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ムサ (パルティア王妃おうひ)

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ムサ
パルティア王妃おうひ

死去しきょ 4ねん
配偶はいぐうしゃ パルティアおうフラーテス4せい
  パルティアおうフラーテス5せい
子女しじょ フラーテス5せい
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ムサラテン文字もじ表記ひょうき:Musa)は、アルサケスあさパルティア王妃おうひテア・ムサムーサーなどとも表記ひょうきされる。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

イタリア半島はんとうまれたおんな奴隷どれいであった。パルティアおうフラーテス4せいローマオクタヴィアヌス講和こうわむすんださいに、オクタヴィアヌスからフラーテス4せいへとおくられた。

ムサはフラーテス4せい寵愛ちょうあいることに成功せいこうし、フラーテス5せい(フラータケス)をんだ。当時とうじ彼女かのじょは「女神めがみムサ」とまでばれている。彼女かのじょはフラーテス5せい王位おういけるべくほか王位おうい継承けいしょうしゃ排除はいじょ追求ついきゅうし、王妃おうひビステイバナプスと4にん王子おうじをローマに人質ひとじちとしてすよう仕向しむけるなどして、息子むすこフラーテス5せい後継こうけいしゃとすることに成功せいこうした。

いちとおりライバルがいなくなったのち紀元前きげんぜん2ねん、ムサはフラーテス4せい毒殺どくさつして息子むすこフラーテス5せい即位そくいさせ、さらにのちには息子むすこフラーテス5せい結婚けっこんし、共同きょうどう統治とうちしゃとなった。しかしこの処置しょちはパルティアのだい貴族きぞくたちの反発はんぱつい、またフラーテス5せい失政しっせいあいまってムサたちは排除はいじょされ、西暦せいれき4ねんあらたなおうオロデス3せい擁立ようりつされた。しかし、かれもすぐにはいされ、フラーテス4せいとムサによってローマに人質ひとじちされていた王子おうじ一人ひとりヴォノネス1せいおうとなった。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  •  この記事きじにはアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくうち著作ちょさくけん消滅しょうめつしたつぎ百科ひゃっか事典じてん本文ほんぶんふくむ: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Phraates". Encyclopædia Britannica (英語えいご). Vol. 21 (11th ed.). Cambridge University Press.
  • Josephus, Antiquities of the Jews, xviii, 2–4.
  • Royal Egyptian Genealogy, Ptolemaic Dynasty: Cleopatra Selene