゲーミングはギャンブルメーカーとして成功せいこうし、またミッドウェイもゲームメーカーとして成功せいこうしつつあった。しかしピンボール業界ぎょうかい斜陽化しゃようかすすむ。

1998ねん、ウィリアムスのビデオゲーム資産しさんをすべて保有ほゆうするミッドウェイしゃがWMSグループから離脱りだつ

1999ねん、WMS、ピンボールから撤退てったいし、「ウィリアムス」ブランドは廃止はいしされる。ウィリアムス・ゲーミング、WMSゲーミングに社名しゃめい変更へんこう。WMSはギャンブル以外いがい事業じぎょうからすべて撤退てったい

2013ねん、サイエンティフィック・ゲームズにより15おくドルで買収ばいしゅうされ子会社こがいしゃとなる。

2016ねん、サイエンティフィック・ゲームズの再編さいへんともな吸収きゅうしゅう合併がっぺい。WMSのブランドめいうしなわれる。

2022ねん、サイエンティフィック・ゲームズはライト&ワンダー改名かいめい

業容ぎょうよう(ピンボール)[編集へんしゅう]

創業そうぎょう以来いらい数々かずかずのピンボール開発かいはつおこない、1960年代ねんだいから70年代ねんだいにかけては、バーリーしゃ、ゴットリーブしゃならしょうされる大手おおてメーカーであったが、1980年代ねんだい初頭しょとう、ビデオゲームの台頭たいとうとともにピンボールの人気にんき急激きゅうげきおとろえた。しかし、1984ねんにウィリアムスが発表はっぴょうした「スペースシャトル」、さら翌年よくねん発表はっぴょうされた「コメット」「ハイスピード」がともにおおきなげを記録きろくし、以降いこう追随ついずいゆるさないピンボールのトップメーカーとなった。1988ねんには、ライバル会社かいしゃだったバーリー・ミッドウェイしゃが、親会社おやがいしゃのWMSインダストリーズしゃによって買収ばいしゅうされるまでにいたった。

そののおよそ10ねんにわたってピンボールのトップメーカーに君臨くんりんするが、しかし、1990年代ねんだい後半こうはんになると、ふたたびピンボールの人気にんきおとろえた。1999ねん3がつには、起死回生きしかいせいさくとして、テレビ画面がめんわせた「ピンボール2000」シリーズを計画けいかく、バリーブランドの『リベンジ・フロム・マーズ』につづけて、ウィリアムスブランドで『スター・ウォーズ エピソードI』を発売はつばいした。だが、それもピンボール人気にんき低落ていらく傾向けいこうえるにはいたらず、同年どうねん10がつ親会社おやがいしゃであるWMSインダストリーズしゃは、ウィリアムスブランドをふく保有ほゆうするぜんブランドのフリッパー生産せいさん中止ちゅうし決定けっていした。

ピンボールにおけるおも業績ぎょうせき[編集へんしゅう]

  • 1934ねん、ウィリアムス・マニュファクチュアリングしゃ創業そうぎょうしゃではあるが、この時点じてんではまだ他社たしゃ社員しゃいんであったハリー・ウィリアムスによって、機械きかいれを感知かんちするティルト検出けんしゅつ機構きこう発明はつめいされる。これは、マシンを過度かどする行為こういたいしてペナルティを機能きのうもちいられ、そののほとんどのピンボール導入どうにゅうされた。
  • 1960ねん、ムービング・ターゲットがはじめて導入どうにゅうされた「マジック・クロック」が発表はっぴょうされる。これは、ゲームの得点とくてん要素ようそのうち、プレイフィールドじょう一定いっていのコースじょう往復おうふくする運動うんどうかえてきのギミックである。
  • 1962ねん、ドロップ・ターゲットがはじめて導入どうにゅうされた「バガボンド」が発表はっぴょうされる。これは、ゲームの得点とくてん要素ようそのうち、ボールがたるとプレイフィールドのしたち、プレイフィールドじょうから消滅しょうめつするてきのギミックである
  • 1977ねん競合きょうごう他社たしゃであるバリーやゴットリーブとほぼ同時どうじに、ソリッドステート(電子でんし回路かいろしきピンボールの量産りょうさん実現じつげんする。
  • 1979ねん合成ごうせい音声おんせいによるスピーチが「ゴーガー」に導入どうにゅうされ、はつの「しゃべるピンボール」となる。
  • 1980ねん、レーンチェンジ機能きのうはじめて導入どうにゅうした「ファイアー・パワー」が発表はっぴょうされる。これは、ボールが通過つうかするとランプが点灯てんとうするレーンにおいて、フリッパーボタンをすことによって点灯てんとうする箇所かしょ移動いどうさせることができる機能きのうである。
  • 1981ねん、マルチ・レベル・フィールドをはじめて導入どうにゅうした「ブラック・ナイト」が発表はっぴょうされる。これは、プレイフィールドの構造こうぞう階層かいそうにするというものである。
  • 1986ねん発表はっぴょうされた「ハイスピード」には、以下いかのフィーチャー、およ機能きのうが、ピンボール史上しじょうはじめて搭載とうさいされた。
    • ジャックポット:一定いってい条件じょうけんたすことにより大量たいりょう得点とくてん獲得かくとくできる。
    • ステータス・レポート:プレイちゅうにどちらかのフリッパーボタンをしっぱなしにすると、ディスプレイに現在げんざい状況じょうきょう(ボーナスてんつぎのリプレイのスコア、現在げんざいのジャックポットとう)が表示ひょうじされる機能きのう
    • 自動的じどうてきリプレイてん調整ちょうせい機能きのう:リプレイが獲得かくとくされるとつぎのプレイでリプレイを獲得かくとくするのに必要ひつよう点数てんすう上昇じょうしょうし、獲得かくとくされないとがる機能きのう
    • 自動じどう故障こしょう検出けんしゅつ機能きのう

