ノート:李 登輝
「黒金 政治 」に関 する記述 の是非 について[編集 ]
11月13
- >
日本 では「親日 総統 」、「民主 化 総統 」として現在 でも絶大 な人気 を誇 るが、台湾 本国 では蒋経国 政権 ではほとんどなかっ>た汚職 が激増 し、「黒金 政治 」とも呼 ばれる状態 を招 いた事 や、自身 の汚職 疑惑 などの負 の側面 による批判 も根強 い。
についてですが、
台湾 本国 での李 登輝 政権 の評価 の中 には蒋経国 政権 時代 まではほとんどなかった汚職 が激増 し、「黒金 政治 」とも呼 ばれる状態 を招 いた事 や、彼 自身 の汚職 疑惑 などの負 の側面 を指摘 する声 も聞 かれる。
に
- 「
蒋経国 政権 時代 まではほとんどなかった汚職 」とありますが、国民党 は腐敗 と汚職 で中国人 民 に唾棄 されたのであって、さらに、『外来 政権 下 の生 と死 』などにもあるように、国民党 支持 者 以外 からは国民党 政権 が台湾 に来 てから台湾 に汚職 が蔓延 したと捉 えられています。「汚職 がほとんどなかった」というのは、なにか根拠 があるのでしょうか?新聞 報道 が増 えたという意味 であれば、独裁 体制 から民主 化 に向 かう中 で、メディアが自由 に報道 できるようになったと捉 えるべきであって、汚職 そのものが増 えたという風 に解釈 するのは、独裁 政権 下 における特殊 なメディア事情 を理解 していないと思 われます。 - つまり“「
黒金 政治 」とも呼 ばれる状態 を招 いた”と事実 であるかのように書 いているのは中立 性 を欠 いています。事実 認識 、そして、李 登輝 氏 との因果 関係 について説得 力 がありません。台湾 本国 での李 登輝 政権 の評価 の中 には「蒋経国 政権 時代 まではほとんどなかった汚職 が激増 し、『黒金 政治 』とも呼 ばれる状態 を招 いた」という声 や、彼 自身 の汚職 疑惑 などの負 の側面 を指摘 する声 も聞 かれる。
- というかたちで、
復帰 させたいのであれば、事実 かどうか未確認 であるということを示 す必要 があります。--以上 の署名 のないコメントは、219.15.64.89(会話 ・投稿 記録 )さんが 2004年 11月24日 (水) 09:25 (UTC) に投稿 したものです。
- レスありがとうございます
- >「
汚職 がほとんどなかった」というのは、なにか根拠 があるのでしょうか?
- >「
蒋経国 は一時 父 と仲違 いして共産党 に走 っていた時期 があったという事情 も手伝 って、汚職 に対 するスタンスも父 とは違 っていて、父 と仲直 りした後 になってもその政権 運営 に共産 主義 的 価値 観 を踏襲 してる側面 があります。蒋経国 は大陸 時代 の1939年 に江西 省 贛県の省 長 に赴任 後 、典型 的 な「貪 官 汚吏 」の土地 柄 だった贛県で地元 有力 者 の誘惑 を撥 ね退 けて賭博 やアヘン、売春 の取 り締 まりに成果 を上 げ、その性急 ぶりは「中国 版 ソ連 社会 主義 」と揶揄 する者 もいたようです。戦後 になっても上海 で経済 監督 官 として不正 暴 きをしようとしたものの、父 ・蒋介石 直系 の特務 や義母 ・宋 美 齢 の権益 まで侵 そうとしたために妨害 が入 り、うまくはいかなかったそうです。台湾 に移 って中華民国 行政 院長 に就任 してもこの種 のスタンスはあまり変 わらず、父 の実務 を委譲 された時 には蒋介石 のお気 に入 りだった高官 にまで摘発 がおよんだといいます。台湾 人 の間 では蒋経国 時代 は政界 と財界 の往来 は厳 しく制限 された事 から清廉 潔白 なイメージを持 たれているようです。- とはいえ
今 の台湾 社会 が蒋経国 時代 を懐 かしむ事 はあっても、特務 が幅 を利 かせた恐怖 政治 の時代 に戻 りたいという人 もこれまたいない事 は確 かでしょうけど。
