中山なかやま 義男よしお(なかやま よしお、1896年ねん(明治めいじ29年ねん)8月がつ23日にち[1] - 没年ぼつねん不明ふめい)は、大正たいしょうから昭和しょうわ時代じだい前期ぜんきの台湾たいわん総督そうとく府ふ官僚かんりょう。
山梨やまなし県けん出身しゅっしん[1]。
府ふ属ぞく官房かんぼう文書ぶんしょ課か勤務きんむより1940年ねん(昭和しょうわ15年ねん)10月がつに地方ちほう理事りじ官かんに進すすみ、宜むべ蘭あららぎ市し助役じょやくに就任しゅうにん[1]。ついで1942年ねん(昭和しょうわ17年ねん)4月がつ、台たい南みなみ州しゅう斗と六ろく郡ぐん守まもりに転てんじた[1][2]。