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先発せんぱつローテーション

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

先発せんぱつローテーション(せんぱつローテーション)とは、野球やきゅうとくプロ野球やきゅうにおいてリーグせんおこなさい複数ふくすう投手とうしゅ先発せんぱつ投手とうしゅとして起用きようする順番じゅんばんのことである。「先発せんぱつローテ」またはたんに「ローテ」とばれることもある。

概要がいよう

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人間にんげんにとって、からだ構造こうぞうかんがえるとものげるという行為こういまった合理ごうりてきでないとわれている。投手とうしゅかたうで必要ひつよう以上いじょうひねりがくわわり、そのためかたにはかたばん負担ふたんがかかりひじには内側うちがわ靭帯じんたいびやすくなりしゃくこつ神経しんけいにも悪影響あくえいきょうおよぼし、さらに遠心えんしんりょくによって指先ゆびさき毛細血管もうさいけっかんもダメージをけるためである[1]。プロ野球やきゅうのリーグせんは、やく半年はんとしあいだ長期ちょうきにわたり100試合しあい以上いじょうおこなわれるため、これだけのかずすべての試合しあい登板とうばんすることは、実質じっしつてき不可能ふかのうである。そのため、かく球団きゅうだんではすうにん投手とうしゅ先発せんぱつ投手とうしゅとして用意よういしておき、この投手とうしゅたちを順番じゅんばん起用きようする。これが先発せんぱつローテーションである。

一定いってい以上いじょうのレベルの投手とうしゅは、先発せんぱつ投球とうきゅうによる負荷ふかによってひじ周辺しゅうへん中心ちゅうしん毛細血管もうさいけっかんれる。これが再生さいせいするには4にち以上いじょうかかるとされるため、1人ひとり投手とうしゅ登板とうばん間隔かんかくを4にち以上いじょうける必要ひつようがある。5連戦れんせん以上いじょう試合しあいまれるプロ野球やきゅうリーグの場合ばあい、ローテーションは5にん前後ぜんこう構成こうせいされることが一般いっぱんてきで、チームない優秀ゆうしゅう投手とうしゅからじゅんにローテーション起用きようされることがおおい。先発せんぱつ投手とうしゅ登板とうばん間隔かんかくは「ちゅうにち」というかたちあらわされ、たとえば月曜日げつようび登板とうばんおなしゅう土曜日どようびふたた登板とうばんすればみずかねの4日間にちかんはさんだため、「ちゅう4にち」となる。

ローテーション投手とうしゅ先発せんぱつ登板とうばん試合しあい雨天うてんとう中止ちゅうしになった場合ばあい中止ちゅうし試合しあい先発せんぱつ投手とうしゅをローテーションをくずして翌日よくじつなどの直近ちょっきん試合しあい先発せんぱつ登板とうばんさせることを「スライド登板とうばん」とい、一方いっぽう試合しあい中止ちゅうしなどがからんでも、次回じかい登板とうばん予定よてい試合しあいまでローテーションをくずさず出場しゅつじょうさせないことは「ばし」とばれる。このほか、ローテーションをくずして先発せんぱつ投手とうしゅ前倒まえだおしで先発せんぱつリリーフ登板とうばんさせることを「スクランブル登板とうばん」と表現ひょうげんし、これはとくにシーズン終盤しゅうばんチームと順位じゅんいちかいチームとの直接ちょくせつ対決たいけつむかえた場合ばあい当初とうしょ先発せんぱつ予定よていだった投手とうしゅにアクシデントが発生はっせいした場合ばあい、または主力しゅりょくきゅう先発せんぱつ投手とうしゅ各種かくしゅ成績せいせきのタイトルあらそいにからんでいる場面ばめんなどでられる。

また、近年きんねんMLBでは、先発せんぱつローテにぞくする投手とうしゅ休養きゅうよう先発せんぱつ投手とうしゅ不足ふそくおぎな目的もくてきで、救援きゅうえん投手とうしゅ先発せんぱつ使つかオープナーとよばれる戦術せんじゅつ普及ふきゅうはじめてきた。先発せんぱつ救援きゅうえん投手とうしゅは1,2かいみじかいイニングをげることがほとんどで、2番手ばんてはロングリリーフの投手とうしゅれることがおおい。

