佐々木ささき 一陽いちよう(ささき かずあき)は、江戸えど幕府ばくふ旗本はたもと。石野いしの広通ひろみちの六ろく男なん。次兄じけい佐々木ささき万まん彦の養嗣子ようししとなる。
目付めつけ、勘定かんじょう奉行ぶぎょう(1843年ねん)、小普請こぶしん奉行ぶぎょうを歴任れきにんする。万まん彦とともに歌人かじんで、『梅花ばいか百ひゃく題だい和歌わか』の編者へんしゃは一いち陽ひとされる。安政あんせい2年ねん(1855年ねん)死去しきょ、享年きょうねん69。
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