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この項目 こうもく では、不 ふ 沈のサムとも呼 よ ばれた猫 ねこ のオスカーについて説明 せつめい しています。アメリカの老人 ろうじん ホームで飼 か われているセラピー猫 ねこ のオスカーについては「オスカー (セラピー猫 ねこ ) 」を、後足 あとあし 切断 せつだん により義足 ぎそく を装着 そうちゃく したジャージー島 とう の猫 ねこ については「オスカー (義足 ぎそく 猫 ねこ ) 」をご覧 らん ください。
不 ふ 沈のサム (英語 えいご : Unsinkable Sam )またはオスカー (英 えい : Oskar またはOscar )は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん で3度 ど の艦船 かんせん の沈没 ちんぼつ を生 い き抜 ぬ いた船乗 ふなの り猫 ねこ [1] 。僅 わず か半年 はんとし の間 あいだ に乗船 じょうせん した3隻 せき の軍艦 ぐんかん は全 すべ て沈没 ちんぼつ し、救助 きゅうじょ した2隻 せき の駆逐 くちく 艦 かん も後 のち に沈没 ちんぼつ した。
戦艦 せんかん ビスマルク
この猫 ねこ の最初 さいしょ の乗船 じょうせん は、ドイツ海軍 かいぐん の戦艦 せんかん ビスマルク であった。この白黒 しろくろ のブチ模様 もよう の「船乗 ふなの り猫 ねこ 」を飼 か っていた乗員 じょういん がビスマルクの誰 だれ か不明 ふめい であるが[1] 、1941年 ねん 5月 がつ 18日 にち にビスマルクはライン演習 えんしゅう 作戦 さくせん に参加 さんか するために出航 しゅっこう した。ライン演習 えんしゅう 作戦 さくせん はビスマルクが参加 さんか した最初 さいしょ で最後 さいご の作戦 さくせん となった。5月24日 にち 、ビスマルクは巡 めぐ 洋 よう 戦艦 せんかん フッド を撃沈 げきちん したものの、イギリス海軍 かいぐん の執拗 しつよう な追撃 ついげき を受 う ける。5月26日 にち 、空母 くうぼ アーク・ロイヤル の雷撃 らいげき 機 き がビスマルクを攻撃 こうげき し、舵 かじ と中央 ちゅうおう スクリューが破壊 はかい される。これによってビスマルクは低速 ていそく での航行 こうこう しかできなくなりイギリス戦艦 せんかん 部隊 ぶたい に捕捉 ほそく される。5月27日 にち 、ビスマルクは激 はげ しい海戦 かいせん の後 のち に沈没 ちんぼつ したが、2200人 にん を超 こ える乗務 じょうむ 員 いん のうち救助 きゅうじょ されたのは118人 にん に過 す ぎなかった。イギリス駆逐 くちく 艦 かん コサック は、沈没 ちんぼつ の数時間 すうじかん 後 ご に海面 かいめん に漂流 ひょうりゅう する木 き 切 き れの上 うえ にこの猫 ねこ を発見 はっけん して拾 ひろ いあげて救助 きゅうじょ した[2] 。この猫 ねこ はコサックが救助 きゅうじょ した唯一 ゆいいつ の生存 せいぞん 者 しゃ となった。
駆逐 くちく 艦 かん コサック
駆逐 くちく 艦 かん コサック の乗員 じょういん はこの猫 ねこ を「オスカー」と命名 めいめい した[2] 。コサックは船団 せんだん の護衛 ごえい などの任務 にんむ に忙 いそが しく、また艦内 かんない も狭 せま かったためにオスカーは落 お ち着 つ いた日々 ひび を送 おく ることができなかった[3] 。ビスマルク沈没 ちんぼつ から5か月 げつ 後 ご 、コサックは地中海 ちちゅうかい と北大西洋 きたたいせいよう の輸送 ゆそう 船団 せんだん の護衛 ごえい する任務 にんむ に就 つ いていた。1941年 ねん 10月 がつ 24日 にち 、コサックはジブラルタル からイギリスに向 む かうHG75輸送 ゆそう 船団 せんだん を護衛 ごえい 中 ちゅう に、ドイツ潜水 せんすい 艦 かん U-563 (英語 えいご 版 ばん ) の雷撃 らいげき を受 う けた[4] 。コサックの艦 かん 首 くび に命中 めいちゅう した1本 ほん の魚雷 ぎょらい によって[3] 、船体 せんたい の前側 まえがわ 1/3が吹 ふ き飛 と ばされ159人 にん の乗員 じょういん が死亡 しぼう した。乗員 じょういん は同 おな じ船団 せんだん を護衛 ごえい していた駆逐 くちく 艦 かん リージョン に退避 たいひ した。被 ひ 雷 かみなり して大 おお きく傾斜 けいしゃ したコサックをジブラルタル港 こう に曳航 えいこう する努力 どりょく がなされたが、気象 きしょう 条件 じょうけん が悪化 あっか したために作業 さぎょう が中断 ちゅうだん された。曳航 えいこう が中止 ちゅうし されて1日 にち 経過 けいか した10月27日 にち 、コサックはジブラルタルの西岸 せいがん 近 ちか くに沈没 ちんぼつ した。オスカーはリージョンに乗 の ってジブラルタルの海軍 かいぐん 基地 きち に運 はこ ばれた[4] 。
