沈のサム

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オスカー
沈のサム
生誕せいたん1941ねん以前いぜん
ドイツ
死没しぼつ1955ねん
ベルファスト, イギリス
職業しょくぎょう船乗ふなのねこ
所属しょぞくドイツ海軍かいぐんおよびイギリス海軍かいぐん

沈のサム英語えいご: Unsinkable Sam)またはオスカーえい: OskarまたはOscar)はだい世界せかい大戦たいせんで3艦船かんせん沈没ちんぼついた船乗ふなのねこ[1]わず半年はんとしあいだ乗船じょうせんした3せき軍艦ぐんかんすべ沈没ちんぼつし、救助きゅうじょした2せき駆逐くちくかんのち沈没ちんぼつした。

乗船じょうせんれき[編集へんしゅう]

戦艦せんかんビスマルク[編集へんしゅう]

戦艦せんかんビスマルク

このねこ最初さいしょ乗船じょうせんは、ドイツ海軍かいぐん戦艦せんかんビスマルクであった。この白黒しろくろのブチ模様もようの「船乗ふなのねこ」をっていた乗員じょういんがビスマルクのだれ不明ふめいであるが[1]、1941ねん5がつ18にちにビスマルクはライン演習えんしゅう作戦さくせん参加さんかするために出航しゅっこうした。ライン演習えんしゅう作戦さくせんはビスマルクが参加さんかした最初さいしょ最後さいご作戦さくせんとなった。5月24にち、ビスマルクはめぐよう戦艦せんかんフッド撃沈げきちんしたものの、イギリス海軍かいぐん執拗しつよう追撃ついげきける。5月26にち空母くうぼアーク・ロイヤル雷撃らいげきがビスマルクを攻撃こうげきし、かじ中央ちゅうおうスクリューが破壊はかいされる。これによってビスマルクは低速ていそくでの航行こうこうしかできなくなりイギリス戦艦せんかん部隊ぶたい捕捉ほそくされる。5月27にち、ビスマルクははげしい海戦かいせんのち沈没ちんぼつしたが、2200にんえる乗務じょうむいんのうち救助きゅうじょされたのは118にんぎなかった。イギリス駆逐くちくかんコサックは、沈没ちんぼつ数時間すうじかん海面かいめん漂流ひょうりゅうするれのうえにこのねこ発見はっけんしてひろいあげて救助きゅうじょした[2]。このねこはコサックが救助きゅうじょした唯一ゆいいつ生存せいぞんしゃとなった。

駆逐くちくかんコサック[編集へんしゅう]

駆逐くちくかんコサック

駆逐くちくかんコサック乗員じょういんはこのねこを「オスカー」と命名めいめいした[2]。コサックは船団せんだん護衛ごえいなどの任務にんむいそがしく、また艦内かんないせまかったためにオスカーはいた日々ひびおくることができなかった[3]。ビスマルク沈没ちんぼつから5かげつ、コサックは地中海ちちゅうかい北大西洋きたたいせいよう輸送ゆそう船団せんだん護衛ごえいする任務にんむいていた。1941ねん10がつ24にち、コサックはジブラルタルからイギリスにかうHG75輸送ゆそう船団せんだん護衛ごえいちゅうに、ドイツ潜水せんすいかんU-563英語えいごばん雷撃らいげきけた[4]。コサックのかんくび命中めいちゅうした1ほん魚雷ぎょらいによって[3]船体せんたい前側まえがわ1/3がばされ159にん乗員じょういん死亡しぼうした。乗員じょういんおな船団せんだん護衛ごえいしていた駆逐くちくかんリージョン退避たいひした。かみなりしておおきく傾斜けいしゃしたコサックをジブラルタルこう曳航えいこうする努力どりょくがなされたが、気象きしょう条件じょうけん悪化あっかしたために作業さぎょう中断ちゅうだんされた。曳航えいこう中止ちゅうしされて1にち経過けいかした10月27にち、コサックはジブラルタルの西岸せいがんちかくに沈没ちんぼつした。オスカーはリージョンにってジブラルタルの海軍かいぐん基地きちはこばれた[4]

