ハフナルフィヨルズゥル

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ハフナルフィヨルズゥル

Hafnarfjörður
ハフナルフィヨルズゥルの紋章
紋章もんしょう
アイスランド内の位置
アイスランドうち位置いち
北緯ほくい644ふん0びょう 西経せいけい2157ふん0びょう / 北緯ほくい64.06667 西経せいけい21.95000 / 64.06667; -21.95000
くに アイスランドの旗 アイスランド
面積めんせき
 • 合計ごうけい 10.24 km2
人口じんこう
(2023ねん推計すいけい[1]
 • 合計ごうけい 30,508にん
 • 密度みつど 3,000にん/km2
ひとしときおび UTC+0 (グリニッジ標準時ひょうじゅんじ)
郵便ゆうびん番号ばんごう
220, 221, 222
ウェブサイト hafnarfjordur.is

ハフナルフィヨルズゥルアイスランド:Hafnarfjörður)は、アイスランド南西なんせいがんだいレイキャヴィークにある都市としで、首都しゅとレイキャヴィークの10kmみなみ位置いちする。人口じんこうやく3まんにんだが、アイスランドではレイキャヴィーク、コーパヴォグルいで3番目ばんめ人口じんこうおおい。

歴史れきし[編集へんしゅう]

ハフナフィヨルズゥルの地名ちめいフィヨルドみなと意味いみし、天然てんねん良港りょうこうからこの地名ちめいいている。まち中世ちゅうせい土地とち記録きろくしょ14世紀せいきわりころのハフナフィヨルズゥルへの旅行りょこうしめされている。イギリスじん15世紀せいきにハフナフィヨルズゥルで商業しょうぎょうはじめたが、ドイツじん商人しょうにんって進出しんしゅつし、結果けっかてきにイギリスじんわれた。のち1602ねんまでハンザ商人しょうにん活動かつどうであった。このころデンマークはアイスランドに交易こうえき独占どくせん区域くいき確立かくりつし、18世紀せいき後半こうはんまで継続けいぞくした。この期間きかん、ハフナフィヨルズゥルはもっともさかえた交易こうえき中心ちゅうしんであった。1793ねんビャルニ・シベルトセン(Bjarni Sívertsen)がここに定住ていじゅうし、だい規模きぼ商業しょうぎょうてき漁業ぎょぎょうはじ国際こくさい取引とりひき地場じば産業さんぎょう影響えいきょうあたえた。かれ事業じぎょう指導しどうりょくまちでの印象いんしょうてき商売しょうばい開始かいし示唆しさした。それ以来いらい、ビャルニは「ハフナルフィヨルズゥルのちち」や「サービャルニ」などの愛称あいしょうけられている。1870年代ねんだい、アイスランドの漁業ぎょぎょう劇的げきてきわった。アイスランドの成長せいちょう傾向けいこうなか使用しようするふね小型こがたものから大型おおがたものわっていった。急速きゅうそく成長せいちょう雇用こようしゃやし、1908ねんハフナフィヨルズゥルは自治体じちたい地位ちいている。

だい世界せかい大戦たいせん、よりすすんだトロとろル船るせんおおくの動力どうりょくせん船団せんだんくわわっている。1973ねん最初さいしょ船尾せんびトロとろル船るせんまち登場とうじょうしている。今日きょう、ハフナフィヨルズゥルはアイスランド国内こくないでもおおきな漁業ぎょぎょう中心ちゅうしんひとつであり最大さいだい卸売おろしう市場いちばでもある。力強ちからづよ地元じもと経済けいざい漁業ぎょぎょう貨物かもつ輸送ゆそうかかわり著名ちょめいみなととなっている。アイスランドでは2番目ばんめ取引とりひきおお貿易ぼうえきみなとである。

産業さんぎょう[編集へんしゅう]

漁業ぎょぎょう貿易ぼうえきこうほかリオ・ティント・アルキャンによりアルミ精錬せいれんおこなわれている。1969ねんより精錬せいれんしょ設置せっちされた。

みどころ[編集へんしゅう]

ハイフナフィヨルズゥルはアイスランドのロックンロール中心ちゅうしん都市としおおくのバンドがここを起点きてんとしている。また、毎年まいとしヴァイキングまつりがひらかれ愛好あいこうによるヴァイキングを再現さいげんした服装ふくそうることが出来できる。人口じんこうすくないにもかかわらず地熱じねつ利用りようした温水おんすいプールが市内しないに3箇所かしょ立地りっちする。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ CITYPOPULATION”. 2023ねん7がつ5にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]