日本にっぽんプロ野球やきゅう

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かつて日本にっぽんプロ野球やきゅう(NPB)では、リリーフ登板とうばんふくめてちゅう0にちでの連投れんとうちゅう1にちなどでとうする投手とうしゅられたが、近年きんねんちゅう5にちないしちゅう6にち主流しゅりゅうである。投手とうしゅすくない場合ばあいや、強豪きょうごうチーム相手あいてこう投手とうしゅ登板とうばんさせたい場合ばあいなどではちゅう4にちポストシーズンではちゅう3にちもたまにられる。

NPBの場合ばあい後述こうじゅつアメリカメジャーリーグ(MLB)とちがい、1週間しゅうかん日程にってい火曜かよう - 日曜にちようの6試合しあいさだまっている日程にっていがほとんどをめ、とくに7がつごろまではしゅう6試合しあいとなるケースもおおくなく、2014ねんまでのセ・パ交流こうりゅうせんなどの例外れいがいてき日程にっていでもしゅう5試合しあいであるために長期ちょうき連戦れんせんとなることがほぼなく、固定こていされた登板とうばん間隔かんかくたもちやすい。またNPBのルールじょう出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろくされた29にんなかから25にんがベンチりすることがさだめられているため、登板とうばん予定よていのない先発せんぱつ投手とうしゅ出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろくしたままベンチ(サブメンバーひか選手せんしゅ)からはずすことが一般いっぱんてきである(ひかえからもはずれた選手せんしゅは、ぞくに「あがり」とばれる)。このため、かく球団きゅうだん先発せんぱつローテーションとして6めい用意よういし、しゅうの6せんに6めい投手とうしゅをそれぞれてることが一般いっぱんてきである。

しかし、チーム編成へんせいで5めい前後ぜんこうすぐれた先発せんぱつ投手とうしゅ確保かくほするのは容易よういではないため、5めいでローテーションをむこともられる。この場合ばあいはエースきゅう投手とうしゅちゅう4にち・5にち登板とうばんさせ、投手とうしゅちゅう5にち・6にち登板とうばんさせていく。そのようなわせのなかで、連戦れんせんなどがかさなるとローテーションのどの投手とうしゅちゅう4にち以上いじょう間隔かんかくって登板とうばんさせることの出来できない試合しあい発生はっせいし、その試合しあいではローテーションりしていない投手とうしゅ登板とうばんさせることがおおい。その状況じょうきょうして「ローテーションの谷間たにま」、先発せんぱつ投手とうしゅは「谷間たにま投手とうしゅ」とばれる。また、満足まんぞく力量りきりょう投手とうしゅを6にん以上いじょう用意よういすることができなくても、一部いちぶ投手とうしゅへの皺寄しわよせをけるために能力のうりょくおと投手とうしゅをローテーションの下位かいくわえて、6にん編成へんせいのローテーションをんでいる場合ばあいもある。また、2010年代ねんだい後半こうはんには、先発せんぱつローテの選手せんしゅ一切いっさいさずリリーフ投手とうしゅだけでこまかくつないでる「ブルペンデー」をもうけたり、「オープナー」「ショートスターター」などとばれるみじかいイニングしかげないことを想定そうていした投手とうしゅ登板とうばんさせるケースもある。

極端きょくたんなところでは、出場しゅつじょう選手せんしゅ登録とうろく抹消まっしょうさい登録とうろくまで最低さいてい10日間にちかん制限せいげんというインターバルをかし、ちゅう10日とおかローテをむことも可能かのうである。これをはじめて採用さいようしたのは、2007ねん福岡ふくおかソフトバンクホークス斉藤さいとう和巳かずみであり、かた故障こしょう考慮こうりょしてちゅう10日とおかのローテーションが考案こうあんされた。また、ソフトバンクでは2014ねんのオールスターけから、主戦しゅせんきゅうの3にんのみちゅう6にちまわし、のこり3わく先発せんぱつ登板とうばん登録とうろく翌日よくじつ抹消まっしょうというパターンでちゅう10日とおか以上いじょうけて複数ふくすう投手とうしゅ先発せんぱつさせた。これには、25にんのベンチ選手せんしゅをフルに活用かつようできる、相性あいしょうなどにより登板とうばん調整ちょうせいできるなどのメリットがある[2]

