(Translated by https://www.hiragana.jp/)
タースーアー - Wikipedia コンテンツにスキップ

タースーアー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

タースーアーアラビア: تاسوعاء, translit. Tāsū‘ā’)とは、シーアさん代目だいめイマーム・フサイン殉教じゅんきょうした前日ぜんじつす。イスラームれきムハッラムつき9にち。このタースーアーの翌日よくじつアーシューラーといわれ、この2日間にちかん、シーア地域ちいきでは追悼ついとう儀式ぎしきおこなわれる。フサインの異母いぼ兄弟きょうだいであるアッバースの殉教じゅんきょう忠誠ちゅうせいしん追悼ついとうささげられる[1]

歴史れきし[編集へんしゅう]

タースーアーの数日すうじつまえから、ウマイヤあさカリフヤズィードが派遣はけんした軍勢ぐんぜいは、イマーム・フサインとその一族いちぞくすすみちをふさいでいた。ムハッラムがつ7にち以降いこう、ウマイヤあさカリフヤズィードが派遣はけんした軍勢ぐんぜいにより、フサインの軍勢ぐんぜいみずれることができずにいた。ウマイヤあさカリフヤズィードが派遣はけんした軍勢ぐんぜいがフサインたちにたいしこのような圧力あつりょくをかけたのは、フサインに、ヤズィードへの忠誠ちゅうせいちかわせるためであった。しかし、フサインはけっして、この忠誠ちゅうせいちかいにくっすることはなかった[2]

タースーアーの、ウマイヤあさカリフヤズィードが派遣はけんした軍勢ぐんぜいがフサインのテントへやってきた。フサインは異母いぼ兄弟きょうだいであるアッバースかれらのもとへとおくり、その意図いとさぐらせると、ウマイヤあさカリフヤズィードが派遣はけんした軍勢ぐんぜいはフサインたちをころそうとしていることがかった。フサインはふたたびアッバースをかれらのもとにおくり、このよるかみへの礼拝れいはいによってごすため、襲撃しゅうげきいちばんおくらせるようもとめた。このときてきぐん使つかいがやってきて、フサインの軍勢ぐんぜいかってこうさけんだ「我々われわれ明日あしたまであなたかた猶予ゆうよあたえよう。あなたかた降伏ごうぶくすれば、あなたかたをイブン・ズィヤードのもとにれてくが、もし降伏ごうぶくせず、忠誠ちゅうせいちかうことをこばめば、あなたかたたたかうことになる。」[2]

そしてこのタースーアーの、フサインはきょう友達ともだち最後さいご通告つうこくをした。フサインはきょう友達ともだちをテントにあつめてこういった。「ヤズィードの軍勢ぐんぜいねらっているのはわたしだけだ。あなたかたよるやみ使つかい、ここからとおざかりなさい」

フサインがこうえると、きょう友達ともだちはフサインに忠誠ちゅうせいちかった。そしてフサインはこうった。「わたし自分じぶんきょうともたちほど誠実せいじつですばらしい仲間なかまたことはない。自分じぶん一門いちもんほど、すばらしい一門いちもんにもあったことがない。かみがあなたかたすべてにぜんさづけてくださるように。」[2]

さらにこの、アッバースがテントのそとて、女性じょせいどもたちのためにかわみずみにったという出来事できごときた。テントのそとてき軍勢ぐんぜい包囲ほういしており、かわ待機たいきしていた。アッバースはこの危険きけんなかみずみ、自分じぶんいちてきむことなくテントへはこんだといわれている[3]

そのため、現在げんざいも、タースーアーのはこのアッバースの気高けだか地位ちい敬意けいいあらわし、その殉教じゅんきょう忠誠ちゅうせいしん追悼ついとうささげられ、哀歌あいかうたわれる[2]

イランにおけるタースーアー[編集へんしゅう]

イランでは、このタースーアーとアーシューラーの追悼ついとう儀式ぎしき盛大せいだいおこなわれる。人々ひとびとみなくろふくにまとい、フサインたち殉教じゅんきょうおもこす[4]くさりからだちつけたり(زنجیرزنی)、からだたたいたりするものもいる。

イラン国内こくないでも、ヤズドの追悼ついとう儀式ぎしき有名ゆうめいであるとされ、国内外こくないがいからおおくの人々ひとびと追悼ついとう儀式ぎしき参加さんかしている[5]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ The day before Ashura 2016, Tasua photos”. 2018ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d タースーアーにせて”. 2018ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ タースーアー~イマームホサインの蜂起ほうきまで”. 2018ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  4. ^ Shiite Muslims Mark Tasua (+Photos)”. 2018ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ タースーアーとアーシュラー”. 2018ねん9がつ21にち閲覧えつらん