魚雷 ぎょらい 命中 めいちゅう 後 ご の空母 くうぼ アークロイヤル
大 おお きく傾 かたむ いたアークロイヤルと、寄 よ り添 そ う駆逐 くちく 艦 かん リージョン
オスカーは空母 くうぼ アークロイヤル の乗員 じょういん に紹介 しょうかい され[3] 、今度 こんど はアークロイヤルに乗船 じょうせん することになった[3] 。2回 かい の沈没 ちんぼつ を経験 けいけん し生 い き抜 ぬ いたオスカーは、艦長 かんちょう によって「不 ふ 沈のサム」というニックネームを付 つ けられた[3] (ここでいう不 ふ 沈とは船 ふね が沈 しず まないという意味 いみ ではなく、オスカー自身 じしん が海 うみ に沈 しず まなかったという意味 いみ )。アークロイヤルは、オスカーが乗 の ったビスマルクに、航空機 こうくうき からの雷撃 らいげき で致命傷 ちめいしょう を負 お わせた空母 くうぼ であった。しかし「オスカー」改 あらた め「サム」はここでも不運 ふうん であった。1941年 ねん 11月、空母 くうぼ アークロイヤルは、地中海 ちちゅうかい のマルタ への戦闘 せんとう 機 き 輸送 ゆそう の作戦 さくせん (パーペテュアル作戦 さくせん )に参加 さんか した。マルタからの帰路 きろ の11月13日 にち 、アークロイヤルはドイツ潜水 せんすい 艦 かん U-81 の攻撃 こうげき を受 う けた。U-81は4発 はつ の魚雷 ぎょらい を発射 はっしゃ し、そのうち1発 はつ がアークロイヤルの右舷 うげん 中央 ちゅうおう 部 ぶ 艦橋 かんきょう 直下 ちょっか に命中 めいちゅう した。魚雷 ぎょらい の深度 しんど は深 ふか く調整 ちょうせい されており、アークロイヤルの右舷 うげん から艦 かん 底 そこ にかけて39.6m×9.1mの破 やぶ 孔 あな が形成 けいせい された[5] 。ジブラルタル港 こう から駆 か け付 つ けた曳船 えいせん テムズによって曳航 えいこう が試 こころ みられたが、アークロイヤルは、建造 けんぞう に様々 さまざま な制限 せいげん があったために重心 じゅうしん が高 たか く元々 もともと 不安定 ふあんてい であり、また被 ひ 雷 かみなり 後 ご の応急 おうきゅう 処置 しょち にも様々 さまざま な不手際 ふてぎわ があったため大 おお きく傾斜 けいしゃ し、翌日 よくじつ の午前 ごぜん 4時 じ に乗員 じょういん は全員 ぜんいん 退避 たいひ した。この攻撃 こうげき での死者 ししゃ は、魚雷 ぎょらい 命中 めいちゅう の衝撃 しょうげき によって甲板 かんぱん 上 じょう の雷撃 らいげき 機 き が海面 かいめん に落下 らっか して亡 な くなった操縦 そうじゅう 員 いん 1名 めい だけであった。11月14日 にち 午前 ごぜん 6時 じ 頃 ごろ より急激 きゅうげき に傾斜 けいしゃ が増 ま したために曳航 えいこう も中止 ちゅうし された。曳航 えいこう が中止 ちゅうし されて間 あいだ もなく、アークロイヤルはジブラルタルの沖 おき 30マイルで転覆 てんぷく して沈没 ちんぼつ した。「サム」は、内火艇 ないかてい の破片 はへん にしがみ付 つ いて漂流 ひょうりゅう しているところを発見 はっけん された[6] 。発見 はっけん 時 じ は「不機嫌 ふきげん だが全 まった く負傷 ふしょう していない状態 じょうたい (angry but quite unharmed )」と報告 ほうこく されている[7] 。「サム」がしがみ付 つ いていたのは水上 すいじょう 機 き の翼 つばさ の破片 はへん だったという証言 しょうげん もある[3] 。アークロイヤルの乗員 じょういん とサムは駆逐 くちく 艦 かん ライトニング(英語 えいご 版 ばん ) と駆逐 くちく 艦 かん リージョン に救助 きゅうじょ された。なお「サム」を救助 きゅうじょ したこの2隻 せき の軍艦 ぐんかん もその後 ご に沈没 ちんぼつ して失 うしな われた。駆逐 くちく 艦 かん リージョンは、4か月 げつ 後 ご の1942年 ねん 3月 がつ に沈没 ちんぼつ 。駆逐 くちく 艦 かん ライトニングも1943年 ねん 3月 がつ に沈没 ちんぼつ し、サムに関 かか わった艦船 かんせん 5隻 せき が沈 しず んだ。
アークロイヤルから救助 きゅうじょ されたサムは、駆逐 くちく 艦 かん でジブラルタル の提督 ていとく の事務所 じむしょ に運 はこ ばれた[3] 。僅 わず か半年 はんとし 間 あいだ の間 あいだ にサムが乗船 じょうせん した船 ふね が3隻 せき も沈 しず んだことより、迷信 めいしん 深 ふか い水兵 すいへい たちは二度 にど とサムを乗船 じょうせん させないと誓 ちか ったとされる[3] 。その後 ご サムはイギリス本土 ほんど に移 うつ され、余生 よせい をベルファスト にある「Home for Sailors 」と呼 よ ばれる船員 せんいん の宿舎 しゅくしゃ で過 す ごした[8] 。1955年 ねん に死去 しきょ 。
