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タリーカ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナクシュバンディー教団きょうだんのスィルスィラ

タリーカおもね: طريقة‎)とは、イスラム教いすらむきょうにおいて、スーフィーひきいるスーフィズム教団きょうだんす。

概説がいせつ

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元々もともと「タリーカ」というかたりは、アラビアで「みち」を意味いみするが、それが各種かくしゅのスーフィズムの修行しゅぎょう道程どうていすようになり、ひいてはスーフィズムの教団きょうだん共同きょうどうたいそのものをすようになった[1]

修行しゅぎょうしゃはバイアとばれる師弟していちかいをわすことでターリカに参加さんかすることができる。ターリカの修行しゅぎょう階梯かいていてき構成こうせいになっており、修行しゅぎょう完遂かんすいするとイジャーザとばれる免状めんじょう発行はっこうされ、次世代じせだいへのおしえの伝授でんじゅ許可きょかされる。こうした連綿れんめんつづ師弟してい関係かんけい系譜けいふにしたものがスィルスィラである。スィルスィラの頂点ちょうてんには預言よげんしゃムハンマドがあり、そのタリーカのイスラームてき正統せいとうせい担保たんぽするものとなっている[2]

タリーカ成立せいりつ歴史れきし

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9世紀せいきなかばから10世紀せいきなかばにかけて、スーフィズムの思想しそう体系たいけい確立かくりつされた。スーフィズムには「たないものには悪魔あくまとなる」という言葉ことばがあり、単独たんどくでの修行しゅぎょう非常ひじょう危険きけん行為こういかんがえられた。スーフィズムはその成立せいりつ当初とうしょから、すでかみとの合一ごういつたした導師どうしと、しょう人数にんずう弟子でし構成こうせいされる共同きょうどうたい形成けいせいしていた。修行しゅぎょう内容ないよう導師どうし方針ほうしんによってある程度ていどことなったが、方法ほうほうろん自体じたいすで体系たいけいてき確立かくりつしていた。この方法ほうほうろん本来ほんらいの「ターリカ」とばれるものである[3]

12世紀せいきごろから、各種かくしゅのスーフィズム教団きょうだん共同きょうどうたい)としてのタリーカがイスラムけんにおいて出現しゅつげんはじめた。 タリーカの名称めいしょうおおくは、精神せいしんてき指導しどうしゃシャイフ)や創始そうししゃ名前なまえがとられることおおかった[4]。タリーカのメンバーは道場どうじょう定期ていきてきあつまり、スーフィズム教義きょうぎ学習がくしゅう集団しゅうだんでの修行しゅぎょうおこなった。

13世紀せいきから17世紀せいきにかけてタリーカは大型おおがたし、ウマル・スフラワルディーペルシアばんアラビアばん英語えいごばんいた『知恵ちえ恩恵おんけい』とばれる修行しゅぎょう手引てびきしょひろ採用さいようされた。初期しょきスーフィズム以来いらい隠遁いんとん生活せいかつ独身どくしん主義しゅぎ習慣しゅうかん放棄ほうきした流派りゅうはえ、その組織そしき次第しだい官僚かんりょうしていった。やがて指導しどうしゃ世襲せしゅう一般いっぱんされ、タリーカはゆっくりと衰退すいたいしていったが[4]分岐ぶんき伝播でんぱかえしながら現在げんざいまで存続そんぞくしている組織そしき数多かずおおくある。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • ティエリー・ザルコンヌフランス語ふらんすごばん『スーフィー:イスラームの神秘しんぴ主義しゅぎしゃたち』そうもとしゃさい発見はっけん双書そうしょ〉、2011ねんISBN 9784422212128 
  • 高橋たかはしけい『スーフィー教団きょうだん民衆みんしゅうイスラームの伝統でんとう再生さいせい山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ〈イスラームをる〉、2014ねんISBN 9784634474765 

関連かんれん項目こうもく

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