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司法しほう条文じょうぶん主義しゅぎ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

条文じょうぶん主義しゅぎとは、ほう解釈かいしゃく形式けいしき主義しゅぎ理論りろん一種いっしゅであり、その法律ほうりつ通過つうかさせた議会ぎかい意図いと原意げんい主義しゅぎ)や、その法律ほうりつによって解決かいけつしたい問題もんだい目的もくてきろんてき解釈かいしゃく)や、裁判官さいばんかんいだ本質ほんしつてき疑問ぎもんほう公正こうせいさなどの、条文じょうぶん以外いがいほうげん追求ついきゅうするのではなく、法律ほうりつ通常つうじょう意味いみがその解釈かいしゃく支配しはいすることを支持しじする。

条文じょうぶん主義しゅぎ裁判官さいばんかんたちは、裁判所さいばんしょは、委員いいんかい議事ぎじろく起草きそうしゃ説明せつめい立法りっぽう趣旨しゅし権威けんいある証拠しょうことしてあつかうべきではないと主張しゅちょうし、多大ただい実際じっさいてき影響えいきょうあたえた。条文じょうぶん主義しゅぎ裁判官さいばんかんたちが、このような解釈かいしゃく慣行かんこう抵抗ていこうする根拠こんきょは、おもつぎふたつである。だいいちに、法律ほうりつ曖昧あいまいさをただしく解決かいけつするじょうで、535にんもの議員ぎいんようする議会ぎかいには、「しんの」集合しゅうごうてき意思いし存在そんざいしない(そして、かり存在そんざいしたとしても、議会ぎかい全体ぜんたいの「意思いし」と委員いいんかい起草きそうしゃ意見いけんどういちできるという信頼しんらいすべき根拠こんきょはない)。だいに、立法りっぽう経緯けいいおもきをおくことは、両院りょういんせい送付そうふ条項じょうこうのような憲法けんぽうによって義務付ぎむづけられた手続てつづきにはんしている。

ジョン・F・マニング(「委任いにん原則げんそくとしての条文じょうぶん主義しゅぎ(Textualism as a Nondelegation Doctrine)」、コロンビア・ロー・レビュー97ごう、673ページ、1997ねんJSTOR 1123360より)

条文じょうぶん主義しゅぎしゃは、「法律ほうりつ構成こうせいて、その言葉ことばが、客観きゃっかんてき合理ごうりてき熟練じゅくれんした言語げんご使用しようしゃしんにどうこえるかをかんがえてく」。 [1] したがって、条文じょうぶん主義しゅぎしゃは、条文じょうぶん意味いみ確認かくにんするさいに、立法りっぽう経緯けいい関係かんけい資料しりょうおもきをおかない。 条文じょうぶん主義しゅぎはよく原意げんい主義しゅぎ混同こんどうされるが、ヒューゴ・ブラックアントニン・スカリアのような最高裁さいこうさい判事はんじによって提唱ていしょうされている。スカリアは、1997ねんタナー講義こうぎにおいて、自分じぶん主張しゅちょうをこのように区別くべつしている。 「統治とうちするのはほうであり、立法りっぽうしゃ意図いとではない」。 オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは、自身じしん条文じょうぶん主義しゅぎしゃではないが、その哲学てつがく意図いと主義しゅぎたいする批判ひはんをよく理解りかいしていた。 「裁判官さいばんかんは、その人物じんぶつなに意図いとしているかではなく、その言葉ことばが、実際じっさい使つかわれた状況じょうきょうにおいて、普通ふつう英語えいご話者わしゃにとってなに意味いみするかをう…裁判官さいばんかんは、議会ぎかい意図いとわない。法律ほうりつ意味いみのみをう」。 [2]