空母くうぼアークロイヤル[編集へんしゅう]

魚雷ぎょらい命中めいちゅう空母くうぼアークロイヤル
おおきくかたむいたアークロイヤルと、駆逐くちくかんリージョン

オスカーは空母くうぼアークロイヤル乗員じょういん紹介しょうかいされ[3]今度こんどはアークロイヤルに乗船じょうせんすることになった[3]。2かい沈没ちんぼつ経験けいけんいたオスカーは、艦長かんちょうによって「沈のサム」というニックネームをけられた[3](ここでいう沈とはふねしずまないという意味いみではなく、オスカー自身じしんうみしずまなかったという意味いみ)。アークロイヤルは、オスカーがったビスマルクに、航空機こうくうきからの雷撃らいげき致命傷ちめいしょうわせた空母くうぼであった。しかし「オスカー」あらため「サム」はここでも不運ふうんであった。1941ねん11月、空母くうぼアークロイヤルは、地中海ちちゅうかいマルタへの戦闘せんとう輸送ゆそう作戦さくせんパーペテュアル作戦さくせん)に参加さんかした。マルタからの帰路きろの11月13にち、アークロイヤルはドイツ潜水せんすいかんU-81攻撃こうげきけた。U-81は4はつ魚雷ぎょらい発射はっしゃし、そのうち1はつがアークロイヤルの右舷うげん中央ちゅうおう艦橋かんきょう直下ちょっか命中めいちゅうした。魚雷ぎょらい深度しんどふか調整ちょうせいされており、アークロイヤルの右舷うげんからかんそこにかけて39.6m×9.1mのやぶあな形成けいせいされた[5]。ジブラルタルこうからけた曳船えいせんテムズによって曳航えいこうこころみられたが、アークロイヤルは、建造けんぞう様々さまざま制限せいげんがあったために重心じゅうしんたか元々もともと不安定ふあんていであり、またかみなり応急おうきゅう処置しょちにも様々さまざま不手際ふてぎわがあったためおおきく傾斜けいしゃし、翌日よくじつ午前ごぜん4乗員じょういん全員ぜんいん退避たいひした。この攻撃こうげきでの死者ししゃは、魚雷ぎょらい命中めいちゅう衝撃しょうげきによって甲板かんぱんじょう雷撃らいげき海面かいめん落下らっかしてくなった操縦そうじゅういん1めいだけであった。11月14にち午前ごぜん6ごろより急激きゅうげき傾斜けいしゃしたために曳航えいこう中止ちゅうしされた。曳航えいこう中止ちゅうしされてあいだもなく、アークロイヤルはジブラルタルのおき30マイルで転覆てんぷくして沈没ちんぼつした。「サム」は、内火艇ないかてい破片はへんにしがみいて漂流ひょうりゅうしているところを発見はっけんされた[6]発見はっけんは「不機嫌ふきげんだがまった負傷ふしょうしていない状態じょうたい(angry but quite unharmed)」と報告ほうこくされている[7]。「サム」がしがみいていたのは水上すいじょうつばさ破片はへんだったという証言しょうげんもある[3]。アークロイヤルの乗員じょういんとサムは駆逐くちくかんライトニング英語えいごばん駆逐くちくかんリージョン救助きゅうじょされた。なお「サム」を救助きゅうじょしたこの2せき軍艦ぐんかんもその沈没ちんぼつしてうしなわれた。駆逐くちくかんリージョンは、4かげつの1942ねん3がつ沈没ちんぼつ駆逐くちくかんライトニングも1943ねん3がつ沈没ちんぼつし、サムにかかわった艦船かんせん5せきしずんだ。

余生よせい[編集へんしゅう]

