マネト

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マネトラテン語らてんご: Manetho[1]なま没年ぼつねんしょう)は紀元前きげんぜん3世紀せいき古代こだいエジプト歴史れきし神官しんかん

プトレマイオスあさつかえたエジプトじんであり、ギリシア著作ちょさくおこなった。歴史れきししょ『アイギュプティカ』でしめした時代じだい区分くぶんは、 現代げんだいもエジプト年代ねんだいがく基礎きそとなっている。

名称めいしょう[編集へんしゅう]

マネトラテン語らてんごによる[1]で、マネトー[2]とも表記ひょうきされる。ギリシャ語形ごけいではマネトーンΜανέθων / Manethōnちょう母音ぼいんりゃくしてマネトン[1]とも)またはマネトースΜανέθως / Manethōs)。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

マネトはエジプトじんであったが、かれ時代じだい紀元前きげんぜん300ねん前後ぜんご)はヘレニズムけいプトレマイオスあさ時代じだいであり、かれプトレマイオス1せい2せいつかえたためギリシア著作ちょさくおこなった。また、神官しんかんとしてヒエログリフ解読かいどくできたとみられ、その能力のうりょく著作ちょさくかされたとみられている。

マネトの著作ちょさく現存げんそんしておらず、断片だんぺん引用いんようされてその内容ないようられている。代表だいひょうてきなものとして『アイギュプティカ』(古代こだいギリシア: Αあるふぁἰγυπτιακάアルファベット表記ひょうき:Aegyptiaca。『エジプト』『エジプト』ともばれる)があり、古代こだいエジプトの時代じだい区分くぶん(「だい○○王朝おうちょう」)はアイギュプティカにもとづいている。そのにもマネトがしるしたとされる著作ちょさく現存げんそんしておらず、なかにはかれ著作ちょさくかどうかも不明ふめいなものもある。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c マネトン”. 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはんコトバンク所収しょしゅう. 2018ねん5がつ12にち閲覧えつらん
  2. ^ マネトー”. ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてんコトバンク所収しょしゅう. 2018ねん5がつ12にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • イアン・ショー、ポール・ニコルソン『だいえい博物館はくぶつかん 古代こだいエジプト百科ひゃっか事典じてんはら書房しょぼう、1997ねん ISBN 4-562-02922-6 P520