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レジー・ルイス

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レジー・ルイス
Reggie Lewis
故人こじん
ポジション SG
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
生年月日せいねんがっぴ 1965ねん11月21にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1993-07-27) 1993ねん7がつ27にち(27さいぼつ
出身しゅっしん メリーランドしゅうボルティモア
身長しんちょう(現役げんえき) 201cm (6 ft 7 in)
体重たいじゅう(現役げんえき) 88kg (194 lb)
キャリア情報じょうほう
出身しゅっしん ノースイースタン大学だいがく
ドラフト 1987ねん 22
永久えいきゅう欠番けつばん セルティックス  35 
選手せんしゅ経歴けいれき
1987-1993 ボストン・セルティックス
受賞じゅしょうれき
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com

レジナルド・C・ルイス(Reginald C. Lewis、1965ねん11月21にち - 1993ねん7がつ27にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくもとプロバスケットボール選手せんしゅ身長しんちょう201cm、体重たいじゅう88kg。ポジションはシューティングガード

1990年代ねんだいはじめにNBAボストン・セルティックス絶大ぜつだい人気にんき獲得かくとくし、球団きゅうだん将来しょうらいにな逸材いつざいとして期待きたいされていたが、1993ねんに27さいわかさで急死きゅうしした。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

ちと学生がくせい時代じだい[編集へんしゅう]

ボルティモアうまれたルイスは、地元じもとのダンバー高校こうこう主力しゅりょくとして活躍かつやくした。ルイスやマグジー・ボーグスデビッド・ウィンゲートにNBAりする選手せんしゅようしたチームは1982ねん全米ぜんべい1にランクされた。進学しんがくしたノースイースタン大学だいがくでは4ねん連続れんぞくでチームをNCAAトーナメントみちびき、自身じしんは3ねん連続れんぞくでカンファレンス最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅえらばれた。4年間ねんかん成績せいせき平均へいきん22.2得点とくてん7.9リバウンドであり、大学だいがく通算つうさん2,708得点とくてん学校がっこう記録きろくとなった。背番号せばんごう『35』は大学だいがく永久えいきゅう欠番けつばん指定していされている。

プロキャリア[編集へんしゅう]

1987ねん、ルイスはNBAドラフト全体ぜんたい22ボストン・セルティックス入団にゅうだんした。セルティックスは1980年代ねんだいに3優勝ゆうしょうたすなどリーグ屈指くっし強豪きょうごうであったが、ラリー・バード主力しゅりょく高齢こうれいすすみ、さらに前年ぜんねんドラフト2指名しめいしたレン・バイアス急死きゅうしするという悲劇ひげきもあったため、チームの若返わかがえりが急務きゅうむとなっていた。ルイスの入団にゅうだん一連いちれん状況じょうきょう打開だかいするものとして期待きたいされた。

1ねんの1987-88シーズン、ルイスは49試合しあい出場しゅつじょう平均へいきん4.5得点とくてん存在そんざいかんしめせず、オールルーキーチームりものがした。しかしよく1988-89シーズンはヘッドコーチが交代こうたいし、さらに大黒柱だいこくばしらのバードが怪我けがでシーズンの大半たいはん欠場けつじょうしたこともあって飛躍ひやくてき出場しゅつじょう時間じかんばし、チーム3となる平均へいきん18.5得点とくてん記録きろくした。プロ4ねんの1990-91シーズンからは不動ふどう先発せんぱつとなり、バードにぐ2番手ばんて得点とくてんオプションとしての地位ちい確立かくりつした。

1991-92シーズン、ルイスはぜん試合しあい出場しゅつじょうし、キャリアハイとなる平均へいきん20.8得点とくてんをあげて自身じしん唯一ゆいいつオールスターえらばれた。チームはカンファレンス準決勝じゅんけっしょう敗退はいたいしたが、ルイスはプレーオフ平均へいきん28.0得点とくてんだい活躍かつやくせた。このシーズンかぎりでバードが引退いんたいし、ルイスは名実めいじつともにセルティックスのエースとなった。むかえた1992-93シーズンは前年ぜんねんなら平均へいきん20.8得点とくてん記録きろくし、チームを14ねん連続れんぞくとなるプレーオフにみちびいた。しかしこれがルイスにとって最後さいごのシーズンとなった。

NBAでの成績せいせきは、450試合しあい出場しゅつじょう通算つうさん7,902得点とくてん1,938リバウンド(平均へいきん17.6得点とくてん4.3リバウンド)であった。

突然とつぜん[編集へんしゅう]

1993ねん4がつ29にちシャーロット・ホーネッツとのプレーオフ1回戦かいせんだい1せん出場しゅつじょうしたルイスは、だい1クォーター途中とちゅう突然とつぜんコートにたおれ、すぐに意識いしきもどしたものの一旦いったんベンチにがった。その本人ほんにん希望きぼうふたた試合しあいもどったが、眩暈げんうん息切いきぎれにくわえ、動作どうさ異常いじょうがあったためコーチの判断はんだんふたたびベンチにもどされ、そのままコートをった。13分間ふんかん出場しゅつじょうで17得点とくてん記録きろくしたこの試合しあいが、ルイスのラストゲームとなった。