クライマックスシリーズは、2せん先勝せんしょう方式ほうしきのファーストステージ(最大さいだい3試合しあい)と、つぎのファイナルステージ(1チームのアドバンテージ1しょうふくむ4せん先勝せんしょう最大さいだい6試合しあい)のあいだ予備よびは、2011ねん以降いこう原則げんそく1にちしかもうけていない。これは、1stステージだい1せん先発せんぱつした下位かいチームのエース投手とうしゅ最終さいしゅうステージだい1せんちゅう3にち)への先発せんぱつ登板とうばん困難こんなんにして、1チームに日程にっていてきなアドバンテージをたせる意味合いみあいもある。ただし、1st・最終さいしゅうステージあいだ予備よびが2にちあったとしもあり、そのケースではちゅう4にち登板とうばんした事例じれいもある。2010ねんのパ・リーグCSでは、当時とうじ千葉ちばロッテマリーンズのエースであった成瀬なるせ善久よしひさが、1stステージだい1せん先発せんぱつ(7.0かい、2失点しってん)したのちちゅう4にち最終さいしゅうステージだい1せんさらちゅう4にちだい6せんにも先発せんぱつ、この2試合しあいでいずれも完投かんとう勝利しょうり記録きろくだい1せんは1失点しってん完投かんとうだい6せん完封かんぷう)し、最終さいしゅうステージのMVPを受賞じゅしょうした[3]

投手とうしゅ野手やしゅ二刀流にとうりゅうとして活躍かつやくしている大谷おおやしょうたいら北海道ほっかいどう日本にっぽんハムファイターズ時代じだいちゅう6にち先発せんぱつローテーションにまれていた。先発せんぱつ前日ぜんじつ翌日よくじつは、野手のて・DHとしても試合しあい出場しゅつじょうしない。ロサンゼルス・エンゼルスでは、ちゅう6 - 10日とおか間隔かんかくで10試合しあい先発せんぱつしたが、2018ねん6がつなかばに怪我けがにより離脱りだつしたのをに、一時いちじ野手やしゅ起用きよう一本いっぽんされていた。

歴史れきし

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だい世界せかい大戦たいせんまえのNPBはシーズンの試合しあいすうすくなく、投手とうしゅ優位ゆうい試合しあいおおかったため、かくチームで2、3にん投手とうしゅ交代こうたい先発せんぱつする方法ほうほう採用さいようされ、原則げんそくてき試合しあい先発せんぱつ投手とうしゅ完投かんとうしていた。そのため、シーズンの投球とうきゅうかい非常ひじょうおおく、500かいえることもあった。

終戦しゅうせん試合しあいすう増加ぞうかすると比例ひれいして先発せんぱつ投手とうしゅ人数にんずう増加ぞうかしたが、エースきゅう投手とうしゅ状況じょうきょうにより救援きゅうえん登板とうばんもしていたため、シーズンの投球とうきゅうかいおおいままであった。とくに、1961ねんのリーグ最優秀さいゆうしゅう防御ぼうぎょりつであった稲尾いなお和久かずひさ権藤ごんどうひろしともに400かい以上いじょう登板とうばん2018ねん現在げんざいりょうリーグの最多さいた投球とうきゅうかい記録きろく)を記録きろくし、権藤ごんどうについては「権藤ごんどう権藤ごんどうあめ権藤ごんどうあめあめ権藤ごんどうあめ権藤ごんどう」という流行りゅうこうまれるほど登板とうばんスケジュールが過密かみつであった。1958ねん日本にっぽんシリーズ稲尾いなおは7試合しあいちゅう6試合しあい登板とうばんし(うち先発せんぱつ5試合しあい)47イニングをげるなど、突出とっしゅつした投手とうしゅには重要じゅうよう局面きょくめん過剰かじょう負担ふたんがかかりがちでもあった。一方いっぽうおなねん阪神はんしんタイガース監督かんとく就任しゅうにんした藤本ふじもと定義さだよしは、よく1962ねんに、小山こやま正明まさあき村山むらやまみのる二人ふたりじくとした先発せんぱつローテーションをつくり、リーグ優勝ゆうしょう達成たっせいしている[4]

