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大島紬おおしまつむぎ

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大嶋おおしまつむぎ原料げんりょうめる
大嶋おおしまつむぎ原料げんりょうめる

大島紬おおしまつむぎ(おおしまつむぎ)とは、鹿児島かごしまけん南方なんぽうにある奄美あまみ群島ぐんとうにおいて、おも奄美あまみ大島おおしま伝統でんとう工芸こうげいひんとしてつくられる織物おりものつむいだ絹糸けんしどろめしたものを手織ておりした平織ひらおり絹布けんぷしくはその絹布けんぷ縫製ほうせいした和服わふくす。

通称つうしょうおよ略称りゃくしょうは「大島おおしま」。

概要がいよう

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フランスのゴブラン織ごぶらんおり、イランのペルシャ絨毯じゅうたんならび、世界せかいさんだい織物おりものかぞえられる。1300ねんほどなが歴史れきしち、着物きもの女王じょおうわれている。1975ねん昭和しょうわ50ねん)に通産省つうさんしょう伝統でんとうてき工芸こうげいひん指定していしたさい、「きぬ100%である」「さきめしたいと手織ておりする」とう大島紬おおしまつむぎであるための条件じょうけん明確めいかく定義ていぎされた[1]

しなやかでかるく、シワになりにくいうえ後述こうじゅつする染色せんしょく工程こうていで、いと鉄分てつぶん着崩きくずれや虫食むしくいがきにくいため、孫子まごこだいまでなが使つかうことができるという特徴とくちょうがある。また、独特どくとく黒褐色こっかっしょく基調きちょうとした繊細せんさいおりがらうつくしさも評価ひょうかされ、日本にっぽん絹織物きぬおりもののうちでも高級こうきゅうひんとしてられる。やすものでもいちはん30まんえん程度ていどさい高級こうきゅうひんになるとすうひゃくまんえんする。

奄美あまみ大島おおしま以外いがいにも鹿児島かごしま都城みやこのじょうなど、様々さまざま地域ちいき製造せいぞうされている。一方いっぽうで、奄美あまみ大島おおしまには事業じぎょうしゃでつくる「本場ほんば奄美あまみ大島紬おおしまつむぎ織物おりもの協同きょうどう組合くみあい」があり、奄美あまみ大島おおしまつくられた大島紬おおしまつむぎには「本場ほんば奄美あまみ大島紬おおしまつむぎ」という認定にんていマークがけられ、その価値かちたかくなる[1]現代げんだいでは「いろ大島おおしま」「しろ大島おおしま」など色調しきちょう多様たようすすんでいる[2]。また、着物きものだけでなくコースターやしょうぜにれといった小物こもの生産せいさんさかんになっており、以前いぜんより人々ひとびとりやすい価格かかくたい大島紬おおしまつむぎたのしむことができるようになっている[3]一方いっぽう近頃ちかごろ職人しょくにん高齢こうれいすすみ、後継こうけいしゃ不足ふそく問題もんだいとなっており、存続そんぞく危機ききひんしている[4]

生産せいさん

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大島紬おおしまつむぎは、鹿児島かごしまけん奄美あまみ大島おおしま奄美あまみ中心ちゅうしんとする奄美あまみ産地さんちと、鹿児島かごしまけん鹿児島かごしま中心ちゅうしんとする産地さんちに2大別たいべつされる。本場ほんば大島紬おおしまつむぎ奄美あまみ大島おおしま誕生たんじょうし、発展はってんしたものだが、この技術ぎじゅつ鹿児島かごしま本土ほんどつたわったのは1874ねん明治めいじ7ねん)といわれている。本場ほんば大島紬おおしまつむぎには組合くみあい奄美あまみ鹿児島かごしまの2カ所かしょあり、本場ほんば大島紬おおしまつむぎ証明しょうめいとして地球儀ちきゅうぎしるし旗印はたじるし証紙しょうしがつけられている[5]

奄美あまみ平成へいせい18ねん奄美あまみ地方ちほう中枢ちゅうすう都市としであった名瀬なぜ笠利かさりまち住用すみようむら合併がっぺいし、奄美あまみとなった。奄美あまみ大島おおしま中部ちゅうぶから北部ほくぶにかけて位置いちし、面積めんせきしま全体ぜんたいやく4わりめている。広大こうだいマングローブもりなどの多様たよう自然しぜん環境かんきょう生物せいぶつ多様たようせい世界せかいてきみとめられ、2021ねんれい3ねん)7がつ26にちに「奄美あまみ大島おおしま徳之島とくのしま沖縄おきなわとう北部ほくぶおよ西表島いりおもてじま」として世界せかい自然しぜん遺産いさんへの登録とうろく決定けっていした。また、ふるくからつたわるしまうたはちがつおどといったしまならではの伝統でんとう文化ぶんかや、かく地域ちいき保存ほぞんされている史跡しせき建造けんぞうぶつなど、有形ゆうけい無形むけい文化財ぶんかざい数多かずおおのこされており、大島紬おおしまつむぎもそのひとつである[6]奄美あまみには本場ほんば大島紬おおしまつむぎ生産せいさんぜん工程こうてい見学けんがくどろめなど各種かくしゅ体験たいけんできる施設しせつとして「奄美あまみ大島紬おおしまつむぎむら大島紬おおしまつむぎ製造せいぞう工場こうじょう観光かんこう庭園ていえん[7]」や「ゆめおりのさと[8]」がある。

