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マリー・ランバート

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マリー・ランバート

マリー・ランバートマリー・ランベール(Dame Marie Rambert、本名ほんみょうシヴィア・ランベルグ(Cyvia Ramberg)、1888ねん2がつ20日はつか - 1982ねん6月12にち[1])は、ワルシャワ出身しゅっしん舞踊ぶよう、バレエ教師きょうしユダヤけいポーランドじん

バレエ・リュス(ロシア・バレエだん)の『はる祭典さいてんけに協力きょうりょくし、のちわたりすぐるしてイギリスのバレエを基礎きそけた。

数々かずかず変名へんめい名乗なのったために、ランバートのほかランバハ(Rambach) やランバン(Rambam)というせいつたえられている。

生涯しょうがい

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1905ねんこったロシアだいいち革命かくめい影響えいきょう政治せいじ運動うんどう興味きょうみつ。心配しんぱいした両親りょうしんによって、医者いしゃである叔母おばパリ留学りゅうがくさせられるが、学業がくぎょうにはれずモンマルトルのキャバレーやナイトクラブであそあるき、芸術げいじゅつたちと交流こうりゅうった[2]。このころ本名ほんみょう「シヴィア」の愛称あいしょう「セーシャ」が、フランス語ふらんすごでは"Ces Chats "(このねこたち)とこえることをきらい、また、フランスじんがたびたび「ランベルグ」を「ランベール」と発音はつおんしたため、「ミリアム・ランベール」( Miriam Rambert )と名乗なの[3]

もともとおどきであったが、イサドラ・ダンカン舞台ぶたいてダンサーをこころざ[4]。その友人ゆうじんすすめによりジュネーヴおこなわれたリトミック夏季かき講習こうしゅう参加さんかしたことがきっかけで、3ねんはんにわたりエミール・ジャック=ダルクローズのもとでリトミックをまな[4]ドレスデン近郊きんこうヘレラウにダルクローズの学校がっこう開設かいせつされると、ランベールも同行どうこうした。

1912ねん、バレエ・リュスの主宰しゅさいしゃセルゲイ・ディアギレフどうだん振付ふりつけヴァーツラフ・ニジンスキーが、当時とうじ着手ちゃくしゅしていた『はる祭典さいてん』(イーゴリ・ストラヴィンスキー作曲さっきょく)のけのヒントをもとめてヘレラウを訪問ほうもんしたことが機縁きえんとなり、バレエ・リュスに協力きょうりょく[5]、ニジンスキーの助手じょしゅとして『はる祭典さいてん』のけに助言じょげんあたえ、団員だんいんにダルクローズりゅうのリズム教育きょういくおこなった[6]。その一方いっぽうで、バレエ・リュスの指導しどうしゃエンリコ・チェケッティ師事しじし、はじめて本格ほんかくてきにバレエのレッスンをける。

1918ねんわたりすぐるし、イギリスの市民しみんけん獲得かくとく[7]、「マリー・ランバート」と名乗なのる。1920ねんロンドン自分じぶん最初さいしょのバレエ学校がっこう開校かいこうし、1926ねんにロンドンにみずからのバレエだんである「バレエ・クラブ」(バレエ・ランバート, Ballet Rambert)を結成けっせい。かつてバレエ・リュスで活躍かつやくしたタマーラ・カルサヴィナや、アリシア・マルコワらの協力きょうりょくながら[8]フレデリック・アシュトンや、アントニー・チューダーら、のちにイギリスにおけるバレエの基礎きそきずくことになる振付ふりつけ育成いくせいした[9]1962ねんにはナイト相当そうとうするデイム(Dame)にじょせられた[7]

1979ねんには、『はる祭典さいてん』のニジンスキーの振付ふりつけを復元ふくげんするためにミリセント・ホドソン協力きょうりょくし、詳細しょうさいけやみずかけをんだストラヴィンスキー自筆じひつ死後しごコピーが発見はっけんされた)などを提供ていきょう復元ふくげん彼女かのじょ死後しご1987ねん完成かんせいした。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ランバート』 - コトバンク
  2. ^ 鈴木すずきあきら『ニジンスキー しん道化どうけ新書しんしょかん、1998ねん、261ページ
  3. ^ 鈴木すずきあきら前掲ぜんけいしょ、260ページ
  4. ^ a b 鈴木すずきあきら前掲ぜんけいしょ、263ページ
  5. ^ ランベールがバレエに興味きょうみっており、ロシアやポーランドはなせたことから、ダルクローズが推薦すいせんした(鈴木すずきあきら前掲ぜんけいしょ、268ページ)。
  6. ^ 団員だんいんからは「リトミーチカ」("リズムちゃん")の愛称あいしょうばれた(鈴木すずきあきら前掲ぜんけいしょ、267ページ)。
  7. ^ a b 岩波いわなみ-ケンブリッジ世界せかい人名じんめい辞典じてん岩波書店いわなみしょてん、1997ねん
  8. ^ マリ=フランソワーズ・クリストゥ、佐藤さとう俊子としこやく『バレエの歴史れきし白水しろみずしゃ、1970ねん、137ページ
  9. ^ 三浦みうら雅士まさし『バレエ入門にゅうもん新書しんしょかん、2000ねん、141ページ