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レインジャー8号 ごう (英語 えいご : Ranger 8 )はNASA のレインジャー計画 けいかく で製作 せいさく され、打 う ち上 あ げられた月 つき 探査 たんさ 機 き 。月面 げつめん に向 む けて進 すす み、月面 げつめん 衝突 しょうとつ 前 まえ の十 じゅう 数 すう 分間 ふんかん の高 こう 解像度 かいぞうど 写真 しゃしん の撮影 さつえい が目的 もくてき であった。ビジコンカメラ6台 だい に加 くわ え、広角 こうかく カメラ2台 だい 、狭 せま 隅 すみ 角 かく カメラ4台 だい が積 つ まれており、それぞれのカメラが独立 どくりつ した系統 けいとう の電源 でんげん 、通信 つうしん を持 も つことで信頼 しんらい 性 せい と安定 あんてい 性 せい を増 ま していた。カメラ類 るい 以外 いがい の観測 かんそく 装置 そうち は積 つ まれていなかった。[1]
レインジャーの6号機 ごうき 以降 いこう はすべてブロック3といわれる設計 せっけい 系統 けいとう でどれも同 おな じような構造 こうぞう になっていた。推進 すいしん ・電源 でんげん ユニットの上 うえ に幅 はば が1.5m程度 ていど の6角形 かくがた の台座 だいざ があり、上部 じょうぶ には円筒 えんとう 部 ぶ がついており、全 ぜん 高 こう は3.6m程度 ていど であった。下部 かぶ には展開 てんかい 式 しき の太陽 たいよう 電池 でんち パネルとパラボラ高 だか 利得 りとく アンテナが積 つ まれており、展開 てんかい すると太陽 たいよう 電池 でんち パネルは4.6m程度 ていど 。上部 じょうぶ の円筒 えんとう 部 ぶ にカメラ装置 そうち 一式 いっしき があり、先端 せんたん に準 じゅん 無 む 指向 しこう 性 せい 低 てい 利得 りとく アンテナが搭載 とうさい されている[1] 。
推進 すいしん 用 よう ロケットはヒドラジン単元 たんげん 推進 すいしん 薬 やく で推進 すいしん 力 りょく は224N、ジェットの方向 ほうこう コントロールは4枚 まい のジェット翼 つばさ で行 おこな われていた。高度 こうど 、姿勢 しせい などの制御 せいぎょ は3台 だい のジャイロ、主 しゅ 副 ふく 合 あ わせて6台 だい の太陽 たいよう センサ、2台 だい の対地 たいち センサなどから制御 せいぎょ されており、窒素 ちっそ ガスジェットで姿勢 しせい を維持 いじ した。電源 でんげん は太陽光 たいようこう 電源 でんげん のほかに銀 ぎん 亜鉛 あえん 電池 でんち からの電気 でんき が利用 りよう された[1] 。
通信 つうしん は準 じゅん 無 む 指向 しこう 性 せい 低 てい 利得 りとく アンテナとパラボラ高 だか 利得 りとく アンテナの2種 しゅ があり、通信 つうしん 装置 そうち はそれぞれ波長 はちょう の違 ちが う3種 しゅ が積 つ まれていた。なお、通信 つうしん 用 よう にビデオ信号 しんごう はRF信号 しんごう に変換 へんかん されていた[1] 。
レインジャー8号 ごう の撮影 さつえい した月面 げつめん 、サビン (英語 えいご 版 ばん ) 、リッター (英語 えいご 版 ばん ) の両 りょう クレーターが見 み えている 打 う ち上 あ げに使 つか われたアトラス・アジェナ はアトラス196D とアジェナB6006 の組 く み合 あ わせだった。打 う ち上 あ げには無事 ぶじ 成功 せいこう し、レインジャー8号 ごう とアジェナロケットは地上 ちじょう 185kmの宇宙 うちゅう 待機 たいき 軌道 きどう に乗 の せられた。14分 ふん 後 ご 、アジェナロケットの90秒 びょう の点火 てんか で月 つき 遷移 せんい 軌道 きどう に乗 の り、数 すう 分 ふん 後 ご レインジャー8号 ごう とアジェナロケットが分離 ぶんり した。分離 ぶんり 後 ご 、太陽 たいよう 電池 でんち パネルと高 こう 利得 りとく アンテナが展開 てんかい し、姿勢 しせい 制御 せいぎょ 装置 そうち が働 はたら き始 はじ め、UT21:30分 ふん から通信 つうしん は無 む 指向 しこう 性 せい アンテナから高 こう 利得 りとく アンテナに切 き り替 か えられた。2月18日 にち 、地球 ちきゅう から16万 まん kmの位置 いち で中間 ちゅうかん 軌道 きどう 操作 そうさ が行 おこな われ、向 む きの再 さい 変更 へんこう と59秒間 びょうかん のロケット点火 てんか が行 おこな われた。27分 ぶん の操作 そうさ の間 あいだ 、通信 つうしん 機 き の電力 でんりょく がひどく落 お ち込 こ み、すべてのテレメトリチャンネルが失 うしな われた。これはロケットの燃焼 ねんしょう 中 ちゅう 断続 だんぞく 的 てき に続 つづ き、その後 ご 通常 つうじょう に戻 もど った。このテレメトリの喪失 そうしつ は影響 えいきょう が軽微 けいび であった。月 つき 到着 とうちゃく の直前 ちょくぜん に行 おこな われる予定 よてい であった撮影 さつえい 範囲 はんい をより狭 せば めるためのカメラの制御 せいぎょ は広範囲 こうはんい の月面 げつめん を撮影 さつえい 可能 かのう にするために中止 ちゅうし された[1] 。
1965年 ねん 2月 がつ 20日 はつか に月 つき に到着 とうちゃく し、最初 さいしょ の画像 がぞう は9:34:32 UT に2510kmの高度 こうど から撮影 さつえい された。月面 げつめん 衝突 しょうとつ までの23分間 ふんかん にわたって7137枚 まい の高 こう 解像度 かいぞうど 写真 しゃしん が送 おく られた。衝突 しょうとつ 前 ぜん 最後 さいご の画像 がぞう は解像度 かいぞうど 1.5mであった。月面 げつめん に向 む かっては双曲線 そうきょくせん 軌道 きどう で低下 ていか し、入射 にゅうしゃ 漸近 ぜんきん 角度 かくど は月 つき の赤道 せきどう から-13.6度 ど であった。軌道 きどう 面 めん は月 つき の赤道 せきどう から16.5度 ど 傾 かたむ いていた。発射 はっしゃ から64.9時 じ 間 あいだ 後 ご の1965年 ねん 2月 がつ 20日 はつか 09:57:36.756 UTに月面 げつめん 座標 ざひょう N2.67度 ど 、E24.65度 ど の静 しず かの海 うみ に衝突 しょうとつ した。なお、発表 はっぴょう 当初 とうしょ はN2.72度 ど 、24.61度 ど とされていた。衝突 しょうとつ 速度 そくど は秒速 びょうそく 2.68kmより少 すこ し小 ちい さい程度 ていど だった[1] 。