鹿児島かごしまは、鹿児島かごしまけん中部ちゅうぶ位置いちする。鹿児島かごしまけん県庁けんちょう所在地しょざいちで、中枢ちゅうすう指定していされている。本場ほんば大島紬おおしまつむぎ本土ほんどつたわったことをきっかけに工場こうじょうとう設置せっちされ、徐々じょじょ大島紬おおしまつむぎ発展はってんしていった。戦中せんちゅう鹿児島かごしまでの生産せいさんはストップしたが、その戦中せんちゅう鹿児島かごしま疎開そかいした奄美あまみ出身しゅっしんしゃくわわり、本場ほんば大島紬おおしまつむぎとして生産せいさん再開さいかいし、現在げんざい鹿児島かごしま中心ちゅうしん生産せいさんされている[5]鹿児島かごしまには大島紬おおしまつむぎ商品しょうひん販売はんばい、レンタル、工業こうぎょう見学けんがく文化ぶんか体験たいけんなどができる「大瀬おおせ商店しょうてん[9]」や本場ほんば大島紬おおしまつむぎ歴史れきし生産せいさん工程こうてい大島紬おおしまつむぎ美術館びじゅつかんなどを見学けんがくできる「奄美あまみさと[10]」がある。


りあげられた大島紬おおしまつむぎは、本場ほんば大島紬おおしまつむぎ協同きょうどう組合くみあい検査けんさいんによって厳重げんじゅう検査けんさおこなわれ、これらに合格ごうかくした製品せいひんのみが本場ほんば大島紬おおしまつむぎとして認定にんていされる[11]。そして、反物たんものはし朱色しゅいろで「本場ほんば大島紬おおしまつむぎ」の文字もじ織込おりこまれ、すべての製品せいひんごとに産地さんち証明しょうめいするとともに、たしかな品質ひんしつあかしである証紙しょうしられる。この証紙しょうし産地さんち製造せいぞう方法ほうほう区別くべつされ、それぞれデザインがことなったものが使用しようされている。

地球ちきゅういん鹿児島かごしまけん奄美あまみ大島おおしまさん

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鹿児島かごしまけん奄美あまみ大島おおしま生産せいさんされた本場ほんば大島紬おおしまつむぎには地球ちきゅうしるし証紙しょうしられる。また、職人しょくにんによる手織ておりの場合ばあいには経済けいざい産業さんぎょう大臣だいじん指定してい伝統でんとうてき工芸こうげいひん伝統でんとう証紙しょうしられる[12]機械きかいりの場合ばあい手織ておりとはことなる地球ちきゅうしるし証紙しょうしられるが、伝統でんとう証紙しょうしられない。

旗印はたじるし鹿児島かごしまけん鹿児島かごしまさん

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鹿児島かごしまけん鹿児島かごしま生産せいさんされた本場ほんば大島紬おおしまつむぎには旗印はたじるし証紙しょうしられる。奄美あまみ大島おおしまさんのものとおなじように「手織ており」「機械きかいり」で別々べつべつ証紙しょうしられる。手織ておりの場合ばあい台紙だいし水色みずいろ産地さんち証紙しょうしとともに、経済けいざい産業さんぎょうしょう伝統でんとう証紙しょうしられる[12]機械きかいりの場合ばあい台紙だいしピンク色ぴんくいろ産地さんち証紙しょうしられ、伝統でんとう証紙しょうしられない[12]。また、どろめにはどろしみ証紙しょうし草木染くさきぞには草木くさきどろしみ証紙しょうしがそれぞれられる[13]

づるいん宮崎みやざきけん都城みやこのじょうさん

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大島紬おおしまつむぎ鹿児島かごしまけんだけでなく宮崎みやざきけん都城みやこのじょう絹織物きぬおりもの事業じぎょう協同きょうどう組合くみあいでも生産せいさんされており、宮崎みやざきけんさん大島紬おおしまつむぎにはづるしるし証紙しょうしられる[12]。 <大島紬おおしまつむぎ証紙しょうし一覧いちらん

手織てお 機械きかい
奄美あまみ大島おおしまさん 地球ちきゅうしるし伝統でんとう証紙しょうし 手織ておりとはことなるデザインの地球ちきゅうしるしのみ
鹿児島かごしまさん 台紙だいし水色みずいろ旗印はたじるし伝統でんとう証紙しょうし 台紙だいしピンク色ぴんくいろ旗印はたじるしのみ
都城みやこのじょうさん つるしるし

