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ノメンターナ街道かいどう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ノメンターナ街道かいどうあか)とサラリア街道かいどう(みどり)
ノメンターナ街道かいどうにあるノメンターノきょう。2008ねん洪水こうずい水位すいいがった状態じょうたい写真しゃしん

ノメンターナ街道かいどうVia Nomentana)は、イタリアにある古代こだいローマ街道かいどうの1つ。ローマから北東ほくとうのノメントゥム(現在げんざいメンターナ)まで、23kmのみちのりである。

もともとは、ローマとラテンじんむらフィクレア(Ficulea)とをむすぶ13kmのみちであり、Via Ficulnensis というばれていた。それがノメントゥムまで延長えんちょうされたのだが、重要じゅうよう街道かいどうにはならなかった。ノメントゥムからすうkmすすんだエレトゥム(Eretum現在げんざいモンテロトンド付近ふきん)でサラリア街道かいどう合流ごうりゅうしている。いまではメンターナまでは舗装ほそうされた道路どうろえられているが、かつてのローマ街道かいどう舗装ほそうなん箇所かしょかでのこっている。

もともとはセルウィウス城壁じょうへきコッリーナもん英語えいごばん現存げんそんしない)を起点きてんとしていたが、3世紀せいき皇帝こうていアルレリアヌスアウレリアヌス城壁じょうへきつくり、ノメンターナもん英語えいごばん起点きてんとするようになった。教皇きょうこうピウス4せいはノメンターナ街道かいどう起点きてんうつすことをめ、そのためにあらたにピアもん建設けんせつされた。

ローマきょう[編集へんしゅう]

この街道かいどう沿いのローマきょう (Roman bridgeとして、アニエーネがわわたノメンターノきょう英語えいごばん現存げんそんしている。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • T. Ashby in Papers of British School at Rome, iii.38 sqq.
  •  この記事きじにはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくうち著作ちょさくけん消滅しょうめつしたつぎ百科ひゃっか事典じてん本文ほんぶんふくむ: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Nomentana, Via". Encyclopædia Britannica (英語えいご). Vol. 19 (11th ed.). Cambridge University Press.

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]