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フリオ・セサール・チャベス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリオ・セサール・チャベス
2017ねん撮影さつえい
基本きほん情報じょうほう
本名ほんみょう フリオ・セサール・チャベス・ゴンサレス
通称つうしょう J.C.
El César del Boxeo(ボクシングかいのシーザー)
El Gran Campeón Mexicano(メキシコの偉大いだい王者おうじゃ)
Mr. KO(KOおとこ)
階級かいきゅう スーパーライトきゅう
身長しんちょう 171cm
リーチ 169cm
国籍こくせき メキシコの旗 メキシコ
誕生たんじょう (1962-07-12) 1962ねん7がつ12にち(62さい
出身しゅっしん ソノラしゅうシウダ・オブレゴン
スタイル みぎボクサーファイター
プロボクシング戦績せんせき
そう試合しあいすう 116
108
KO 87
6
2
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フリオ・セサール・チャベスJulio César Chávez1962ねん7がつ12にち - )は、メキシコ男性だんせいプロボクサーソノラしゅうシウダ・オブレゴン出身しゅっしん

1984ねんから1989ねんにかけて世界せかい3かいきゅう制覇せいは全盛期ぜんせいきには、るいまれなるタフネスとスタミナを武器ぶき完璧かんぺきつよさをほこり、最多さいた世界せかいせん出場しゅつじょうすう37、1試合しあいける観客かんきゃく動員どういんすう13まんにん[1]歴代れきだい3となる89連勝れんしょう[2]、デビューせん以来いらい90せん無敗むはい(1けをふくむ)などボクシングにおける数々かずかず記録きろくちたてた。メキシカンから絶大ぜつだい人気にんきあつめたラテンアメリカのボクシングかい代表だいひょうするスターボクサーで、1990年代ねんだい前半ぜんはんマイク・タイソン低迷ていめいのボクシング・シーンをささえた。

二人ふたり息子むすこフリオ・セサール・チャベス・ジュニア、オマール・チャベスもプロボクサー。

来歴らいれき

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1980ねん2がつ15にち、プロデビュー(6かいKOち)。

43せん全勝ぜんしょう戦績せんせきげ、1984ねん9月13にち世界せかいはつ挑戦ちょうせん空位くういWBC世界せかいジュニアライトきゅうげんスーパーフェザーきゅう王座おうざ同国どうこくじんのマリオ・マルチネスとあらそい、8かいTKOち。王座おうざ奪取だっしゅ成功せいこうした。その、9防衛ぼうえい成功せいこうし、1987ねん9月に王座おうざ返上へんじょう

1987ねん11月21にちWBA世界せかいライトきゅう王者おうじゃエドウィン・ロサリオプエルトリコ)に挑戦ちょうせん。11かいTKOちをおさめ、2かいきゅう制覇せいは達成たっせい

1988ねん10月29にち、2度目どめ防衛ぼうえいせん同国どうこくじんのWBC王者おうじゃホセ・ルイス・ラミレスと統一とういつせんおこない、11かい負傷ふしょう判定はんていち。WBA王座おうざ防衛ぼうえい成功せいこうすると同時どうじにWBC王座おうざ獲得かくとくした。

1989ねん5月13にち、2団体だんたい世界せかいライトきゅう王座おうざ保持ほじしたままWBC世界せかいジュニアウェルターきゅうげんスーパーライトきゅう王者おうじゃロジャー・メイウェザー米国べいこく)に挑戦ちょうせんし、10かいTKOち。3かいきゅう制覇せいは達成たっせいする。その、2団体だんたい世界せかいライトきゅう王座おうざ返上へんじょう