アークロイヤルから救助きゅうじょされたサムは、駆逐くちくかんジブラルタル提督ていとく事務所じむしょはこばれた[3]わず半年はんとしあいだあいだにサムが乗船じょうせんしたふねが3せきしずんだことより、迷信めいしんふか水兵すいへいたちは二度にどとサムを乗船じょうせんさせないとちかったとされる[3]。そのサムはイギリス本土ほんどうつされ、余生よせいベルファストにある「Home for Sailors」とばれる船員せんいん宿舎しゅくしゃごした[8]。1955ねん死去しきょ

ロンドン近郊きんこうグリニッジ国立こくりつ海洋かいよう博物館はくぶつかん英語えいごばんには、ジョージナ・ショー=ベイカーがえがいた「Oscar、Bismarck's Cat」という題名だいめいのサムの肖像しょうぞうのこされている[6]

異論いろん[編集へんしゅう]

沈のサム」は実話じつわではなくフィクションではないかという指摘してきもある。その根拠こんきょとして「オスカーあるいはサム」とされるねこ写真しゃしんは2種類しゅるい存在そんざいすることがげられている。また戦艦せんかんビスマルクが沈没ちんぼつしたときの海域かいいき状況じょうきょう非常ひじょう過酷かこくであった。Uボートによる攻撃こうげき可能かのうせいもあったためにイギリス艦艇かんてい停止ていしせずに救助きゅうじょをおこなったため、ビスマルクの乗員じょういんほとんどが溺死できししている。ビスマルク沈没ちんぼつ詳細しょうさいについて出版しゅっぱんしたルドヴィック・ケネディ英語えいごばんほんにも、このねこについて言及げんきゅうがない[9][10]

船乗ふなのねこについて[編集へんしゅう]

ふねには、ネズミの駆除くじょのためにねこうことが古代こだいよりおこなわれてきた。ネズミはやロープをかじってしまうほか食料しょくりょうにも被害ひがいあたえた。またふねのネズミはペスト媒介ばいかいしゃとしてもられた。技術ぎじゅつ進歩しんぽした近代きんだいにおいても電線でんせんかじってショートや断線だんせんさせる犯人はんにんとされた。またねこ荒天こうてんとおざけるといった迷信めいしんもあった。こういった理由りゆうによりだい世界せかい大戦たいせんでも様々さまざま有名ゆうめいな「船乗ふなのねこ(Ship's cat)」が誕生たんじょうしている。ただし、イギリス海軍かいぐんは1975ねんねこふくすべてのペットのみを禁止きんしした[11]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Stall, Sam (2007), 100 Cats Who Changed Civilization: History's Most Influential Felines, Quirk Books, pp. 57–58, ISBN 1-59474-163-8 
  2. ^ a b Piekałkiewicz, Janusz (1987), Sea War, 1939-1945 (translated by Peter Spurgeon), Historical Times, p. 142, ISBN 978-0-7137-1665-8 
  3. ^ a b c d e f g h World Of Warships - Head Over Keels: Unsinkable Sam”. 2017ねん2がつ17にち閲覧えつらん
  4. ^ a b Piekałkiewicz, p. 170.
  5. ^ Friedman. British Carrier Aviation. p. 126 
  6. ^ a b Imperial War Museum (pdf), The Animals' War: Special Exhibitions Gallery, http://archive.iwm.org.uk/upload/package/74/AnimalsWar/images/AnimalsWarObjects.pdf 2013ねん4がつ17にち閲覧えつらん [リンク]
  7. ^ Jameson, William (2004), Ark Royal: The Life of an Aircraft Carrier at War 1939-41, Periscope Publishing, p. 372, ISBN 1-904381-27-8 
  8. ^ Piekałkiewicz, p. 173
  9. ^ "Some serious researchers of the matter believe that the tale of Oscar as given above, while it makes a marvellous story, is what would probably today be called an 'urban myth' ..."
  10. ^ Kennedy, Ludovic Pursuit: The Sinking of the Bismarck
  11. ^ Famous ships cats and their lives, UK: Purr’n’fur, http://www.purr-n-fur.org.uk/featuring/war02.html .

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]