ロンドン近郊 きんこう のグリニッジ国立 こくりつ 海洋 かいよう 博物館 はくぶつかん (英語 えいご 版 ばん ) には、ジョージナ・ショー=ベイカーが描 えが いた「Oscar、Bismarck's Cat 」という題名 だいめい のサムの肖像 しょうぞう 画 が が残 のこ されている[6] 。
「不 ふ 沈のサム」は実話 じつわ ではなくフィクション ではないかという指摘 してき もある。その根拠 こんきょ として「オスカーあるいはサム」とされる猫 ねこ の写真 しゃしん は2種類 しゅるい 存在 そんざい することが挙 あ げられている。また戦艦 せんかん ビスマルクが沈没 ちんぼつ したときの海域 かいいき の状況 じょうきょう は非常 ひじょう に過酷 かこく であった。Uボートによる攻撃 こうげき の可能 かのう 性 せい もあったためにイギリス艦艇 かんてい は停止 ていし せずに救助 きゅうじょ をおこなったため、ビスマルクの乗員 じょういん の殆 ほとん どが溺死 できし している。ビスマルク沈没 ちんぼつ の詳細 しょうさい について出版 しゅっぱん したルドヴィック・ケネディ (英語 えいご 版 ばん ) の本 ほん にも、この猫 ねこ について言及 げんきゅう がない[9] [10] 。
船乗 ふなの り猫 ねこ について[ 編集 へんしゅう ]
船 ふね には、ネズミの駆除 くじょ のために猫 ねこ を飼 か うことが古代 こだい より行 おこな われてきた。ネズミは帆 ほ やロープを齧 かじ ってしまう他 ほか 、積 つ み荷 に や食料 しょくりょう にも被害 ひがい を与 あた えた。また船 ふね のネズミはペスト の媒介 ばいかい 者 しゃ としても知 し られた。技術 ぎじゅつ が進歩 しんぽ した近代 きんだい においても電線 でんせん を齧 かじ ってショートや断線 だんせん させる犯人 はんにん とされた。また猫 ねこ は荒天 こうてん を遠 とお ざけるといった迷信 めいしん もあった。こういった理由 りゆう により第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん でも様々 さまざま な有名 ゆうめい な「船乗 ふなの り猫 ねこ (Ship's cat)」が誕生 たんじょう している。ただし、イギリス海軍 かいぐん は1975年 ねん に猫 ねこ を含 ふく む全 すべ てのペットの持 も ち込 こ みを禁止 きんし した[11] 。
^ a b Stall, Sam (2007), 100 Cats Who Changed Civilization: History's Most Influential Felines , Quirk Books, pp. 57–58, ISBN 1-59474-163-8
^ a b Piekałkiewicz, Janusz (1987), Sea War, 1939-1945 (translated by Peter Spurgeon) , Historical Times, p. 142, ISBN 978-0-7137-1665-8
^ a b c d e f g h “World Of Warships - Head Over Keels: Unsinkable Sam ”. 2017年 ねん 2月 がつ 17日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b Piekałkiewicz, p. 170.
^ Friedman. British Carrier Aviation . p. 126
^ a b Imperial War Museum (pdf), The Animals' War: Special Exhibitions Gallery , http://archive.iwm.org.uk/upload/package/74/AnimalsWar/images/AnimalsWarObjects.pdf 2013年 ねん 4月 がつ 17日 にち 閲覧 えつらん 。 [リンク切 き れ ]
^ Jameson, William (2004), Ark Royal: The Life of an Aircraft Carrier at War 1939-41 , Periscope Publishing, p. 372, ISBN 1-904381-27-8
^ Piekałkiewicz, p. 173
^ "Some serious researchers of the matter believe that the tale of Oscar as given above, while it makes a marvellous story, is what would probably today be called an 'urban myth' ..."
^ Kennedy, Ludovic
Pursuit: The Sinking of the Bismarck
^ Famous ships cats and their lives , UK : Purr’n’fur, http://www.purr-n-fur.org.uk/featuring/war02.html .