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中里重吉
中里 重吉(なかざと じゅうきち、1865年10月10日(慶応元年8月21日) - 1946年(昭和21年)10月28日)は、明治から昭和時代前期の政治家。山形県酒田市長。
中里重威の長男として鶴岡天王前(鶴岡八坂町、西田川郡鶴岡町を経て現鶴岡市)に生まれる。1880年(明治13年)家督を相続する。1884年(明治17年)山形師範学校を卒業し、小学校教員となる。14年の勤続を経て、1900年(明治33年)4月、西田川郡視学となり、1910年(明治43年)4月、山形県視学に転じた。ついで1914年(大正3年)東田川郡長、1920年(大正9年)10月には飽海郡長となり、1923年(大正12年)官職を辞した。
同年、酒田町長に就任し、酒田浜畑町に移住。隣村との合併を進めた。その後、1933年(昭和8年)5月に市制施行と共に初代酒田市長に就任した。1937年(昭和12年)10月まで在任したのち、東京で没した。墓所は鶴岡総隠寺。
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酒田市長 | |
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