(Translated by https://www.hiragana.jp/)
カルキディケーのクセノピロス - Wikipedia コンテンツにスキップ

カルキディケーのクセノピロス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニュルンベルク年代ねんだい』において中世ちゅうせい学者がくしゃふうえがかれたクセノピロス[1]

カルキディケークセノピロスXenophilus, Ξενόφιλος; 紀元前きげんぜん4世紀せいき)は、 ピュタゴラス哲学てつがくしゃ音楽家おんがくか[2]アウルス・ゲッリウスせつによると、クセノピロスはアリストクセノスしたしくまじわったとされ、また、アリストクセノスにピュタゴラスおしえをさづけたのはクセノピロスであった可能かのうせいがあるとされる[3]。クセノピロスは、ピュタゴラスがくみつるつらなる最後さいご世代せだいぞくしていたとわれており、紀元前きげんぜん4世紀せいきアテーナイんでいたことがられるたった一人ひとりのピュタゴラス人物じんぶつである[4]ディオゲネス・ラエルティオス引用いんようするアリストクセノスによると[注釈ちゅうしゃく 1]、クセノピロスがあるひとに、息子むすこ教育きょういくする最善さいぜん方法ほうほうたずねられたとき、クセノピロスは、「ご子息しそくを、よく統治とうちされたくに市民しみんにすることですな」とこたえたという[5]サモサタ英語えいごばんルキアノスさくかえせられている文献ぶんけん[注釈ちゅうしゃく 2]推定すいていするところによると、アリストクセノスは「クセノピロスは105さいまできた」とったとされる[6]。クセノピロスは意外いがいなことに、ルネサンス非常ひじょう尊敬そんけいされ、人気にんきのある哲学てつがくしゃになったが、その背景はいけいにはだいプリニウスが「クセノピロスはやまいかかることなく105さいまできた」と主張しゅちょうしたことがあるのはあきらかである[7]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ アリストクセノス著作ちょさく一部いちぶのぞいてほぼすべてうしなわれており、このエピソードの引用いんようもともまたうしなわれている。
  2. ^ にせルキアノス, Pseudo-Lucian

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ Die Schedelsche Weltchronik, 079
  2. ^ Kathleen Freeman, 1983, Ancilla to the pre-Socratic philosophers, page 81, Harvard University Press
  3. ^ Aulus Gellius, Noctes Atticae, iv. 11
  4. ^ David E. Hahm, 1977, The origins of Stoic cosmology, page 225.
  5. ^ Diogenes Laërtius, viii. 15-16
  6. ^ Pseudo-Lucian, Macrobii, 18; cf.
  7. ^ Kevin Patrick Siena, Sins of the flesh: responding to sexual disease in early modern Europe, page 95.