ライデンで生まれた。父親はフランドル出身のカリグラファーでフェンシングの教師でもあった。版画の下絵師として父親や銅版画家のジャック・デ・ヘイン(Jacques de Gheyn)の指導を受けた。アドリアン・フェルブルフ(Adriaan Verburg)というライデンの画家の弟子になった後[1] 、アムステルダムに移り肖像画家のコネリス・ファン・デル・フォールト(Cornelis van der Voort)の弟子になった。17世紀に画家たちの伝記を残したアルノルト・ホウブラーケンによれば、1608年の冬から、修行の旅に出て、フランクフルト、ニュルンベルク、アウグスブルク、ハンブルクを旅し、チロルを越えて、ヴェネツィアからローマに旅した。ローマからの帰途、5か月ほどヴェネツィアに滞在し1609年に再びアルプスを越えてドイツに入った。ドイツではブラウンシュヴァイク公らの貴族の王子の肖像画を描いた。
^David Bailii biography in De groote schouburgh der Nederlantsche konstschilders en schilderessen (1718) by Arnold Houbraken, courtesy of the Digital library for Dutch literature