ちゅう落堀川おちぼりがわ

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ちゅう落堀川おちぼりがわ
大浦おおうらきょう付近ふきん(2011ねん11月)
水源すいげん 新川しんかわ用水ようすい稲荷台いなりだい用水ようすいなど(埼玉さいたまけん久喜くき
河口かこう合流ごうりゅうさき 大落古利根川おおとしふるとねがわ埼玉さいたまけん久喜くき南埼玉みなみさいたまぐん宮代みやしろまち北葛飾きたかつしかぐん杉戸すぎとまち境界きょうかい
ながれ 久喜くき南埼玉みなみさいたまぐん宮代みやしろまち
流域りゅういき 久喜くき南埼玉みなみさいたまぐん宮代みやしろまち
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ちゅう落堀川おちぼりがわ(なかおとしほりがわ)は、埼玉さいたまけん北東ほくとうながれる準用じゅんよう河川かせんである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ちゅう落堀川おちぼりがわ歴史れきし比較的ひかくてきふるく、元禄げんろく6ねん1693ねんころ)の『騎西きさいりょう久喜くきりょうあく水堀みずほり争論そうろん裁許さいきょ絵図えず』にすでに排水はいすいとしてえがかれている。このかわは、現在げんざい南東なんとうかってほぼ1本線ほんせんながれるが、元禄げんろく6ねん絵図えずでは吉羽よしばむら野久喜のぐきむらさかいきたながれ、あく水落みずおち新堀しんぼりへと合流ごうりゅうする支流しりゅうがあった[1]:647安永やすなが6ねん1777ねんころ)の『騎西きさいりょうようあくすい組合くみあいむら高並たかなみほりつかまつ来書らいしょじょう』には、関係かんけい面積めんせき6平方へいほうキロメートルあまり、全長ぜんちょう4.6キロメートルであるむねしるされている[1]:6021875ねん明治めいじ8ねんごろ記録きろくである武藏むさしこく郡村こおりむらにも「中落なかおちほり」として記載きさいがある[2]:294

1954ねん昭和しょうわ29ねん)に合併がっぺいするまでは、久喜くきまちげん久喜くき地区ちく)と太田おおたむらげん太田おおた地区ちく)の町村ちょうそんかいしていた。

今日きょうでは、久喜くきえききた北西ほくせいすうキロメートルの場所ばしょ起点きてんに、久喜くき区域くいき市街地しがいち西にしからひがしへほぼ貫流かんりゅうし、下記かき水路すいろ合流ごうりゅうしたのち大落古利根川おおとしふるとねがわ合流ごうりゅう終点しゅうてんとなる。久喜くき久喜くき本字ほんじ香取かとり(かんどり)に香取かとり公園こうえんごうひつまえ久喜本くきほん野久喜のぐき混在こんざい)という調節ちょうせつおよびビオトープ野鳥やちょう観察かんさつじょうそなえた施設しせつがあり、また久喜くききた古久喜こぐき公園こうえんという調節ちょうせつおよびビオトープがある。利根川とねがわみず循環じゅんかんセンター下水げすい処理しょりじょう)の処理しょりすい久喜くき吉羽よしばむこうない排水はいすいされている。埼玉さいたまけんどう3ごうさいたま栗橋くりはしせん周辺しゅうへんより久喜くきえき北側きたがわ西口にしぐち)までは鉄板てっぱんによる護岸ごがんがなされている。久喜くきえき北側きたがわ東口ひがしぐち)より本川ほんがわ終点しゅうてんまでコンクリート護岸ごがんがなされている。

合流ごうりゅう

ながれ[編集へんしゅう]

橋梁きょうりょう[編集へんしゅう]

向地橋付近 中落堀川と大落古利根川の合流点
こうきょう付近ふきん
中落なかおち堀川ほりかわ大落古利根川おおとしふるとねがわ合流ごうりゅうてん

周辺しゅうへん施設しせつ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 久喜くき 通史つうしへん 上巻じょうかん埼玉さいたまけん久喜くき、1993ねん平成へいせい5ねん)。 
  2. ^ 埼玉さいたまけん 編纂へんさん へん武藏むさしこく郡村こおりむらだい11かん埼玉さいたま県立けんりつ図書館としょかん、1954ねん昭和しょうわ29ねん)。 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

久喜くきえき西口にしぐち流域りゅういき
久喜くきえき東口ひがしぐち流域りゅういき