厳格げんかく解釈かいしゃく主義しゅぎは、素人しろうと評論ひょうろんにより、しばしば条文じょうぶん主義しゅぎ同義語どうぎごとして誤用ごようされる。 もちろん、条文じょうぶん主義しゅぎしゃ厳格げんかく解釈かいしゃく主義しゅぎしゃでありえないわけではないが、この両者りょうしゃことなる立場たちばである。 たとえば、スカリア判事はんじはこう警告けいこくしている。「条文じょうぶん主義しゅぎを、いわゆる厳格げんかく解釈かいしゃく主義しゅぎ混同こんどうしてはならない。これは条文じょうぶん主義しゅぎ誤解ごかいまね堕落だらくした条文じょうぶん主義しゅぎである。 わたし厳格げんかく解釈かいしゃく主義しゅぎしゃではないし、だれもそうあるべきではない… 法律ほうりつ条文じょうぶんは、厳格げんかく解釈かいしゃくすべきでもなければ、いい加減かげん解釈かいしゃくすべきでもない。 条文じょうぶんは、それがただしく意味いみするところをすべてって、合理ごうりてき解釈かいしゃくするべきなのだ」。 [3] 同様どうように、条文じょうぶん主義しゅぎを、「バーガー・コート」(ウォーレン・E. バーガー長官ちょうかんつとめた時期じき最高さいこう裁判所さいばんしょのこと)がテネシーがわ流域りゅういき開発かいはつ公社こうしゃたいヒルのような事件じけん援用えんようしたことで有名ゆうめいな、明白めいはく意味いみ原則げんそくのようなより単純たんじゅん理論りろんもとづく方法ほうほう混同こんどうしてはならない。こちらの方法ほうほうでは、一般いっぱんてき理解りかい文脈ぶんみゃく参照さんしょうすることなく、言葉ことば辞書じしょてき定義ていぎ着目ちゃくもくする。

方法ほうほう

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条文じょうぶん主義しゅぎは、条文じょうぶん言葉ことば通常つうじょう意味いみ着目ちゃくもくするが、着目ちゃくもくするのは「条文じょうぶん全体ぜんたい通常つうじょう意味いみであって、たん条文じょうぶん構成こうせいするかく単語たんご」のありうる意味いみ範囲はんい着目ちゃくもくするわけではない。

この法律ほうりつ除外じょがいしているのは、『外国がいこくせい』の商品しょうひんだけであるが、多数たすうは、『外国がいこくつくられた』商品しょうひんではなく、『外国がいこくじんによってつくられた』商品しょうひんだとおもっているかもしれない。わたしはそうはおもわない。単語たんご音節おんせつおなじように、単独たんどくではなく、文脈ぶんみゃくなか意味いみ獲得かくとくする。『外国がいこくの(foreign)』のように単語たんごだけを辞書じしょくと、多数たすう示唆しさするような意味いみになるかもしれないが、そのような方法ほうほうだと、『なか異物いぶつ(foreign object)がはいった』というようなフレーズも、イタリア製品せいひんかなんかを意味いみすると解釈かいしゃくされるだろう。『外国がいこくせいの(of foreign manufacture)』というフレーズは一般いっぱんてき用法ようほうであり、『外国がいこくつくられた』という意味いみ理解りかいされている。」
「Kマートたいカルティエ」、486 U.S. 281, 319(1988ねん)スカリア判事はんじ一部いちぶ同意どうい一部いちぶ反対はんたい意見いけん

スカリア判事はんじは、実例じつれいとして、「麻薬まやく密売みつばい犯罪はんざい」がらみで被告ひこくが「じゅう使用しよう」した場合ばあいには、刑期けいきながくなるような法律ほうりつ関係かんけいする事件じけん言及げんきゅうしている。 その事件じけん被告ひこくは、弾丸だんがん装填そうてんしていないじゅうを、コカインと交換こうかんすることをちかけていた。そして多数たすうは、これが量刑りょうけいおもくする条件じょうけんたしていると(スカリアにわせればあやまって)なしていた。 「しん条文じょうぶん主義しゅぎしゃ」はそのような判決はんけつくださない、とスカリアはいている。

じゅう使用しよう」というフレーズは、まさしくは、じゅう通常つうじょう使つかわれる目的もくてき、つまり、武器ぶきとしての使用しよう意味いみしている。わたし反対はんたい意見いけん指摘してきしたように、「あなたはつえ使つかっているか?」とひとは、あなたがお祖父じいさんのふるつえ廊下ろうかかざりとしてけているかどうかをきたいわけではない。[4]

スカリア判事はんじはこうもいている。

法令ほうれいしゅうない用語ようご意味いみは、一部いちぶ国会こっかい議員ぎいんがそう理解りかいしているとしめされた意味いみではなく、(1)どの意味いみが、文脈ぶんみゃくおよび通常つうじょう用法ようほう一致いっちしており、したがって、(その法律ほうりつしたが市民しみんはもちろん)その法律ほうりつ条文じょうぶんたいして投票とうひょうした議員ぎいん全体ぜんたいがそう理解りかいしている可能かのうせいたかいか、(2)どの意味いみが、その条文じょうぶんれられる関連かんれん法典ほうてん一貫いっかんせいがあるか(そのような一貫いっかんせいは、無害むがい法的ほうてきフィクションとして、議会ぎかいつね念頭ねんとういていると仮定かていされる)、にもとづいて判断はんだんすべきである。わたしは、法廷ほうていろんじられる経緯けいい立法りっぽうかんするいかなる資料しりょうによっても、このような要因よういんによって示唆しさされる意味いみことなる結果けっかみちびかれることをみとめない。
「グリーンたいボック洗濯せんたくしゃ」、490 U.S. 504, 528 (1989ねん)スカリア判事はんじ同意どうい意見いけん

