モシじん

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モシじん
Moaaga
そう人口じんこう
ブルキナファソの旗 ブルキナファソ620まんにん
コートジボワールの旗 コートジボワール120まんにん
ガーナの旗 ガーナ160,140にん
居住きょじゅう地域ちいき
ブルキナファソ全域ぜんいき、ガーナ北部ほくぶ、コートジボワール北部ほくぶ
言語げんご
モシ
宗教しゅうきょう
伝統でんとう宗教しゅうきょうキリスト教きりすときょうイスラム教いすらむきょう

モシじんMossi)は、アフリカ民族みんぞく自称じしょう単数たんすうがたがmoaaga、複数ふくすうがたがmooseである。ブルキナファソ中心ちゅうしんとした西にしアフリカサバンナ地帯ちたい居住きょじゅうする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

モシじん神話しんわによれば、モシの王家おうけ現在げんざいのガーナ北部ほくぶにいるダゴンバじんひめとマンデじん狩人かりゅうどあいだまれた、ウエドラオゴというおう始祖しそだという。

史実しじつでは、15世紀せいき中頃なかごろ[1]テンゴドゴ英語えいごばんとするこの地域ちいきモシ王国おうこく勃興ぼっこうし、強力きょうりょく騎馬きばぐんによって、当時とうじ全盛期ぜんせいきにあったマリ帝国ていこくソンガイ王国おうこくからも独立どくりつたもっていた。しばらくしてワヒグヤふつ: Ouahigouya、ワイグヤ)をとする北部ほくぶモシ、ワガドゥグーとする中部ちゅうぶモシが、テンゴドゴ英語えいごばんとする南部なんぶモシから独立どくりつしてさんこくかれ、19世紀せいきまでそれぞれ独立どくりつたもった。

19世紀せいき後半こうはんになるとフランスがこの地域ちいき勢力せいりょくばし(フランスりょうスーダンen:Senegambia and Nigeren:Upper Senegal and Niger)、1919ねんふつりょうオートボルタ植民しょくみん成立せいりつしたが、モシ諸国しょこくはよく組織そしきされた国家こっかっていたため、フランスはこの地域ちいき間接かんせつ統治とうちれ、かく王国おうこく利用りようして植民しょくみん支配しはいすすめていったため、おう権力けんりょくのこった。

オートボルタ共和きょうわこく1960ねん独立どくりつすると、モシじんはオートボルタの多数たすう民族みんぞくとなったが、ブルキナファソとなってもどう国内こくないにおいてはさほど特定とくてい民族みんぞくへのとみ権力けんりょく集中しゅうちゅうこっておらず、国内こくないにおいてモシじん民族みんぞくとの軋轢あつれきこっていない。

1985ねんChristmas Warでは、マリ共和きょうわこくブルキナファソ交戦こうせんした。

文化ぶんか[編集へんしゅう]

モシじん農耕のうこう民族みんぞくであり、トウジンビエモロコシなどを栽培さいばいしている。てい住民じゅうみんであり、集落しゅうらくむらをなしている。伝統でんとうてき住居じゅうきょは、円筒えんとうがたどろかべうえ円錐えんすいがた草屋根くさやねせたもので、いえなか部屋へや仕切しきりはない。

ガーナ北部ほくぶ居住きょじゅうするダゴンバじんやマンブルシじんとは、言語げんご文化ぶんかおう系譜けいふなどが似通にかよっており、きんえん民族みんぞくとされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 現地げんち伝説でんせつでは1120ねんというせつをとっている。