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モンテネグロ・ペルペル

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モンテネグロ・ペルペル
20ペルペル紙幣しへい100ペルペル金貨きんか(1910ねん
使用しよう
くに地域ちいき
モンテネグロ公国こうこく
モンテネグロ王国の旗 モンテネグロ王国おうこく
補助ほじょ単位たんい
1100パラ(Para)
複数ふくすうがたこの通貨つうか言語げんごスラヴぞくする。複数ふくすうがた構築こうちくする複数ふくすう方法ほうほうがある。
硬貨こうか1, 2, 10, 20 パラ, 1, 2, 5, 10, 20, 100 ペルペル
紙幣しへい1, 2, 5, 10, 20, 50, 100 ペルペル

ペルペル (セルビアキリル・アルファベット: Перпер; 複数ふくすうがた:перпери) はモンテネグロ公国こうこくおよびモンテネグロ王国おうこくにおいて1906ねんから1918ねんまで使用しようされていた通貨つうかである。名称めいしょうはビザンツ帝国ていこく発行はっこうしたヒュペルピュロン由来ゆらいし、補助ほじょ単位たんいはパラ(1ペルペル=100パラ)であった。

20世紀せいきまつにモンテネグロではふたたびペルペルを発行はっこうしようといううごきがあったが、非公式ひこうしきドイツマルク採用さいようし、そのユーロ移行いこうした。

硬貨こうか

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10パラ硬貨こうか (1906ねん)

1906ねんに1パラあお銅貨どうかおよび2パラあお銅貨どうか、10パラ ニッケル貨および20パラ ニッケル貨が発行はっこうされた。いずれもウィーン造幣ぞうへいされた。1909ねんには1ペルペル銀貨ぎんかと5ペルペル銀貨ぎんか、1910ねんには2ペルペル銀貨ぎんか発行はっこうされた。1910ねんには10ペルペル金貨きんかおよび20ペルペル金貨きんかほか、ごくかぎられたかずの100ペルペル金貨きんか発行はっこうされた。あお銅貨どうか、ニッケル貨および銀貨ぎんかは、1914ねんまで数次すうじわたって発行はっこうされた。

1909ねん銀貨ぎんか発行はっこうさいし、金貨きんか鋳造ちゅうぞうわせておこなうことが計画けいかくされていたが、オーストリア=ハンガリー帝国ていこくとの関係かんけい緊張きんちょうしつつあったことから、金貨きんか発行はっこう銀貨ぎんかの1ねんおくれとなった。

1910ねんに、モンテネグロは2かいわたって10、20、100ペルペル金貨きんか発行はっこうしたが、だいいち発行はっこうぶんにはモンテネグロ公国こうこくだい発行はっこうぶんにはモンテネグロ王国おうこくこくされていた。これは、憲法けんぽう改正かいせいによって1910ねん8がつ28にちニコラ1せいがモンテネグロこうからモンテネグロおうとなったためである。なお、だい発行はっこうぶんはニコラ1せい在位ざいい50ねん記念きねんねていた。歴史れきしてき経緯けいいもあって、これらはモンテネグロの歴史れきしにおいて唯一ゆいいつ発行はっこうされた金貨きんかとなった。

こんにち、100ペルペル金貨きんかはモンテネグロの硬貨こうかにおいて最上さいじょうのものとされている。現存げんそんする100ペルペル金貨きんか総数そうすう不明ふめいであるが、おおくの貨幣かへい学者がくしゃエルミタージュ美術館びじゅつかんやアメリカ貨幣かへい協会きょうかいだいえい博物館はくぶつかんなどに収蔵しゅうぞうされているものをふくめ150てん程度ていどであるとしている。モンテネグロ国内こくないではすうてん個人こじんくらとなっているとみられているほか、2てんがモンテネグロ中央ちゅうおう銀行ぎんこうのコレクションとして展示てんじされている。オークションに出品しゅっぴんされることもあり、状態じょうたいによって2まんから3.5まんユーロで落札らくさつされている[1]

紙幣しへい

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1912ねん大蔵省おおくらしょうが1、2、5、10、50、100ペルペル紙幣しへい発行はっこうした。1914ねんには政府せいふが3わたって1、2、5、10、20、50、100ペルペル紙幣しへい発行はっこうしている。同年どうねん勃発ぼっぱつしただいいち世界せかい大戦たいせんによりモンテネグロはオーストリアに占領せんりょうされたため、2・3発行はっこうぶん紙幣しへいにはぐん政府せいふ管区かんく司令しれいによるすりおこなわれた。1917ねんにはオーストリアぐんがペルペル紙幣しへいとペルペル硬貨こうかおよびオーストリア・クローネかわ証券しょうけん発行はっこうしたが、その交換こうかんレートは2ペルペル紙幣しへい=1ペルペル硬貨こうか=1クローネであった。

関連かんれん項目こうもく

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出典しゅってん

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  1. ^ Priča o crnogorskim perperima”. Mondo.me. 2016ねん9がつ26にち閲覧えつらん