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エルンスト・フリードリヒ・フォン・シュロトハイム

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Ernst Friedrich von Schlotheim
著作ちょさく図版ずはん

エルンスト・フリードリヒ・フォン・シュロトハイム(Ernst Friedrich von Schlotheim、1764ねん4がつ2にち - 1832ねん3月28にち)はドイツ貴族きぞく生物せいぶつ学者がくしゃである。化石かせきのコレクションをつくげ、近代きんだいてき生物せいぶつがく創始そうししゃ一人ひとりとなった。

略歴りゃくれき

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ゴータまれた。ドイツのザクセン地方ちほう支配しはいするエルネスティンのエルンスト・ルートヴィヒ・フォン・シュロトハイムのまれた。8さいである1772ねんに、のち有名ゆうめい歴史れきしとなるヨハン・ゲオルク・アウグスト・ガレッティ家庭かてい教師きょうしとしてやとわれた。1776ねん父親ちちおやグレフェントナ領主りょうしゅとなったためグレフェントナにうつった。1778ねんからガレッティにかわって神学しんがくしゃのクレドナー(Johann Christian Credner)から教育きょういくけた。1782ねんゲッティンゲン大学だいがく入学にゅうがくし、法律ほうりつなどのほか自然しぜん科学かがくまなんだ。ゴータ出身しゅっしん比較ひかく解剖かいぼう学者がくしゃ動物どうぶつ学者がくしゃ人類じんるい学者がくしゃヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハおしえをけ、友人ゆうじんとなった。ヨーロッパ旅行りょこうのち、グレフェントナにもどり、鉱物こうぶつがく金属きんぞくがく研究けんきゅうはじめ、アブラハム・ゴットロープ・ウェルナーい、フライベルク鉱山こうざん学校がっこうアレクサンダー・フォン・フンボルトヨハン・カール・フライエスレーベンレオポルト・フォン・ブーフ研究けんきゅうをおこなった。

鉱業こうぎょう精錬せいれん事業じぎょうなどをおこなったのち新設しんせつされた博物館はくぶつかん監督かんとくなどをつとめ、1828ねんにはザクセン=コーブルク=ゴータ公国こうこく高等こうとう顧問こもんかん(Oberhofmarschall)をつとめた。

ゴータで採取さいしゅされた植物しょくぶつ化石かせき印象いんしょう化石かせき)と現生げんなまする植物しょくぶつとの比較ひかく研究けんきゅうおこなったことでられる。著書ちょしょに『先史せんし時代じだい植物しょくぶつ研究けんきゅう』("Ein Beitrag zur Flora der Vorwelt":1804ねん)や『化石かせき』("Die Petrefactenkunde":1820)などがある。

1808ねんにバイエルン科学かがくアカデミーの会員かいいんになり、1823ねんにデンマーク王立おうりつ科学かがくアカデミー、ドイツ科学かがくアカデミーレオポルディーナ会員かいいんえらばれた。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Wilhelm von Gümbel: Schlotheim, Ernst Friedrich Freiherr von. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 31, Duncker & Humblot, Leipzig 1890, S. 550 f.
  • Meyers Konversationslexikon 1888–1889
  • Ilse Jahn: Geschichte der Biologie. Spektrum 2000
  • Karl Mägdefrau: Geschichte der Botanik. Fischer 1992
  • Gottfried Zirnstein: Schlotheim, Ernst Friedrich von. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 23, Duncker & Humblot, Berlin 2007, ISBN 978-3-428-11204-3, S. 109 f. (Digitalisat).
  • Jürgen Kiefer: Zum 175. Todestag des Paläontologen und Geologen Ernst Friedrich Freiherr von Schlotheim (1764-1832)in: Jahrbuch der Akademie zu Erfurt 2007, S. 29-33.