1990ねん3月17にち、3度目どめ防衛ぼうえいせんIBF世界せかい王者おうじゃメルドリック・テーラー米国べいこく)との統一とういつせん。IBF王者おうじゃ技巧ぎこうまえ終始しゅうし劣勢れっせい。ポイントでおおきくリードをゆるした状態じょうたい最終さいしゅう・12かいむかえる。KO以外いがい勝利しょうりのすべをなくしたWBC王者おうじゃ猛攻もうこう展開てんかい。そして、終了しゅうりょう20びょうまえったところでIBF王者おうじゃからダウンをうばう。からくもがったIBF王者おうじゃだったが、ここでレフェリーストップがかかりWBC王者おうじゃのTKOち。KOタイムは2ふん58びょう。あと2びょうでチャベスは世界せかい王座おうざ陥落かんらく同時どうじに69せんにしてプロはつ黒星くろぼしきっしてしまうところにまでせまっていた[3]。その、2防衛ぼうえい成功せいこうし、1991ねん4がつにIBF王座おうざ返上へんじょう

1993ねん2がつ20日はつか、10度目どめ防衛ぼうえいせんグレグ・ホーゲン対戦たいせんし、5かいTKOちで王座おうざ防衛ぼうえいした。メキシコシティアステカ・スタジアム開催かいさいされたこの試合しあい観客かんきゃく動員どういん13まんにん記録きろくした[1]

防衛ぼうえい回数かいすうを11までばした1993ねん9がつ10日とおか、WBC世界せかいウェルターきゅう王者おうじゃパーネル・ウィテカー米国べいこく)とウェルターきゅう規定きてい体重たいじゅうを2ポンド下回したまわる145ポンドのキャッチウェイト対戦たいせん。フルラウンドの激闘げきとうすえけ。4かいきゅう制覇せいははならなかったが、無敗むはいはキープ。その、12月18にちにはWBC世界せかいジュニアウェルターきゅう王座おうざ12度目どめ防衛ぼうえい成功せいこう

1994ねん1がつ29にち、13度目どめ防衛ぼうえいせんフランキー・ランドール米国べいこく)と対戦たいせん。プロデビュー以来いらいはつのダウンをうばわれたすえの12かい判定はんていけ。世界せかい王座おうざから陥落かんらくすると同時どうじに、91せんにしてプロはつ黒星くろぼしきっした。

1994ねん5がつ7にち雪辱せつじょく王座おうざかえきをけ、ランドールと再戦さいせん。ここでも苦戦くせんいられたが、8かい偶然ぐうぜんのバッティングで試合しあい続行ぞっこう不能ふのうとなり、負傷ふしょう判定はんていち。不本意ふほんいかたちではあったが、4かげつまえ雪辱せつじょくたすと同時どうじ世界せかい王座おうざかえきをたした。

1996ねん6月7にち、4度目どめ防衛ぼうえいせんオスカー・デ・ラ・ホーヤ米国べいこく)と対戦たいせんし、4かいTKOけ。2度目どめ世界せかい王座おうざ陥落かんらくとなり、同時どうじ自身じしんはつのKOけをきっしてしまう。

1998ねん3月7にち同国どうこくじんミゲル・アンヘル・ゴンザレス空位くういのWBC世界せかいジュニアウェルターきゅう王座おうざあらそうが、12かい判定はんていけとなり、王座おうざかえきならず。

1998ねん9がつ18にち、4かいきゅう制覇せいはけ、WBC世界せかいウェルターきゅう王者おうじゃとなったデ・ラ・ホーヤと再戦さいせんしたが、8かい終了しゅうりょうTKOで雪辱せつじょくならず。