- レスありがとうございます
李 登輝 に話 を戻 しましょうか・・・国民党 はかつて全国 に張巡 らされた特務 システムを通 じて恐怖 政治 を維持 してきました。- しかし
民主 化 後 には国民党 も選挙 を通 じて政権 維持 を図 る必要 から、集 票 システムとして地元 暴力団 や財界 に傾斜 するようになります。この傾向 は李 登輝 時代 の前半 から指摘 されていて、国民党 は「黒金 」への依存 を強 める事 になります。 - いわば
李 登輝 時代 は民主 化 の一方 で別 の形 での腐敗 のシステムが確立 されたという側面 がある訳 ですね。 実際 、蒋経国 時代 には規制 されていた政界 と財界 の往来 も緩和 されて腐敗 の土壌 がひとつ増 えたという指摘 もされています。これらの理由 から本省 人 まで含 めた李 登輝 批判 が存在 する事 は確 かです。
戒厳 令 下 の独裁 政権 から民主 政権 に変 わって報道 が自由 になったという事情 を加味 しても、李 登輝 ほど金 にまつわる噂 が多 い総統 も珍 しいと言 わざるをえません。フランスからのフリゲ ート艦 購入 時 や国民党 の資金 運用 の一環 の投資 プロジェクトなどの際 の李 登輝 へのキックバック疑惑 や総統 府 直属 の国家 安全 局 が李 登輝 承認 のもとで秘密 講座 を開設 、裏金 を日米 政界 へのロビー活動 に使用 していた疑惑 。これらの真相 はいまでも闇 に包 まれています。
李 登輝 は2003年 秋 に複数 の疑獄 事件 で証人 として出廷 しています。彼 はすべての疑惑 に対 して「我 関 せず」と無関係 を強調 し、不正 資金 の有無 、責任 の所在 については口 をつぐんだままです。この辺 の事情 についてどこまで本文 で触 れるのか議論 を続 けたいと思 います。- まあ、
李 登輝 は歴史 上 の重要 人物 でもある事 ですし、全体 に記述 をもっと分厚 くした方 がいいと思 っていた事 ですし、 - この
議論 が有意義 な物 になる事 を願 ってやみません。219.16.228.50 2004年 11月29日 (月) 17:26 (UTC)
上記 の提案 についてのご意見 が現在 のところないようなので一応 復帰 しました。上記 の提案 の妥当 性 についてのご意見 ・ご叱正 は引 き続 き承 る所存 です。219.16.228.50 2004年 12月28日 (火) 04:58 (UTC)
共産 部分 の削除 表明 と、政治 手腕 への意見 [編集 ]
日本 での軍 歴 について[編集 ]
- そもそも「
習志野 陸軍 予備 士官 学校 」なるものの存在 があやしい。 仮 に上記 の予備 士官 学校 が存在 したとしても1945年 (昭和 20年 )7月 以降 であるはず。名古屋 で少尉 として終戦 を迎 えるには7月 に上記 学校 にいたのでは期間 が短 すぎる。- 「
日本 陸軍 予備 士官 第 11期生 」は「陸軍 予備 士官 学校 第 11期生 」ではないのか。 見習 士官 は陸軍 予備 士官 学校 を卒業 した後 に任 ぜられるもので表現 が不自然 。
外部 リンク修正 [編集 ]
「
- http://www.siliconinvestor.com/stocktalk/msg.gsp?msgid=19780611に
{{リンク
のタグを切 れ}}追加 - http://www.okinawatimes.co.jp/spe/kaizu20020924.htmlにアーカイブ(https://web.archive.org/web/20070911113211/http://www.okinawatimes.co.jp/spe/kaizu20020924.html)を
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