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ジェームス・ダグラス

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ジェームス・ダグラス
基本きほん情報じょうほう
本名ほんみょう ジェームス・ダグラス
通称つうしょう バスター(Buster)
階級かいきゅう ヘビーきゅう
身長しんちょう 192cm
リーチ 211cm
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
誕生たんじょう (1960-04-07) 1960ねん4がつ7にち(64さい
出身しゅっしん オハイオしゅうコロンバス
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績せんせき
そう試合しあいすう 46
38
KO 25
6
1
無効むこう試合しあい 1
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ジェームス・ダグラス

ジェームス・ダグラスJames Douglas1960ねん4がつ7にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく男性だんせいプロボクサーオハイオしゅうコロンバス出身しゅっしん。“バスター”(破壊はかいしゃ)のニックネームでばれる。

ちちビル・ダグラス(Billy Douglas)もミドルきゅうもと世界せかいランカーで来日らいにち経験けいけんのある親子おやこボクサーでもあった。

1990ねん2がつ11にち東京とうきょうドーム当時とうじ無敗むはいWBAWBCIBF世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃマイク・タイソンからKOちで王座おうざ奪取だっしゅした[1]

来歴らいれき

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高校こうこうコミュニティ・カレッジではバスケットボールの選手せんしゅだった。

1981ねん5月31にち、21さいでプロボクシングデビュー。

1987ねん5月30にち空位くういIBF世界せかいヘビーきゅう王座おうざトニー・タッカーあらそい、10かいTKOけ。

1990ねん2がつ11にちマイク・タイソンWBAWBC・IBF世界せかいヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせんし、10かいKOちで王座おうざ獲得かくとくマイク・タイソン たい ジェームス・ダグラスせん[2]リングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤー選出せんしゅつされた。強打きょうだおそれられたタイソンに勇気ゆうきってかい、タイソンをはじめてやぶった選手せんしゅとなった。しかしこの試合しあいはダグラスがダウンしたさい実質じっしつ13びょうのロングカウントがされたとされ、試合しあい法廷ほうてい闘争とうそう発展はってん。「疑惑ぎわくのロングカウント」によりダグラス自身じしんもボクサーとして正当せいとう評価ひょうかられなかった。タイソンせんめぐっての法廷ほうてい闘争とうそうのちに1度目どめ引退いんたいいたるまで深刻しんこく精神せいしんてきダメージをあたえた。ダグラスは当時とうじを「わたしはチャンピオンになったが、それは悪夢あくむだった」とかえっている[3][4]

1990ねん2がつ23にち、プロレス団体だんたいWWE当時とうじWWF)に特別とくべつレフェリーとして出演しゅつえん試合しあいさばいた。元々もともとはタイソンが特別とくべつレフェリーをつとめる予定よていだったが、KOけしたことでダグラスがわりをつとめることになった。

タイソンとプロモーターのドン・キングが再戦さいせん要求ようきゅうしたが、ダグラスはその要求ようきゅうってイベンダー・ホリフィールドと対戦たいせんすることを選択せんたくした。

1990ねん10がつ25にちイベンダー・ホリフィールドに3かいKOけし、王座おうざから陥落かんらく試合しあいに1度目どめ引退いんたい表明ひょうめいする。ダグラスはこの試合しあいで2460まんドルのファイトマネーをかせいだ[3]番狂ばんくるわせで世界せかいチャンピオンにのぼめたことで環境かんきょう激変げきへんし、コンディション調整ちょうせい失敗しっぱい理由りゆうであった。この敗戦はいせんでダグラスの評価ひょうか一段いちだんがり、メディアでは「まぐれでタイソンにったおとこ」とひょうされるようになった[3]

引退いんたい体重たいじゅうが400ポンド(やく180キロ)ちかくにたっし、うつびょう発症はっしょう。これにくわえアルコール依存いぞんしょうとなり糖尿とうにょうびょう併発へいはつした。一時いちじ生死せいしをさまようほど病状びょうじょう悪化あっかし、ダグラスは当時とうじを「人生じんせい関心かんしんだった」とかえっている[3]。このためトレーニングを再開さいかい

1996ねん6月22にち、6ねんぶりに現役げんえき復帰ふっきし、復帰ふっきせんから6連勝れんしょう記録きろく

1998ねん6月25にちルー・サバリースとのマイナータイトルのIBAヘビー王座おうざ決定けっていせんで、3のダウンをうばわれ初回しょかいKOけ。

1999ねん、2度目どめ引退いんたい

現在げんざい現役げんえき時代じだいわずらった糖尿とうにょうびょういながら、出身しゅっしんのオハイオしゅうコロンバスのコミュニティーセンターでボクシングのインストラクターをしている[3]

戦績せんせき

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  • プロボクシング: 46せん 38しょう(25KO) 6はい 1ふん 1NC

獲得かくとくタイトル

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  • WBA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ
  • WBC世界せかいヘビーきゅう王座おうざ
  • IBF世界せかいヘビーきゅう王座おうざ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ タイソンvsダグラスから30ねん。「あれはロングカウントではなかった」。レフェリーがかす疑惑ぎわく真実しんじつ(三浦みうら勝夫かつお)”. Yahoo!ニュース (2020ねん2がつ14にち). 2021ねん6がつ3にち閲覧えつらん
  2. ^ 世界せかいヘビーきゅう統一とういつ王者おうじゃマイク・タイソンが東京とうきょうドームでジェームス・ダグラスにKOけ/今日きょうは?”. 日刊にっかんスポーツ (2024ねん2がつ11にち). 2024ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e 世紀せいき番狂ばんくるわせ」から30ねん タイソンをたおしたおとこ、ダグラスの栄光えいこう苦闘くとうとは”. J-CASTニュース (2020ねん2がつ16にち). 2020ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  4. ^ マイク・タイソンがリング復帰ふっき波乱万丈はらんばんじょうのボクシング人生じんせい”. 【SPAIA】スパイア (2020ねん5がつ2にち). 2020ねん11月16にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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ぜん王者おうじゃ
マイク・タイソン
WBA世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃ

1990ねん2がつ11にち - 1990ねん10がつ25にち

王者おうじゃ
イベンダー・ホリフィールド
ぜん王者おうじゃ
マイク・タイソン
WBC世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃ

1990ねん2がつ11にち - 1990ねん10がつ25にち

王者おうじゃ
イベンダー・ホリフィールド
ぜん王者おうじゃ
マイク・タイソン
IBF世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃ

1990ねん2がつ11にち - 1990ねん10がつ25にち

王者おうじゃ
イベンダー・ホリフィールド