条文じょうぶん主義しゅぎしゃ一般いっぱんに、裁判所さいばんしょ法律ほうりつを「修正しゅうせい」する権限けんげんみとめない。

だが、たとえあらゆる道理どうりはんして、司法しほう審査しんさにおいて、「事実じじつじょうつね憲法けんぽうほう通常つうじょう法律ほうりつよりも価値かちがあるとしても、そのような優先ゆうせん順位じゅんいを、この両者りょうしゃ区別くべつしない法律ほうりつなかくことはすじとおらない。我々われわれは、そのような司法しほうによる立法りっぽうえを、たん特定とくてい事例じれいたいする法律ほうりつ適用てきようのぞましくないだけでなく、実際じっさいに「重大じゅうだい憲法けんぽうじょう疑義ぎぎ」を提起ていきするような場合ばあいでも拒否きょひする。したがって、さきべたように、我々われわれゆるされるのは、法律ほうりつ可能かのう解釈かいしゃくなかからひとつを採用さいようすることだけであって、違憲いけん審査しんさけるために、用語ようごげて立法りっぽう意思いし無視むしすることはゆるされない。
ウェブスターたい被告ひこくめいしょう」、486 U.S. 592, 619スカリア判事はんじ反対はんたい意見いけん

ただし、条文じょうぶん主義しゅぎしゃは、表示ひょうじじょう錯誤さくご原則げんそく(doctrine of lapsus linguae)はみとめている。 この原則げんそくは、法律ほうりつ文面ぶんめんなかに、あきらかな表現ひょうげんミスが存在そんざいするような状況じょうきょう適用てきようされる。 (「合衆国がっしゅうこくたいX-Citementビデオ」、513 U.S. 64などを参照さんしょう) (1994ねん)(スカリア判事はんじ反対はんたい意見いけん) (「わたしは、私法しほうかんする事件じけんでは、表示ひょうじじょう錯誤さくご原則げんそくみとめる。この原則げんそくしたでは、言葉ことば通常つうじょう意味いみ解釈かいしゃくすると、不合理ふごうり意味いみや、憲法けんぽう違反いはん意味いみになる可能かのうせいがある場合ばあいには、言葉ことば通常つうじょうことなる意味いみ解釈かいしゃくすることがゆるされる」。) (「グリーンたいボック洗濯せんたくしゃ」、490 U.S. 504, 527参照さんしょう) (1989ねん)(スカリア判事はんじ同意どうい意見いけん) (「我々われわれいま文字通もじどお解釈かいしゃくすると、合理ごうりでおそらく憲法けんぽうはんする結果けっかしょうじる法律ほうりつ直面ちょくめんしている。 我々われわれ仕事しごとは、連邦れんぽう証拠しょうこ規則きそく609(a)(1)のなかの「被告ひこく」という単語たんごに、このような結果けっか回避かいひするような意味いみあたえ、規則きそく609(a)(1)が、連邦れんぽう証拠しょうこ規則きそく403の施行しこう除外じょがいしているかどうかを判断はんだんすることである。) 条文じょうぶん主義しゅぎしゃは、これとはことなる結論けつろんいた可能かのうせいもある。 スカリアの表面ひょうめんてき矛盾むじゅんは、おそらく、かれがときに憲法けんぽう判断はんだん回避かいひ原則げんそくのような、より尊重そんちょうすべきほう解釈かいしゃく原則げんそくしたがうことをえらぶことにより説明せつめいできる。

オックスフォード英語えいご辞典じてんによれば、「条文じょうぶん主義しゅぎ(Textualism)」という英単語えいたんごはじめて使つかわれたのは、1863ねんにマーク・パティソンがピューリタン神学しんがく批判ひはんしたときであった。 [5] 最高さいこう裁判所さいばんしょ最初さいしょに「条文じょうぶん主義しゅぎ」という単語たんご使つかわれたのは、その1世紀せいきロバート・ジャクソン判事はんじによる「ヤングズタウン・シート&チューブしゃたいソーヤー事件じけんたいする意見いけんなかであった。 [6]