しかし、稲尾いなお権藤ごんどうをはじめ、酷使こくし影響えいきょう故障こしょうして選手せんしゅ生命せいめいちぢめた選手せんしゅ多数たすうたことを教訓きょうくんに、1960年代ねんだい後半こうはんから救援きゅうえん専門せんもん投手とうしゅ整備せいびされはじめ、1975ねん広島東洋ひろしまとうようカープ監督かんとくジョー・ルーツそと木場きば義郎よしお池谷いけがやこう二郎じろう佐伯さえき和司かずしはしらとした先発せんぱつローテーションを投入とうにゅうしたのを皮切かわきりに、1980ねんころにはかく球団きゅうだん先発せんぱつローテーションが確立かくりつしていった。1980年代ねんだいちゅう5にちのローテーションをむチームがおおく、先発せんぱつ投手とうしゅ好調こうちょう判断はんだんした場合ばあい先発せんぱつ投手とうしゅながかいげさせることもおこなわれていたが、シーズンの投球とうきゅうかいが300かいえるような投手とうしゅ起用きようはなくなった。

そのようななかちゅう6にちのローテーションは故障こしょうかかえた村田むらたちょう郭泰源かくたいげん採用さいようしたのをきっかけに、1990年代ねんだいはい急速きゅうそく普及ふきゅうしていく。その一方いっぽうで、先発せんぱつ投手とうしゅ次回じかい登板とうばん疲労ひろう配慮はいりょし、投球とうきゅうすうおお先発せんぱつ投手とうしゅ中継なかつ投手とうしゅ交代こうたいさせることもえたため、シーズンの投球とうきゅうかいはさらに減少げんしょうした。ちゅう6にちローテーションの調整ちょうせいとしては、かくれいげると、登板とうばん翌日よくじつかるあせながし2にちもランニング程度ていど、3にちはキャッチボールで4、5にちに80%程度ていどちからで60-70きゅうげ、6にちあせなが程度ていど翌日よくじつ登板とうばんそなえる、という調整ちょうせいおこなっていた。また、村田むらたトミー・ジョン手術しゅじゅつけたみぎひじ状態じょうたい考慮こうりょして、日曜日にちようび限定げんていのローテーションで先発せんぱつ登板とうばんしていた。

2020ねん以降いこうになると、からだ完全かんぜんにできていない若手わかて投手とうしゅ体力たいりょくちてきたベテラン投手とうしゅたいする配慮はいりょとして、登録とうろく抹消まっしょうしたから起算きさんして10日間にちかんさい登録とうろくはできない仕組しくみを利用りようしたなか10にちローテーションで運用うんようするチームもあらわれた。これによって、よりおおくの選手せんしゅ一軍いちぐん登録とうろくすることが出来できるメリットがあるが、1人ひとりたりの登板とうばん機会きかい減少げんしょうするため必然ひつぜんてき投球とうきゅうかいすくなくなる(規定きてい投球とうきゅうかい問題もんだい)。[1]

4がつ1にちから9がつ30にちまでちゅう5にちつづけると単純たんじゅん計算けいさんした場合ばあい登板とうばん回数かいすうは30 - 31、ちゅう4にちで36 - 37である。シーズン最多さいた勝利しょうりのプロ野球やきゅう記録きろくヴィクトル・スタルヒン稲尾いなおがそれぞれ記録きろくした42しょうであるが、ちゅう4にち以上いじょうけるのが不可欠ふかけつとされる現代げんだいにおいて、記録きろく更新こうしん不可能ふかのうであるとってもいい。

メジャーリーグ

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1980ねん以降いこうのMLBでは、先発せんぱつ投手とうしゅ5にんを100きゅう前後ぜんこう降板こうばんさせ、ちゅう4にち日程にってい運営うんえいするローテーションが定着ていちゃくしている。また、非常時ひじょうじにはちゅう3にち先発せんぱつおこなわれている。

初期しょき野球やきゅうではチームのシーズンにおけるすべての試合しあいつうじ、1人ひとり投手とうしゅだけが登板とうばんすることが普通ふつうであり、ローテーションや継投けいとうという概念がいねんはなかった。その、ルールの変更へんこうなどより1人ひとり投手とうしゅがすべての試合しあい登板とうばんすることが現実げんじつてきとなったため、1920年代ねんだいから4にん投手とうしゅ交代こうたい先発せんぱつする方法ほうほう定着ていちゃくした。しかし、このころ先発せんぱつ投手とうしゅ救援きゅうえん登板とうばんする回数かいすうおおく、厳密げんみつ先発せんぱつローテーションはまれていなかった。だい世界せかい大戦たいせんのち救援きゅうえんせんもん投手とうしゅ増加ぞうかすると、先発せんぱつ投手とうしゅ救援きゅうえん登板とうばんする回数かいすう減少げんしょうしていったが、先発せんぱつ投手とうしゅ登板とうばんには相手あいてチームとの相性あいしょう順位じゅんいあらそいの状況じょうきょう考慮こうりょされたため、かならずしも先発せんぱつ投手とうしゅ登板とうばん間隔かんかく一定いっていではなかった。