業容ぎょうよう(ビデオゲーム)[編集へんしゅう]

1973ねん前年ぜんねん創業そうぎょうしたアタリしゃ製作せいさくしたビデオゲーム『ポン』のヒットを発端ほったんあらたにそうされたビデオゲーム市場いちばに、同社どうしゃはつのビデオゲーム『パドル・ボール』で参入さんにゅうした。オリジナルで開発かいはつする一方いっぽうで、ジャレコ、カネコ、IREM、クラールなど日本にっぽんのビデオゲームメーカーからのライセンス商品しょうひん販売はんばいおこなった。とくに1980年代ねんだい中期ちゅうきもっぱらピンボールに注力ちゅうりょくしてビデオゲームをまったさなかったこともあり、ビデオゲームメーカーとしては比較的ひかくてき寡作かさくである。

ビデオゲームにおけるおも業績ぎょうせき[編集へんしゅう]

1980ねん発表はっぴょうされた、左右さゆうよこスクロールするシューティングゲーム『ディフェンダー』が記録きろくてきだいヒットとなり、全米ぜんべいオペレーター協会きょうかいより「ビデオゲーム・オブ・ザ・イヤー」を受賞じゅしょうした。

1980年代ねんだい初期しょきのヒットさくとしては前述ぜんじゅつのディフェンダーのほかに、ディフェンダーの続編ぞくへん『スターゲート(AKA:ディフェンダーII)』(1981)、未来みらいのロボット社会しゃかいをアナログてきなグラフィックで表現ひょうげんした『ロボトロン2084』(1982)、ダチョウのような生物せいぶつったキャラクターでてきたおす『ジャウスト』(1982)、あわ操作そうさして水滴すいてきあつめる『バブルス』(1982)、ぜん方向ほうこうスクロールのシューティングゲーム『シニスター』などがある。

1980年代ねんだい後半こうはん以降いこうも『Narc』(1988)、『スマッシュT.V.』(1990)、『スーパーハイインパクト』(1991)などのヒットさくられるが、ミッドウェイ・ゲームズしゃ買収ばいしゅうはビデオゲーム部門ぶもんをミッドウェイに徐々じょじょ移管いかんすることとなり、 1991ねん最後さいごにウィリアムスブランドのビデオゲームはリリースされていない。

2012ねん2がつ現在げんざい、ウィリアムスが開発かいはつしたビデオゲームの一切いっさい権利けんりは、ミッドウェイを2011ねん買収ばいしゅうしたタイム・ワーナー保有ほゆうしている。

業容ぎょうよう(アーケードゲーム)[編集へんしゅう]

タイトルすうはピンボールほどおおくはないが、会社かいしゃ設立せつりつ当初とうしょより長期間ちょうきかんにわたってメカニカルなギミックをそなえたアーケードゲーム製造せいぞうがけている。おも分野ぶんやには、一般いっぱんに「ピッチ・アンド・バット」とばれる野球やきゅうゲームや、ライフルが筐体きょうたいけられているガンゲーム、あるいはミニボウリングやシャッフルボードなどがある。

関連かんれん情報じょうほう[編集へんしゅう]

サム・スターン[編集へんしゅう]

ウィリアムスをのち、1977ねん既存きそんのピンボールメーカーで、資金しきんなんおちいっていたシカゴ・コインズしゃり、スターン・エレクトロニクスしゃ設立せつりつ、スターン・ブランドのピンボールおよびビデオゲーム多数たすう開発かいはつした。息子むすこのゲイリー・スターンは、1999ねんもとデータ・イースト・ピンボールしゃであったセガ・ピンボールしゃり、スターン・ピンボールしゃ社名しゃめい変更へんこうし、ピンボールの生産せいさん継続けいぞくしている。

ミッドウェイ[編集へんしゅう]

一時いちじはウィリアムスと同様どうよう、WMSインダストリーズしゃ子会社こがいしゃとなって、バーリー・ミッドウェイのブランドでバーリー・ブランドのピンボールやビデオゲーム開発かいはつ製造せいぞうおこなっていたが、1996ねん親会社おやがいしゃより分離ぶんり分割ぶんかつされたさい、ウィリアムス・ブランドをふくむ、WMSインダストリーズしゃ保有ほゆうしていたビデオゲームにかんするライセンスをいだ。その1999ねんにピンボールから、2001ねん業務ぎょうむようビデオゲームからそれぞれ撤退てったい[1] した。現在げんざいはミッドウェイ・ゲームズとして家庭かていようゲームソフトのパブリッシャーとなっており、そのウェブサイトではウィリアムス・ブランドのビデオゲームの一部いちぶあそべるようになっている。

ルイス・ニカストロ[編集へんしゅう]

WMSインダストリーズの取締役とりしまりやく会長かいちょう息子むすこのニールも同社どうしゃ役員やくいんであり、また、2004ねん6がつまでミッドウェイ・ゲームズの会長かいちょうつとめていた。

脚註きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 『ゲームマシン』2004ねん7がつ1にちごう

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]