スティーヴ・マーカス

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スティーヴ・マーカス
Steve Marcus
生誕せいたん (1939-09-18) 1939ねん9月18にち
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく ニューヨークしゅうブロンクス
死没しぼつ (2005-09-25) 2005ねん9月25にち(66さいぼつ
ジャンル ジャズ
職業しょくぎょう ミュージシャン
担当たんとう楽器がっき サクソフォーン
レーベル Vortex
共同きょうどう作業さぎょうしゃ バディ・リッチ

スティーヴ・マーカスSteve Marcus1939ねん9月18にちニューヨークしゅうブロンクス - 2005ねん9月25にちペンシルベニアしゅうニューホープ)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくジャズサクソフォーン奏者そうしゃ

リーダーとしてのかれ最初さいしょのアルバムには、ビートルズきょくトゥモロー・ネバー・ノウズ」のアレンジばんふくまれていた。かれはジャズ・ドラマーのバディ・リッチと、その人生じんせいにおける最後さいごの12年間ねんかん一緒いっしょ仕事しごとした。リッチの死後しご、マーカスはそのバンドをいで、バディズ・バディーズ(Buddy's Buddies)と改名かいめいしてひきいた[1]

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

リーダー・アルバム[編集へんしゅう]

  • 『トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ』 - Tomorrow Never Knows (1968ねん、Vortex)
  • 伯爵はくしゃくとロック』 - Count's Rock Band (1968ねん、Vortex)
  • 『ローズ・プレイヤー』 - The Lord's Prayer (1969ねん、Vortex)
  • 『グリーン・ライン』 - Green Line (1970ねん、Nivico)
  • 『サムシング』 - Something (1971ねん日本にほんコロムビア) ※with 稲垣いながき次郎じろうとソウル・メディア
  • 『サムタイム・アザー・ザン・ナウ』 - Sometime Other Than Now (1976ねん、Flying Dutchman)
  • Steve Marcus & 2o1 (1992ねん、Red Baron)
  • Smile (1993ねん、Red Baron)
  • Count's Jam Band Reunion (2001ねん、Tone Center)
  • Steve Marcus Project (2007ねん、Mighty Quinn Productions)

参加さんかアルバム[編集へんしゅう]

ゲイリー・バートン

  • 『テネシー・ファイアーバード』 - Tennessee Firebird (1966ねん、RCA)

ラリー・コリエル

  • 『ベアフット・ボーイ』 - Barefoot Boy (1971ねん)
  • 『オファリング』 - Offering (1972ねん)
  • 『リアル・グレイト・エスケープ』 - The Real Great Escape (1973ねん)

ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ

  • 『ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ』 - The Jazz Composers Orchestra (1968ねん、JCOA)

スタン・ケントン

  • 『ジーン・ターナー・ウィズ・スタン・ケントン・オーケストラ』 - Stan Kenton / Jean Turner (1963ねん、Capitol)
  • 『アーティストリー・イン・ボサノバ』 - Artistry in Bossa Nova (1963ねん、Capitol)

ハービー・マン

  • 『ウィスキー・ア・ゴー・ゴーのハービー・マン』 - Live at the Whisky a Go Go (1969ねん、Atlantic)

ボブ・シール・コレクティヴ

  • Lion-Hearted (1993ねん)

ヤング・ラスカルズ

  • ゆめみる若者わかもの』 - Once Upon a Dream (1968ねん、Atlantic)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Obituary: Steve Marcus”. The Guardian (2005ねん10がつ23にち). 2019ねん1がつ16にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]