(Translated by https://www.hiragana.jp/)
佐伯市道山際線 - Wikipedia コンテンツにスキップ

佐伯さえき市道しどう山際やまぎわせん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐伯さえき市道しどう山際やまぎわせん
佐伯さえきじょう三ノ丸さんのまる櫓門やぐらもん付近ふきん歩道ほどう

佐伯さえき市道しどう山際やまぎわせん(さいきしどうやまぎわせん)は、大分おおいたけん佐伯さいきにある市道しどうである。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

国道こくどう217ごう大手前おおてまえ交差点こうさてんから山手やまていたる0.5 km区間くかん市道しどう[1]である。

市街地しがいち背後はいごにある城山しろやま東麓ひがしふもとはしるこのみちは、毛利もうり12だい城下町じょうかまち面影おもかげのこされている。また、明治めいじ時代じだい小説しょうせつ国木田独歩くにきだどっぽ教師きょうしとして佐伯さえき赴任ふにんしたさい下宿げしゅくがあった独歩どっぽゆかりのみちでもある。そのため、「歴史れきし文学ぶんがくのみち」と名付なづけられ、1986ねん昭和しょうわ61ねん8がつ10日とおかに、きゅう建設省けんせつしょうと「みち実行じっこう委員いいんかいにより制定せいていされた「日本にっぽんみち100せん」に選定せんていされており[2]大手前おおてまえ交差点こうさてん付近ふきん歩道ほどう日本にっぽんみち100せん顕彰けんしょう[1]

都市とし計画けいかく事業じぎょうとして道路どうろ拡幅かくふくしたさいに、町並まちなみにふさわしい都市とし空間くうかん創造そうぞうするために、歩道ほどう石畳いしだたみめて、沿道えんどうクロマツ並木なみきがつくられ、電線でんせん地中ちちゅうするなど歴史れきしてき景観けいかんまも街路がいろづくりがおこなわれている[3]

沿道えんどうには城山しろやま東麓ひがしふもとさんまる御殿ごてんあと正門せいもんであった櫓門やぐらもんのほか、一角いっかく矢野やの龍渓りゅうけい生誕せいたん国木田独歩くにきだどっぽよせまんしていたという武家ぶけ屋敷やしき現存げんそんし、藩主はんしゅ毛利もうり菩提寺ぼだいじであったようけんてらがある[3]

沿道えんどう

[編集へんしゅう]
佐伯さえきじょう三ノ丸さんのまる櫓門やぐらもん
城下町じょうかまち佐伯さえき 国木田独歩くにきだどっぽかん
佐伯さえきじょう三ノ丸さんのまる櫓門やぐらもん(やぐらもん)
佐伯さえきしろさんまる御殿ごてん正門せいもんとして寛永かんえい14ねん1638ねん)にてられた。大分おおいたけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい[4][5]
矢野やの龍渓りゅうけい生家せいかあと
文学ぶんがくしゃ政治せいじ、ジャーナリストであった矢野やの龍渓りゅうけい生家せいかあと佐伯さえき小学校しょうがっこうこうとなっており、そのすみに「藩主はんしゅからたまわった先祖せんぞ佐伯さえき小学校しょうがっこうおくる」むねしるされた石碑せきひと、生家せいかあとしめ石碑せきひならんでっている[4][6]
安井やすい(あんせい)
佐伯さえきはんだい8だい藩主はんしゅ毛利もうりだかしるべころはんであった今泉いまいずみもとはじめ私財しざいとうじて掘削くっさくした井戸いどのひとつ。国木田独歩くにきだどっぽ作品さくひんにもえがかれている。げんはじめったあまいずみ安井やすいぼういずみの3ほん井戸いどは「今泉いまいずみもとはじめさん」とばれる[4]
山際やまぎわ史跡しせき広場ひろば山中さんちゅう屋敷やしきあと
このとおりは、江戸えど時代じだいには佐伯さいきはん上級じょうきゅう武士ぶし屋敷やしきならんでいた。山中さんちゅう屋敷やしきあとはそのような武家ぶけ屋敷やしきあとで、2014ねん平成へいせい22ねん)に礎石そせきとうかして、山際やまぎわ史跡しせき広場ひろばとして整備せいびされた[4]
茶室ちゃしつ 汲心てい
「おちゃむということはお客様きゃくさましんんで接待せったいする」ことから命名めいめいされた。本館ほんかんの「更新こうしんのき」と草庵そうあんの「五味ごみあん」からなる。抹茶まっちゃ有料ゆうりょう提供ていきょうしている[4][7]
城下町じょうかまち佐伯さえき 国木田独歩くにきだどっぽかん
鶴谷つるたにまなぶかん教師きょうしとして佐伯さえき赴任ふにんした独歩どっぽが、1893ねん明治めいじ26ねん)10がつから1894ねん明治めいじ27ねん)6がつまつまで下宿げしゅくした鶴谷つるたにまなぶかん館長かんちょう坂本さかもと永年えいねんたくおも土蔵どぞうを、独歩どっぽ資料しりょうかんとして公開こうかいしたものである。[4][8]
やしなえけんてら
佐伯さえき藩主はんしゅであった毛利もうり菩提寺ぼだいじ本堂ほんどううら歴代れきだい藩主はんしゅ五輪ごりんとうがある[4]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b 日本にっぽんみち100せん研究けんきゅうかい 2002, p. 209.
  2. ^ 日本にっぽんみち100せん研究けんきゅうかい 2002, p. 11.
  3. ^ a b 日本にっぽんみち100せん研究けんきゅうかい 2002, pp. 208–209.
  4. ^ a b c d e f g 歴史れきし文学ぶんがくのみち 佐伯さいき観光かんこうだい百科ひゃっか一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 佐伯さいき観光かんこう協会きょうかい
  5. ^ 櫓門やぐらもん(やぐらもん) 佐伯さいき観光かんこうだい百科ひゃっか一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 佐伯さいき観光かんこう協会きょうかい
  6. ^ 矢野やの龍渓りゅうけい生家せいかあと 佐伯さいき観光かんこうだい百科ひゃっか一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 佐伯さいき観光かんこう協会きょうかい
  7. ^ 茶室ちゃしつ 汲心てい 佐伯さいき観光かんこうだい百科ひゃっか一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 佐伯さいき観光かんこう協会きょうかい
  8. ^ 城下町じょうかまち佐伯さえき 国木田独歩くにきだどっぽかん 佐伯さいき観光かんこうだい百科ひゃっか一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 佐伯さいき観光かんこう協会きょうかい

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 日本にっぽんみち100せん研究けんきゅうかい ちょ国土こくど交通省こうつうしょう道路どうろきょく監修かんしゅうへん日本にっぽんみち100せん新版しんぱん〉』ぎょうせい、2002ねん6がつ20日はつか、208-209ぺーじISBN 4-324-06810-0 

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]
  • 歴史れきし文学ぶんがくのみち 佐伯さいき観光かんこうだい百科ひゃっか一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 佐伯さいき観光かんこう協会きょうかい