1999ねん10月2にち、ウィリー・ワイズと対戦たいせんし、10かい判定はんていけ。

2000ねん7がつ29にち、38さいコンスタンチン・チューつジュニア・ウェルターきゅうのタイトルに挑戦ちょうせんするも、6ラウンドTKOけ。

2001ねん11月24にち、メキシコでテリー・トーマスにTKOちをおさめると現役げんえき引退いんたい発表はっぴょうした。

2003ねん11月24にち引退いんたい撤回てっかいしてウィリー・ワイズと対戦たいせんし、TKOちで雪辱せつじょくたした。

2004ねん5がつ22にち引退いんたい試合しあいとしてフランキー・ランドールと3度目どめ対戦たいせんおこない、TKOち。

2005ねん5がつ28にちふたた引退いんたい撤回てっかいしてイヴァン・ロビンソンと対戦たいせんし、判定はんていち。

2005ねん9月17にち、グローヴァー・ワイリーにやぶれたのを最後さいご正式せいしき引退いんたいした。

2010ねん世界せかいボクシング殿堂でんどう殿堂でんどうり。

2014ねん12月18にちやく9ねんぶりにエキシビションで復帰ふっきし、ビセンテ・サグレスタノと対戦たいせんした。

2015ねん7がつ3にち、チャベスが自身じしん財産ざいさん寄付きふして設立せつりつした薬物やくぶつリハビリ施設しせつへのチャリティとしてマリオ・マルティネスとチャリティエキシビションで対戦たいせんした[4]

2019ねん11月22にちホルヘ・アルセとエキシビションで対戦たいせん。アルセとはその2020ねん2がつ28にち同年どうねん9がつ25にちにもエキシビションで対戦たいせんした。

2021ねん6月19にちヘクター・カマチョ息子むすこのヘクター・カマチョ・ジュニアとエキシビションで対戦たいせんした。

人物じんぶつ

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  • 現役げんえき時代じだい後半こうはんは、ドラッグ依存いぞんとアルコール依存いぞんくるしんだ。1992ねん9がつ12にちヘクター・カマチョ勝利しょうりしたばん祝勝しゅくしょうパーティーでは、ホアキン・グスマンイスマエル・サンバダ・ガルシア、ヘクター・ルイス・パルマ・サラサール、アマド・カリージョ・フエンテス、アレジャノ・フェリックス兄弟きょうだいらの錚々たる麻薬まやく密売みつばい組織そしきのボスたちが出席しゅっせきしていたが、チャベスはカマチョとの試合しあいはなしばかりかれることに嫌気いやけし、麻薬まやく密売みつばい組織そしきのボスたちにコカインを要求ようきゅうするが、だれっていないことをるとはらて「地獄じごくちろ」といいはなち、密売みつばい組織そしきのボスの指示しじ手下てした用意よういしたコカインをはじめて使用しようした。しかし、以降いこうコカイン依存いぞんになってしまい、コカインの過剰かじょう摂取せっしゅ吐血とけつしてなん病院びょういんはこばれたが、はこばれた病院びょういんのベッドでもコカインを使用しようするなど、ボクシングと私生活しせいかつ悪影響あくえいきょうおよぼすようになった。連勝れんしょう記録きろくが90連勝れんしょうまった1994ねん1がつ29にちフランキー・ランドールとの試合しあいでは試合しあいの3にちまえまでコカインを使用しようしていた[5]。そのもコカインをやめられず1996ねんと1998ねんに2対戦たいせんしたオスカー・デ・ラ・ホーヤとの試合しあいでも多量たりょうのコカインを使用しようしていたとかたっている[6]
  • 残念ざんねんなことに息子むすこ2にんもドラッグ依存いぞんとなってしまうが、そのことについてチャベスは、自身じしん薬物やくぶつ中毒ちゅうどくだった姿すがた息子むすこたちはていたのにおなどうをたどってしまったこと、また自身じしん強制きょうせい入院にゅういんでつらい経験けいけんをしたことがあるのにもかかわらず息子むすこ強制きょうせい入院にゅういんさせなければいけなかったことに複雑ふくざつ心境しんきょうかたっている[7]
  • 引退いんたいはメキシコのテレビ局てれびきょくテレビシオン・アステカ解説かいせつしゃつとめている。
  • 2017ねん6がつ25にちおとうとのラファエル・チャベス・ゴンザレスがクリアカン自宅じたく強盗ごうとう殺害さつがいされた[8]

戦績せんせき

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通算つうさん戦績せんせき 116せん 108しょう 87KO 6はい 2ふん