キャス・サンスティーン教授きょうじゅは、「形式けいしき主義しゅぎ経験けいけんてき擁護ようごすべきか?」という論文ろんぶん冒頭ぼうとうで、こうべている。

ナチスの時代じだいのドイツの裁判官さいばんかんは、形式けいしき主義しゅぎ否定ひていしていた。かれらは、法律ほうりつ条文じょうぶん通常つうじょう意味いみもと意味いみたよっていなかった。それどころか、法律ほうりつは、ナチスの体制たいせい参照さんしょうすることによって定義ていぎされる「時代じだい精神せいしん」にしたがって解釈かいしゃくすべきである、とかんがえていた。ナチスドイツの裁判官さいばんかんは、「法律ほうりつ解釈かいしゃくするさいに、法律ほうりつ文字もじ執着しゅうちゃくするのではなく、その核心かくしんにある意味いみ見抜みぬき、立法りっぽうしゃ目指めざしたものが実現じつげんされるために協力きょうりょくする」ことによってのみ、裁判所さいばんしょ仕事しごと達成たっせいできるとかんがえていた。…戦後せんご連合れんごうぐんは、ドイツのほう制度せいど改革かいかくする方法ほうほうについて、さまざまな選択肢せんたくし直面ちょくめんした。そのだいいち段階だんかいは、ほう解釈かいしゃくさい形式けいしき主義しゅぎてきな「明白めいはく意味いみ」の方法ほうほうろんもとめることであった。
キャス・サンスティーン、「形式けいしき主義しゅぎ経験けいけんてき擁護ようごすべきか?(Must Formalism Be Defended Empirically?)」、シカゴ大学だいがくロー・レビュー66ごう、636、662~66ページ (1999ねん)(ライヒ最高さいこう裁判所さいばんしょ刑事けいじおおやけせん判例はんれい(1939ねん)・だい72かん・9ページを、インゴ・ミュラー(Ingo Muller)ちょ「ヒトラーの正義まさよしだいさん帝国ていこく法廷ほうてい(Hitler's Justice: The Courts of the Third Reich)」(1991ねん)の101ページの翻訳ほんやくから引用いんよう)。

オーストラリア

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条文じょうぶん主義しゅぎはオーストラリアで影響えいきょうりょくがあり、とくガーフィールド・バーウィックきょうほう解釈かいしゃく方法ほうほうろんとして有名ゆうめいであった。 1901ねん法律ほうりつ解釈かいしゃくほう改正かいせいでは、条文じょうぶん主義しゅぎ重要じゅうよう要素ようそ否定ひていしており、法律ほうりつ解釈かいしゃくには、その法律ほうりつ導入どうにゅうした大臣だいじんだい読会どっかいおこなった演説えんぜつない声明せいめい利用りようしてよい、としている。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Easterbrook, Frank H. (1988). “The Role of Original Intent in Statutory Construction”. Harv. J.L. & Pub. Pol'y 11: 59 [p. 65]. 
  2. ^ Holmes (1899). “The Theory of Legal Interpretation”. Harv. L. Rev. 12 (6): 417. JSTOR 1321531. 
  3. ^ Antonin Scalia, A Matter of Interpretation 23 (1997).
  4. ^ Scalia, Antonin (2010). “Textualism and the Constitution”. In Bruce Miroff, Raymond Seidelman, Todd Swanstrom. Debating Democracy: A Reader in American Politics (Seventh Edition ed.). Boston, MA: Wadsworth Cengage Learning. pp. 288?294. ISBN 978-0-495-91347-4 
  5. ^ オックスフォード英語えいご辞典じてんだい17かん・854ページ(1989ねんだい2はん
  6. ^ ジャクソンは、「教条きょうじょうてき条文じょうぶん主義しゅぎ厳格げんかくしたがうよりも、合理ごうりてきかつ実際じっさいてき意味いみゆるすとおもわれる範囲はんい柔軟じゅうなんせいを『列挙れっきょされた権限けんげん』にあたえる」ことをこのむ、といている(343 U.S. at 640、ジャクソン判事はんじ同意どうい意見いけん)。 ただし、ジャクソンが条文じょうぶん主義しゅぎ批判ひはんするさい念頭ねんとうにおいていたものは、今日きょうられている条文じょうぶん主義しゅぎとは別物べつものなので、かれのこの単語たんご用法ようほう注意ちゅういしてあつか必要ひつようがある。

参考さんこう文献ぶんけん

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