ルイスは翌日よくじつ病院びょういん精密せいみつ検査けんさけた結果けっか心筋しんきんしょうによる不整脈ふせいみゃくうたがいがつよく、いのちかかわる可能かのうせいもあるため現役げんえき続行ぞっこう困難こんなんであると診断しんだんされた。しかしこれに納得なっとくしなかったルイスはべつ病院びょういん医師いしにセカンドオピニオンをもとめた。医師いしは、ルイスの症状しょうじょう神経しんけいばらせいのものであり、心臓しんぞう特段とくだん異常いじょうられないと診断しんだんした。この結果けっかよろこんだルイスは、よくシーズンの復帰ふっきけてワークアウトを開始かいしした。

1993ねん7がつ27にちブランダイス大学だいがくのコートで仲間なかまとともにバスケットボールをプレーしていたルイスは突如とつじょとしてゆかくずち、意識いしきもどすことなく同日どうじつ1930ふん搬送はんそうさき病院びょういん死去しきょした。享年きょうねん27。解剖かいぼうにより、死因しいん肥大ひだいがた心筋しんきんしょう断定だんていされた。6にちボストンおこなわれた追悼ついとうしきにはやく15,000にん市民しみん参列さんれつした。

死後しご、ルイスの心筋しんきんしょうコカイン摂取せっしゅ起因きいんしたものではないかという疑惑ぎわくが『ウォール・ストリート・ジャーナル』によってほうじられ、大々的だいだいてきなセンセーションをおこした。この疑惑ぎわく一部いちぶ関係かんけいしゃによって否定ひていされたものの、前後ぜんごめぐるいくつかの不自然ふしぜん状況じょうきょうから依然いぜんとして有力ゆうりょくされている。セルティックスはこの報道ほうどう事実無根じじつむこんだとして、『ウォール・ストリート・ジャーナル』およびその親会社おやがいしゃたい訴訟そしょうおこすと警告けいこくした。また、ルイスのつまは、かれ心臓しんぞう問題もんだいがないと診断しんだんした医師いしたいして3訴訟そしょうおこしたがいずれも敗訴はいそしている。

その[編集へんしゅう]

1995ねん、ルイスの背番号せばんごう『35』がセルティックスの永久えいきゅう欠番けつばん指定していされた。同年どうねんにはかれかんしたアスレティック・センターがボストンのロクスベリーにオープンした。

ルイスのけ、コミッショナーのデビッド・スターンは、現役げんえき選手せんしゅ死亡しぼうした場合ばあい、その契約けいやくきんがリーグの保険ほけんから支払しはらわれるようにルールを変更へんこうすると発表はっぴょうした。

なお、ルイスをうしなったセルティックスは転落てんらく一途いっと辿たどり、1996ねんから6ねん連続れんぞくでプレーオフをのがすなど球団きゅうだん史上しじょうれいない暗黒あんこく突入とつにゅうした。つぎにセルティックスが頂点ちょうてんつのは、かれから15ねん経過けいかした2008ねんのことである。

個人こじん成績せいせき[編集へんしゅう]

レギュラーシーズン[編集へんしゅう]

Season Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1987–88 BOS 49 0 8.3 .466 .000 .702 1.3 .5 .3 .3 4.5
1988–89 81 57 32.8 .486 .136 .787 4.7 2.7 1.5 .9 18.5
1989–90 79 54 31.9 .496 .267 .808 4.4 2.8 1.1 .8 17.0
1990–91 79 79 36.4 .491 .077 .826 5.2 2.5 1.2 1.1 18.7
1991–92 82 82 37.4 .503 .238 .851 4.8 2.3 1.5 1.3 20.8
1992–93 80 80 39.3 .470 .233 .867 4.3 3.7 1.5 1.0 20.8
Career 450 352 32.6 .488 .200 .824 4.3 2.6 1.3 .9 17.6
All-Star 1 0 15.0 .429 .500 4.0 2.0 1.0 7.0

プレーオフ[編集へんしゅう]

Year Team GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1988 BOS 12 0 5.8 .382 .000 .600 1.3 .3 .3 .2 2.4
1989 3 3 41.7 .473 .000 .692 7.0 3.7 1.7 .0 20.3
1990 5 5 40.0 .597 .000 .771 5.0 4.4 1.4 .4 20.2
1991 11 11 42.0 .487 .000 .824 6.2 2.9 1.1 .5 22.4
1992 10 10 40.8 .528 .333 .762 4.3 3.9 2.4 .8 28.0
1993 1 1 13.0 .636 .000 .750 2.0 1.0 .0 1.0 17.0
Career 42 30 30.4 .510 .133 .777 4.2 2.6 1.2 .5 17.5

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]