カスティーリャ・ラ・ビエハ

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あかられた部分ぶぶんが、カスティーリャ・ラ・ビエハ
1770ねんもちいられていた地図ちずきゅう地方ちほうめい記載きさいされている

カスティーリャ・ラ・ビエハスペイン:Castilla la Vieja、きゅうカスティーリャ)とは、スペインふる地方ちほうめいである。セントラル山地さんち北部ほくぶカスティーリャ北部ほくぶ相当そうとうする。

政治せいじてき分割ぶんかつされたけんとしては、サンタンデールけんスペインばん現在げんざいカンタブリアしゅう)、ブルゴスけんログローニョけんスペインばん現在げんざいラ・リオハしゅう)、ソリアけんアビラけんセゴビアけんバリャドリッドけんパレンシアけんにあたる。歴史れきしてきなカスティーリャ王国おうこく建国けんこくされたのは、9世紀せいきのことで、現在げんざいのカンタブリアしゅうアラバけん、ブルゴスけん地域ちいきにまたがっていた。

18世紀せいきカルロス3せいはカスティーリャ王国おうこくをブルゴス、ソリア、アビラ、バリャドリッド、パレンシアのかくけん分割ぶんかつした。

1833ねん11月、ハビエル・デ・ブルゴスによるおうれい改正かいせいで、スペインのけん基礎きそ設定せっていされた。このおうれいでは、ログローニョとサンタンデールがカスティーリャ・ラ・ビエハにふくまれていた。

1855ねんおうれい改正かいせいでは、スペインが49けん分割ぶんかつされ、バリャドリッドとパレンシアの2けんレオン王国おうこくりょうとされた。そのいく改正かいせいくわえられたが、この分割ぶんかつ方法ほうほうが20世紀せいきなかばまで、スペインの百科ひゃっか事典じてん地理ちりがく教科書きょうかしょ反映はんえいされていた。

1983ねんカスティーリャ・イ・レオンしゅう成立せいりつすると、カスティーリャは別々べつべつのアイデンティティーのおおくがうしなわれた。その一方いっぽうで、レオンはカスティーリャのだい部分ぶぶん政治せいじてき統合とうごうされた。また、サンタンデールけんはカスティーリャから分離ぶんりしてカンタブリアしゅうとなり、ログローニョけんはラ・リオハしゅうとなった。