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ガムラ・ウプサラ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガムラ・ウプサラは、考古学こうこがくてき遺跡いせき数多かずおお地域ちいきである。

ガムラ・ウプサラガムラ・ウップサーラとも)(Gamla Uppsala [ˈɡâmːla ˈɵ̂pːˌsɑːla])(「Old Uppsala、ウプサラ」の)は、スウェーデンウプサラ郊外こうがいにあるまちである。2016ねん人口じんこうは17,973にんであった。

歴史れきし[編集へんしゅう]

3世紀せいきから4世紀せいきにかけて、そこは宗教しゅうきょうめん経済けいざいめん政治せいじめん重要じゅうよう中心ちゅうしんであった。[1]

また、ふる時代じだい文書ぶんしょつたえるところでは、先史せんし時代じだいのガムラ・ウプサラは、神話しんわ伝説でんせつ時代じだいユングリング王朝おうちょうぞくするスウェーデンおう居住きょじゅうする場所ばしょとして、すでに北欧ほくおうでは有名ゆうめいだった。[2]

実際じっさいに、北欧ほくおうについての最古さいこ記録きろくたとえば『ユングリンガ・タル』(en:Ynglingatal)、『Westrogothic law[3]、『ギュータサガ』(en:Gutasaga)[4]は、スウェーデンのおうして「ウプサラのおう」といっている。[5]

中世ちゅうせい時代じだい、そこはウップランド(Uppland)でもっとおおきな村落そんらくであった。その東部とうぶが、初期しょきころにスウェーデン王家おうけ地所じしょふく合体がったいかく構成こうせいしていただろうとかんがえられる。 そしていわゆるUppsala ödは、kungsgården、つまり国王こくおう地所じしょから地域ちいきであった。[6]

そこはまた、先史せんし時代じだいから中世ちゅうせいにかけて、2がつ下旬げじゅんから3がつ上旬じょうじゅん開催かいさいされる総会そうかいぜんスウェーデン集会しゅうかい」(en:Thing of all Swedes)の場所ばしょでもあった。[7] 集会しゅうかいは、Distingばれる盛大せいだい市場いちばとともに開催かいさいされた。また、ふるかみ々を信仰しんこうする人々ひとびと祝賀しゅくがまつりDísablót女神めがみへのきょう犠)とばれた。[8][9]

Upplandの法律ほうりつ(en:Law of Uppland)のつたえるところでは、おうなつあいだleidangぜいとして労働ろうどう提供ていきょうするシステム)として戦争せんそうのために人々ひとびと召集しょうしゅうすると宣言せんげんしたのは、この集会しゅうかいでのことだった。 また集会しゅうかいにおいてふね乗組のりくみいんしゅ指揮しきかん決定けっていされた。[10]

この場所ばしょふるかみ々への信仰しんこう中心ちゅうしんであったので、キリスト教きりすときょうすすなか1164ねん最初さいしょのスウェーデン大司教だいしきょうかれた。[11]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Hadenius, Stig; Nilsson, Torbjörn & Åselius, Gunnar. (1996ねん). Sveriges historia. Centraltryckeriet, Borås. ISBN 91-34-51-857-6 p. 83:
      Uppsala, från 200- och 300-talen ett betydande ekonomiskt, religiöst och politiskt centrum i Mälardalen [...].   英訳えいやく和訳わやく: ウプサラは、3世紀せいきから4世紀せいきにかけて、メーラレン(Mälaren)盆地ぼんちにおいて経済けいざいてき宗教しゅうきょうてき政治せいじてき重要じゅうよう中心ちゅうしんであった。
  2. ^ ナショナルエンスィークロペディーンの「Gamla Uppsala」の記事きじ細目さいもくHistoria」(1992ねん):
      Tidiga skriftliga källor visar att G. redan under forntiden var vittberömt i Norden som säte för sveakungarna av den mytomspunna Ynglingaätten.   英訳えいやく和訳わやく: 初期しょきかれた文献ぶんけんにより、先史せんし時代じだいというはや時期じき、G.は伝説でんせつてきなユングリング王朝おうちょうのスウェーデンおう居住きょじゅうとして北欧ほくおう国々くにぐにではひろ有名ゆうめいであったことがあきらかとなった。
  3. ^ 13世紀せいき成立せいりつした、スウェーデンのいち地方ちほう法律ほうりつ
  4. ^ 13世紀せいき成立せいりつした、ゴトランドとう歴史れきしあつかうサガ。
  5. ^ Gamla Uppsalaスウェーデン国立こくりつ歴史れきし博物館はくぶつかんのオフィシャルサイトないより2007ねん1がつ19にち検索けんさくされた記事きじ):
      Svearikets kung omtalas som kungen i Uppsala bl a i Ynglingatal, Gutasagan och Äldre Västgötalagens bihang om gränsdragning.   英訳えいやく和訳わやく: ユングリンガ・タルで、ギュータサガで、そして国境こっきょう確定かくていかんするWestrogothicほう付表ふひょうで、スウェーデンおうかならずウプサラのおうとして言及げんきゅうされる。
  6. ^ ナショナルエンスィークロペディーンの「Gamla Uppsala」の記事きじ細目さいもくHistoria」(1992ねん):
      Under medeltiden var G. Upplands största by, vars östra del ursprungligen torde ha bildat kärnan i det s.k. Uppsala öd, kronans godskomplex, och vars västra del utgjorde själva kungsgården.   英訳えいやく和訳わやく: 中世ちゅうせい時代じだい、G.はUpplandでもっとおおきなむらであり、その東部とうぶ一部いちぶ初期しょき君主くんしゅ地所じしょふく合体がったい、いわゆるUppsala ödの中心ちゅうしんであったはずで、また西部せいぶはその地域ちいき自体じたい国王こくおう地所じしょからっていた。
  7. ^ スウェーデンの国立こくりつ歴史れきし博物館はくぶつかんのオフィシャルサイトないの「Landsting」の記事きじ
  8. ^ Nordisk familjebok事典じてん」の「Disatinget」にかんする記事きじ
  9. ^ Nordisk familjebok事典じてん」の「Disablot」にかんする記事きじ
  10. ^ Söderberg, Werner. (1896ねん)。 「Samlaren」の「"Några studier rörande Disasagan"」、67ぺーじ
  11. ^ "KG Hammar fick vänta", 新聞しんぶん「Kyrkans Tidning」、2005ねん5がつ14にちづけ

参考さんこう文献ぶんけん英語えいごばん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]