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ティム・オーウェンズ

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ティム・オーウェンズ
Tim "Ripper" Owens
ブラジル・サンパウロ公演こうえん (2009ねん10がつ)
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい Timothy S. Owen
生誕せいたん (1967-09-13) 1967ねん9月13にち(56さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
オハイオしゅう アクロン
ジャンル ヘヴィメタル
職業しょくぎょう ボーカル
活動かつどう期間きかん 1990ねん - 現在げんざい
共同きょうどう作業さぎょうしゃ ジューダスプリースト
イングヴェイ・マルムスティーン
アイスド・アース
公式こうしきサイト http://www.timripperowens.com/

ティム・オーウェンズTim 'Ripper' Owens, 1967ねん9月13にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくオハイオしゅう出身しゅっしんヘヴィメタルボーカリスト本名ほんみょうはTIMOTHY S. OWENS。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

1993ねん当時とうじ、ウインターズ・ベインにヴォーカリストとして在籍ざいせきしていた。当時とうじはジェフ・テイト(もとクイーンズライク)ふうのヴォーカルとひょうされていた。よく1994ねん脱退だったい

ジューダス・プリースト時代じだい[編集へんしゅう]

バンド脱退だったいジューダス・プリーストのコピーバンドである『British Steel』でアマチュア活動かつどうをしていただけのキャリアから、いきなりロブ・ハルフォード後任こうにんとしてジューダス・プリーストに加入かにゅうしたことで一躍いちやく有名ゆうめいとなる。そのきっかけは、ジューダス・プリーストのドラマーであるスコット・トラヴィスが当時とうじロブの後任こうにんさがしに難航なんこうしていたバンドにせた1ほんのビデオテープだった(本人ほんにんおよびBritish Steelには無断むだんで)。ロンドンのスタジオでオーディションをおこない、「生贄いけにえ」の2ばんまでうたったところ、そく採用さいようまったという。
加入かにゅう、「ティム "リッパー" オーウェンズ」というステージネームを名乗なのっており、以降いこう通称つうしょうとしてリッパーともばれる。なお、加入かにゅう当時とうじからのうたは「きジャック」である。
ロブの後任こうにんのオーディションにはもとガンマ・レイげんプライマル・フィアラルフ・シーパースや、ロイヤル・ハントD.C.クーパーといった錚々たるメンバーが参加さんかしていたとされ、直前ちょくぜんまでコピーバンドをしていたティムがえらばれたことは意外いがい人選じんせんとして話題わだいになった。
ティム加入かにゅうだい1だんアルバム「ジャギュレイター」は前作ぜんさく「ペインキラー」の延長線えんちょうせんじょうにありながら、当時とうじ流行りゅうこうしていたモダン・ヘヴィネス(とくパンテラ代表だいひょうされるグルーヴ・メタル影響えいきょう顕著けんちょ)の要素ようそ多分たぶんふくんでおり、古参こさんのファンからは不評ふひょうだった。しかし、ティムのヴォーカリストとしてのちからみとめるファンはおおく、7ねんぶりのツアーは会場かいじょう縮小しゅくしょうされていながらも異様いようがりをせ、好評こうひょううち終了しゅうりょうした。このときのロンドン公演こうえんなどの様子ようす収録しゅうろくし、ライブアルバム「98ライブ・メルトダウン」としてリリースされている。つづく2001ねんのアルバム、「デモリッション」も、ジューダス・プリーストらしさにけた作品さくひん不評ふひょうい、ツアー規模きぼ縮小しゅくしょうするなどバンド全体ぜんたい人気にんき低迷ていめいまねいてしまう。なお、2019ねんにはティム在籍ざいせきのスタジオ・アルバム2さくとライヴアルバム1さくけい3さく欧米おうべいではほぼ廃盤はいばん状態じょうたいになっており、入手にゅうしゅ困難こんなんである。
ティムのサクセスストーリーを「メタル・ゴッド」というタイトルで映画えいがするという計画けいかくがり、具体ぐたいてき段階だんかいまですすんでいたが、内容ないよう軽薄けいはくであるとバンドがわ反発はんぱつしたこと、「メタル・ゴッド」という名称めいしょうはロブ・ハルフォードの登録とうろく商標しょうひょうであったことなどからプリーストがわ映画えいがとの関係かんけいち、結局けっきょくこの映画えいがは「ロック・スター」というタイトルで発表はっぴょうされた。

2003ねん、ロブが復帰ふっきすることがまり、ジューダス・プリーストを脱退だったい複数ふくすうのバンドからのさそいをけるも、最終さいしゅうてきアイスド・アース(Iced Earth)に加入かにゅうした。

プリースト脱退だったい[編集へんしゅう]

のち雑誌ざっしのインタビューでティムは「いずれロブは復帰ふっきするものだとおもっていたし、自分じぶんはジューダス・プリーストではあくまでやとわれシンガーだった。バンドは自分じぶんれたままつづけるべきだとおもうが、いちティム・オーウェンズとして活動かつどうするならいましかない」と、脱退だったい心境しんきょうけている。

そのあらたにビヨンド・フィア(BEYOND FEAR)を結成けっせいし、2006ねん3がつに『Beyond Fear』を発表はっぴょう2007ねんれにアイスド・アースを解雇かいこ

2008ねんイングヴェイ・マルムスティーンのバンドに加入かにゅうしたことが発表はっぴょうされた[1]翌年よくねん、アルバム『Perpetual Flame』にともなう、ディープ・パープルとのダブル・ヘッドライナーツアーで来日らいにち同年どうねんはつのソロアルバム『Play My Game』を発表はっぴょう[2]

2012ねんあき発売はつばいされたイングヴェイの作品さくひん『spellbound』のレコーディングに参加さんかせず、アルバム発表はっぴょう脱退だったいしていることがかされた。なお、前作ぜんさく(2010ねん)の『Relentless』にも制作せいさく直接ちょくせつ参加さんかしておらず、この作品さくひんでティムがうたっている楽曲がっきょくすべ前々まえまえさく『Perpetual Flame』のアウトテイクであった。

2020ねん、ジューダス・プリーストを脱退だったいしたK・K・ダウニング結成けっせいしたKK'sプリーストに加入かにゅうよく2021ねんにアルバム『Sermons Of The Sinner』を発表はっぴょう

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

ソロ
  • Play My Game (2009)
ウインターズ・ベイン名義めいぎ
  • Heart of a Killer (1993)
ジューダス・プリースト名義めいぎ
  • Jugulator (1997)
  • Demolition (2001)
アイスド・アース名義めいぎ
  • The Reckoning (2003)
  • The Glorious Burden (2004)
  • Overture of the Wicked (2007)
  • Framing Armageddon (Something Wicked Part 1) (2007)
イングヴェイ・マルムスティーン名義めいぎ
  • Perpetual Flame (2008)
  • High Impact (2009)
  • Relentless (2010)

多数たすう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]