1960年代ねんだいから4にん投手とうしゅちゅう3にち先発せんぱつする方法ほうほう一般いっぱんてきになり、ローテーションの原型げんけいはじまった。ここから1970年代ねんだいにかけては、投手とうしゅ優位ゆうい試合しあい比較的ひかくてきおおかったこともあり、エースきゅう投手とうしゅ試合しあいのほとんどを完投かんとうしていたため、先発せんぱつ投手とうしゅのシーズン投球とうきゅうかいは300かい以上いじょうとなることもおおかった。1970年代ねんだい中頃なかごろから5にん投手とうしゅちゅう4にち先発せんぱつする方法ほうほう採用さいようされはじめ、1980年代ねんだい以降いこう中継なかつ投手とうしゅ一定いってい間隔かんかく登板とうばんする方法ほうほう採用さいようされはじめたため、先発せんぱつ投手とうしゅ完投かんとうする回数かいすう減少げんしょうし、その結果けっか先発せんぱつ投手とうしゅのシーズンの投球とうきゅうかい大幅おおはば減少げんしょうしている。

アマチュア野球やきゅう

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  • 社会しゃかいじん野球やきゅう場合ばあい一定いってい期間きかんにトーナメントを集中しゅうちゅうしておこな場合ばあいおおく、プロ野球やきゅうのようにながいスパンでシーズンをたたかうものではないため、2にんか3にん先発せんぱつ投手とうしゅ順番じゅんばん登板とうばんさせるのが一般いっぱんてきである。ただし、むかしのプロ野球やきゅうのように絶対ぜったいてきなエースがいる場合ばあい(と同時どうじにその投手とうしゅ投手とうしゅのレベルがあまりにちがいすぎる場合ばあい)は、そのエースが先発せんぱつ連投れんとうし、投手とうしゅがリリーバーにまわることがおおい。
  • 大学だいがく野球やきゅうのリーグせんは2せん先勝せんしょうの3試合しあいせい、すなわち1週間しゅうかんごとに2連戦れんせんないしは3連戦れんせんおこな形式けいしきおおいため、おおくて2人ふたり先発せんぱつ投手とうしゅがいれば十分じゅうぶんであり、「先発せんぱつローテーション」という言葉ことばもちいられない。
  • 高校こうこう野球やきゅうはトーナメントのため、決勝けっしょうちかづくと試合しあい日程にってい過酷かこくになるが、いち番手ばんて投手とうしゅ番手ばんて以下いか投手とうしゅちからおおきいことや、ベンチりできる人数にんずうすくないことなどから、1人ひとりから3にん程度ていど投手とうしゅまわすことがおおい。そのため、しばしばエースのぎが問題もんだいされることがある。近年きんねんでは、2006年度ねんどなつ甲子園こうしえん優勝ゆうしょうした早稲田わせだ実業じつぎょう斎藤さいとうたすくじゅが1回戦かいせん、2回戦かいせん、3回戦かいせん準々じゅんじゅん決勝けっしょう準決勝じゅんけっしょう決勝けっしょう延長えんちょう15かいけ)、決勝けっしょうさい試合しあいの7試合しあい・69かいすべ1人ひとりげきった(正確せいかくには1だけリリーフ投手とうしゅ交代こうたいしたが、その投手とうしゅがひとつのアウトもれず斎藤さいとうさい登板とうばんした)ことが話題わだいとなった。そのため、高校こうこう野球やきゅうでもプロにならい、投手とうしゅ試合しあいるチームもてきているが、優秀ゆうしゅう投手とうしゅ複数ふくすう確保かくほできる私立しりつ強豪きょうごうこうとそれができない弱小じゃくしょう公立こうりつこうとの一層いっそうひらいてしまう難点なんてんもある。

出典しゅってん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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