オロネツ

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座標ざひょう: 北緯ほくい6059ふん 東経とうけい3258ふん / 北緯ほくい60.983 東経とうけい32.967 / 60.983; 32.967

オロネツのあきら

オロネツ(オローネツ、Олонец, カレリア:Anus, オロネツ:Anuksenlinnu, フィンランドアウヌス, Aunus, どく:Olonez, えい:Olonets)は、ロシア連邦れんぽうカレリア共和きょうわこく都市とし。カレリア共和きょうわこくさい南部なんぶラドガ東側ひがしがわそそぐオロンカかわ沿いにある。オロネツキー地区ちく行政ぎょうせい中心ちゅうしんサンクトペテルブルクへは南西なんせいへ310km、カレリアの首都しゅとペトロザヴォーツクへは北東ほくとうへ150km、フィンランド国境こっきょうへは北西ほくせいへ200km。

2002ねんぜんロシア国勢調査こくせいちょうさでの人口じんこうは10,240にん1989ねん調査ちょうさでは11,888にん)。オロネツはカレリア共和きょうわ国内こくない唯一ゆいいつカレリアじん人口じんこう多数たすうめる都市としであり(2004ねん現在げんざいで60%以上いじょうをカレリアじんめる)カレリア東部とうぶ方言ほうげんオロネツ/オロネツ方言ほうげん/アウヌス方言ほうげん)がはなされている。1999ねんには350ねんさいいわった。

歴史れきし[編集へんしゅう]

スモレンスクの生神うるかみおんなイコン聖堂せいどう(オロネツ)
オロネツ市街地しがいち

オロネツは記録きろくじょうではカレリアでも最古さいこまちである。ノヴゴロド公国こうこく文書ぶんしょでは、1137ねんにはすでにオロネツが言及げんきゅうされている。しかし、モスクワ大公たいこうこくスウェーデンからの防衛ぼうえいのために要塞ようさいてた1649ねんまでオロネツについての記録きろくはなく、そのあいだ歴史れきしははっきりしない。この1649ねんにはオロネツは地位ちいている。

18世紀せいき初頭しょとうだい北方ほっぽう戦争せんそうきるまでの時期じき、オロネツはロシア商人しょうにんとスウェーデン商人しょうにんあいだ交易こうえき中心ちゅうしんとしてさかえた。まち南方なんぽうには要塞ようさいされた修道院しゅうどういん帯状おびじょうつづいており、なかでもスヴィリがわ沿いのアレクサンドル=スヴィルスキー修道院しゅうどういんさい重要じゅうよう防衛ぼうえい拠点きょてんであった。

18世紀せいきにはオロネツは国境こっきょう貿易ぼうえきまちからてつ加工かこう中心ちゅうしんとする工業こうぎょうまちへと性格せいかくわる。1773ねんにはカレリア地方ちほうにオロネツけん設置せっちされそのけんとなったが、1784ねんけん北東ほくとうオネガほとりにあるあたらしい工業こうぎょう都市としペトロザヴォーツクへとうつり、以後いごオロネツはゆっくり衰退すいたいした。1912ねん時点じてんでは人口じんこうはわずか2,058にんであった。

1917ねんにフィンランドが独立どくりつ宣言せんげんするとカレリア西部せいぶはフィンランドりょうとなり、オロネツをふくカレリア東部とうぶがロシアにのこった。フィンランドぐんはカレリア全体ぜんたい併合へいごうしようとぐんすすめ、1919ねんには短期間たんきかんフィンランドりょうとなりフィンランドぐん赤軍せきぐんとのあいだ激戦げきせんきている。

1940ねんにフィンランドがふゆ戦争せんそう敗北はいぼくするとカレロ=フィン・ソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく成立せいりつしオロネツはその一部いちぶとなるが、つづ1941ねんからはじまった継続けいぞく戦争せんそうではフィンランドぐん占領せんりょうされた。1944ねん6月25にちにはソ連それんぐんがオロネツを奪還だっかんしている。

経済けいざい[編集へんしゅう]

ラドガ東方とうほう肥沃ひよく農村のうそん地帯ちたい中心ちゅうしん都市としである。オロネツキー地区ちく大半たいはん森林しんりん湖沼こしょうであり、林業りんぎょう鉱業こうぎょうはこのまちしゅ産業さんぎょうひとつとなっている。また家畜かちく毛皮けがわ動物どうぶつ飼育しいくさかんである。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]