(Translated by https://www.hiragana.jp/)
メアリー・ラスバン - Wikipedia コンテンツにスキップ

メアリー・ラスバン

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
研究けんきゅうちゅうのラスバン

メアリー・ジェーン・ラスバン(Mary Jane Rathbun、1860ねん6月11にち - 1943ねん4がつ14にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく甲殻こうかくるい専門せんもんする動物どうぶつ学者がくしゃである。1884ねんからぼっするまでスミソニアン研究所けんきゅうじょはたらいた。

生涯しょうがい

[編集へんしゅう]

ニューヨークしゅうバッファローまれた。 1さいとき母親ははおやくした。1878ねんに、バッファローの学校がっこう卒業そつぎょうしたが大学だいがくすすむことはなかった。1881ねんあにのリチャード・ラスバンが動物どうぶつ学者がくしゃアディソン・ヴァーリル(Addison Emery Verrill)の助手じょしゅやとわれて、あにとともにマサチューセッツしゅうウッズホールにでてはじめてうみることになった。メアリーはヴァーリルのチーフ・アシスタントのシドニー・アーヴィング・スミスの標本ひょうほん整理せいり分類ぶんるい記録きろく手伝てつだった。これ以後いご甲殻こうかくるい研究けんきゅうおこなうことになった。3年間ねんかん無償むしょうはたらいたのち、スミソニアン研究所けんきゅうじょスペンサー・フラトン・ベアード研究けんきゅういんとしてみとめられた。その、スミソニアン研究所けんきゅうじょおも単独たんどく研究けんきゅうおこない、28年間ねんかん甲殻こうかくるい部門ぶもんふく学芸がくげいいん昇格しょうかくした。退職たいしょくの1915ねんピッツバーグ大学だいがくから名誉めいよ学位がくいた。1917ねんジョージ・ワシントン大学だいがく博士はかせごうた。

1891ねんにジェームズ・エドワード・ベネディクト(James Everard Benedict)と共著きょうちょでPanopeusぞくかんする論文ろんぶん執筆しっぴつして以降いこうおおくの研究けんきゅう発表はっぴょうした。主著しゅちょは『淡水たんすいガニ』("Les crabes d'eau douce")で1904ねんから1906ねんに3かん出版しゅっぱんされた。166の論文ろんぶん執筆しっぴつし、“大西洋たいせいようワタリガニ”(Callinectes sapidus ) をふくむ、1147の新種しんしゅ亜種あしゅ記載きさいなどをおこなった。

Hamatoscalpellum rathbunae (Pilsbry, 1907)などおおくのたね学名がくめいけんじめいされている。

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • Waldo L. Schmitt (1973). "Mary J. Rathbun 1860-1943" (PDF). Crustaceana 24 (3): 283–296. JSTOR 20101989.
  • Michael Türkay (2010). "Callinectes sapidus Rathbun, 1896". World Register of Marine Species. Retrieved October 26, 2010.