獲得かくとくタイトル

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  • WBC世界せかいスーパーフェザーきゅう王座おうざ防衛ぼうえい9
  • WBA世界せかいライトきゅう王座おうざ防衛ぼうえい1
  • WBC世界せかいライトきゅう王座おうざ防衛ぼうえい0
  • WBC世界せかいスーパーライトきゅう王座おうざ防衛ぼうえい12
  • IBF世界せかいスーパーライトきゅう王座おうざ防衛ぼうえい2
  • WBC世界せかいスーパーライトきゅう王座おうざ防衛ぼうえい4

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b Julio Cesar Chavez, now 85-0, avenged insults to his - 03.01.93 SI Vault
  2. ^ 歴代れきだい1バッキー・マクファーランドもとWBCライトきゅう王者おうじゃペドロ・カラスコの92連勝れんしょう。なお、ハル・バグウェル(175連勝れんしょう)やバック・スミス(90 - 100連勝れんしょう)は不鮮明ふせんめい記録きろくおおいため、歴代れきだい1からはずされている。
  3. ^ のこり2びょうでのレフェリーストップは賛否さんぴ両論りょうろんこったが、レフェリーをつとめたリチャード・スティールは「テーラーがダウンからがったさい自分じぶんかれ試合しあいつづけられるかどうかを2たずねたが、まった返事へんじがなかった。うつろだったし、ストップに十分じゅうぶんあたいするケースだった。わたしはレフェリーであり、タイムキーパーではない。選手せんしゅ危険きけん状態じょうたいたら、タイムにかかわらず試合しあいをストップする。」とみずからの判断はんだんただしかったことを主張しゅちょうした。
  4. ^ チャベスちちきゅうてきとスパー ボクシングモバイル 2015ねん7がつ5にち
  5. ^ Boxer Julio César Chávez says he told drug lords including El Chapo to 'go to hell' after they showed up without cocaine to party after 1992 victory over Puerto Rican legend Hector 'Macho' Camacho”. mail (2021ねん8がつ25にち). 2024ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  6. ^ Julio César Chávez admits he did 'a lot of cocaine' ahead of his two Oscar De La Hoya fights”. DAZN (2020ねん9がつ25にち). 2024ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  7. ^ Julio Cesar Chavez Jr. Accuses Father of Abuse, Calls Him ‘Trash’”. Boxing Scene.com (2024ねん1がつ4にち). 2024ねん1がつ9にち閲覧えつらん
  8. ^ Boxing legend’s brother killed in home invasion”. New York Post (2017ねん6がつ27にち). 2024ねん1がつ9にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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ぜん王者おうじゃ
ヘクター・カマチョ
WBC世界せかいスーパーフェザーきゅう王者おうじゃ

1984ねん9がつ13にち - 1987ねん返上へんじょう

空位くうい
タイトル獲得かくとくしゃ
アズマー・ネルソン
ぜん王者おうじゃ
エドウィン・ロサリオ
WBA世界せかいライトきゅう王者おうじゃ

1987ねん11月21にち - 1989ねん返上へんじょう

空位くうい
タイトル獲得かくとくしゃ
エドウィン・ロサリオ
ぜん王者おうじゃ
ホセ・ルイス・ラミレス
WBC世界せかいライトきゅう王者おうじゃ

1988ねん10がつ29にち - 1989ねん返上へんじょう

空位くうい
タイトル獲得かくとくしゃ
パーネル・ウィテカー
ぜん王者おうじゃ
ロジャー・メイウェザー
WBC世界せかいスーパーライトきゅう王者おうじゃ

1989ねん5がつ13にち - 1994ねん1がつ29にち

王者おうじゃ
フランキー・ランドール
ぜん王者おうじゃ
メルドリック・テーラー
IBF世界せかいスーパーライトきゅう王者おうじゃ

1990ねん3がつ17にち - 1991ねん4がつ22にち返上へんじょう

空位くうい
タイトル獲得かくとくしゃ
ラファエル・ピネダ
ぜん王者おうじゃ
フランキー・ランドール
WBC世界せかいスーパーライトきゅう王者おうじゃ

1994ねん5がつ7にち - 1996ねん6がつ7にち

王者おうじゃ
オスカー・デ・ラ・ホーヤ