出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 喜左衛門(さとう きざえもん、1848年(嘉永元年) - 1899年(明治32年)11月5日[2])は、明治時代の政治家。横浜市長。
武蔵国久良岐郡北方村(神奈川県久良岐郡本牧村を経て現横浜市中区)に生まれる。1877年(明治10年)横浜第1大区3小区戸長、1883年(明治16年)横浜区長心得を経て、同年久良岐郡長に任じられた。ほか、大住・淘綾郡長を務めた[4]。
増田知前市長の辞職後、1890年(明治23年)2月の市会で商人派により横浜市長に推され、3月1日、就任した。共有物事件、ガス局事件などの解決、横浜商業会議所の設立、横浜水道・十全病院・ガス局の市営移管などに尽くし、1896年(明治29年)3月1日、満期退職した。退職後の1899年(明治32年)外遊先のホノルルでマラリアに罹り病没した。
- 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
- 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第1、歴代知事編纂会、1983年。