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ウィルソン・グレートバッチ (Wilson Greatbatch、1919年 ねん 9月6日 にち - 2011年 ねん 9月27日 にち )はアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の電子 でんし 技術 ぎじゅつ 者 しゃ 、発明 はつめい 家 か である。インプラント型 がた 心臓 しんぞう ペースメーカ の開発 かいはつ 、実用 じつよう 化 か に貢献 こうけん した。生涯 しょうがい で325件 けん の特許 とっきょ を取得 しゅとく し、ペースメーカ用 よう リチウム電池 でんち も発明 はつめい した。
ニューヨーク州 しゅう のバッファロー でイギリス生 う まれの企業 きぎょう 経営 けいえい 者 しゃ の息子 むすこ に生 う まれた。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか はアメリカ海軍 かいぐん の軍人 ぐんじん となり、駆逐 くちく 艦 かん の電子 でんし 装備 そうび の修理 しゅうり や油送船 ゆそうせん での勤務 きんむ 、レーダー操作 そうさ 技術 ぎじゅつ の教官 きょうかん や爆 ばく 撃 げき 機 き の射手 しゃしゅ などとして働 はたら いた。戦後 せんご 、電話 でんわ 技術 ぎじゅつ 者 しゃ として一 いち 年 ねん ほど働 はたら いた後 のち 、退役 たいえき 軍人 ぐんじん への奨学 しょうがく 制度 せいど でコーネル大学 だいがく で電子 でんし 工学 こうがく を学 まな び、1950年 ねん に学位 がくい (B.E.E.)を得 え た。1957年 ねん にバッファロー大学 だいがく から修士 しゅうし 号 ごう を得 え た。 大学 だいがく を卒業 そつぎょう した後 のち バッファローのTaber Instrument Corporationの電子 でんし 装置 そうち 部門 ぶもん のマネージャーとなるが、会社 かいしゃ がペースメーカの開発 かいはつ に興味 きょうみ を持 も たなかったので、自 みずか らの会社 かいしゃ を設立 せつりつ した。
しばしばグレートバッチは心臓 しんぞう ペースメーカの発明 はつめい 者 しゃ とされるが、ペースメーカーに類 るい する電気 でんき 信号 しんごう を与 あた えて心臓 しんぞう の機能 きのう を回復 かいふく させるアイデアは18世紀 せいき からあった。1920年代 ねんだい には最初 さいしょ の装置 そうち の試 こころ みがなされたが、装置 そうち は小型 こがた の冷蔵庫 れいぞうこ ほどの大 おお きさで、心拍 しんぱく を再開 さいかい させるために針 はり で電気 でんき 信号 しんごう が与 あた えられた。
1958年 ねん までにスウェーデンのカロリンスカ研究所 けんきゅうじょ で心臓 しんぞう 外科 げか 医 い 、オーケ・セニング (Åke Senning)と エルムクヴィスト(Rune Elmqvist)によってペースメーカーの埋 う め込 こ み手術 しゅじゅつ が行 おこな われた。最初 さいしょ の例 れい では3時 じ 間 あいだ で効果 こうか をなくし、第 だい 2例 れい で2日間 にちかん 、その後 ご の改良 かいりょう がなされたが、数ヶ月 すうかげつ の延命 えんめい にしか効果 こうか を発揮 はっき できていなかった。
グレートバッチは1956年 ねん にバッファローの慢性 まんせい 疾患 しっかん 研究所 けんきゅうじょ (Institute for the Study of Chronic Diseases)の依頼 いらい で、心拍 しんぱく 信号 しんごう の測定 そくてい 記録 きろく 装置 そうち の製作 せいさく を依頼 いらい されたことからこの分野 ぶんや に入 はい った。回路 かいろ のテスト中 ちゅう に心臓 しんぞう を駆動 くどう するパルス信号 しんごう を得 え る回路 かいろ のアイデアを得 え て、自費 じひ で研究 けんきゅう 室 しつ を立 た ち上 あ げた。
1958年 ねん にバッファロー復員 ふくいん 軍人 ぐんじん 援護 えんご 病院 びょういん (Buffalo Veterans Administration Hospital)の外科 げか 医 い 、チャーダック(William Chardack)と知 し り合 あ い、小型 こがた の心臓 しんぞう ペースメーカがあれば、年間 ねんかん 1万 まん 人 にん の患者 かんじゃ を救 すく うことができると聞 き かされた。数 すう 週間 しゅうかん 後 ご 、チャーダックによって犬 いぬ に埋 う め込 こ み手術 しゅじゅつ が行 おこな われた後 のち 、1960年 ねん 6月 がつ 6日 にち に最初 さいしょ の人間 にんげん への手術 しゅじゅつ が行 おこな われ、最初 さいしょ の患者 かんじゃ は18ヶ月 かげつ 延命 えんめい した[1] 。当初 とうしょ 、水銀 すいぎん 電池 でんち を電源 でんげん に用 もち いていたのを寿命 じゅみょう が長 なが いリチウム電池 でんち を開発 かいはつ するなど、心臓 しんぞう ペースメーカの実用 じつよう 化 か に貢献 こうけん した。1961年 ねん から世界 せかい 的 てき にな医療 いりょう 機器 きき メーカー、メドトロニックによってライセンス生産 せいさん が行 おこな われるようになった。
全米 ぜんべい 発明 はつめい 家 か 殿堂 でんどう (National Inventors Hall of Fame inductees)に選 えら ばれ、1990年 ねん にアメリカ国家 こっか 技術 ぎじゅつ 賞 しょう 、1996年 ねん にワシントン賞 しょう を受賞 じゅしょう した。