だい世界せかい大戦たいせん以前いぜん鹿児島かごしまさん奄美あまみ大島おおしまさんともに共通きょうつう旗印はたじるし産地さんち証紙しょうし使つかわれていた。しかしながら、奄美あまみ大島おおしま戦後せんごの1946ねんから1953ねんまでアメリカぐん政権せいけんにあったため、日本にっぽん国旗こっきがデザインされている旗印はたじるし産地さんち証紙しょうし使用しようきんじられた[14]。その奄美あまみ大島おおしまあらたに産地さんち証紙しょうしとして地球ちきゅうしるし証紙しょうし採用さいようされたことにより、現在げんざいでも鹿児島かごしまさん奄美あまみ大島おおしまさん区別くべつされている。

歴史れきし

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大島紬おおしまつむぎ発祥はっしょう歴史れきしについては諸説しょせつがあり、いまだに明確めいかくにはされていない。しかし、1300ねんまえにはすでに古代こだい染色せんしょくおこなわれていたとつたえられている。染色せんしょくは、古代こだい染色せんしょくおな技法ぎほうで、奄美あまみ自生じせいするテーチなどを使つかっておこなわれていた。これが現在げんざい大島紬おおしまつむぎ染色せんしょく技法ぎほう源流げんりゅうかんがえられている。重要じゅうよう工程こうていどろめの歴史れきしふるく、せいくらいん書物しょもつなかにも記述きじゅつがある。起源きげんとしてもいくつかのせつつたえられている。初期しょき大島紬おおしまつむぎは、紬糸つむぎいともちいてられ、自家用じかようとして島民とうみん着用ちゃくようしていた [15]

現代げんだい大島紬おおしまつむぎにつながる文書ぶんしょ記録きろくではとおる5ねん1720ねん)、薩摩さつまはん指示しじによりしま役人やくにん以外いがいつむぎ着用ちゃくようきんじている[16]。そのためそれ以前いぜんより生産せいさんおこなわれていたとかんがえられ、黒砂糖くろざとうとともにはん重要じゅうよう財源ざいげんであった。幕末ばくまつ記録きろく南島なんとう雑話ざつわ』には、「だてはつやなけれども、ほどひさしくつやいたりつてよく、しまがらも色々いろいろあり」と記録きろくされている。明治維新めいじいしんによって奄美あまみ薩摩さつまはん支配しはいから解放かいほうされ、貿易ぼうえき金銭きんせん流通りゅうつう自由じゆうおこなわれるようになった1879ねん明治めいじ12ねんごろから、大島紬おおしまつむぎ市場いちば取引とりひきされるようになった[17]1890ねん明治めいじ23ねん)4がつおこなわれただい3かい内国ないこく勧業かんぎょう博覧はくらんかいへの出品しゅっぴんたか評価ひょうかたあと、各地かくち品評ひんぴょうかい物産ぶっさんかいへの出品しゅっぴんつづけ、知名度ちめいどがっていった。

鹿児島かごしまつむぎ工場こうじょう設立せつりつすすんだ。1901ねん明治めいじ34ねん)に業者ぎょうしゃ統一とういつ進歩しんぽ発展はってん製品せいひん検査けんさによる製品せいひん防止ぼうし品質ひんしつ向上こうじょう目的もくてきとして組合くみあいいん3000にん名瀬なぜ鹿児島かごしまけん大島紬おおしまつむぎ同業どうぎょう組合くみあい設立せつりつされた。これが現在げんざい本場ほんば奄美あまみ大島紬おおしまつむぎ協同きょうどう組合くみあい前身ぜんしんである。当初とうしょ検査けんさ規定きていきびしさと組合くみあい組織そしきりつひくさから検査けんさ徹底てっていされていなかったが、1904ねん明治めいじ37ねん)に織物おりもの消費しょうひぜい新設しんせつされたことにより、組合くみあいによる製品せいひん検査けんさのち税務署ぜいむしょ税額ぜいがく査定さていもとめたため、組合くみあい加入かにゅうせざるをなくなった[15]。また時期じきおなじくして、永江ながえさかえゆたか永江ながえとうはち父子ふしによってによる精巧せいこうかすり加工かこう確立かくりつされ技術ぎじゅつてきにも進歩しんぽげた[17]。そして大島おおしまつむぎえるのは明治めいじ初年しょねんくらいまでであり、現在げんざいでは撚糸ねんし使つかつむぎとはえなくなっている。名称めいしょうけるなら「大島おおしまかすり」である。それまでの大島おおしま製作せいさくほう現在げんざい結城紬ゆうきつむぎとまったくおなじものであり、ただ製糸せいしするとき使つかのり結城ゆうきでは小麦粉こむぎこ大島おおしまでは海苔のりふのり)、イギスといった海草かいそう使つかちがいのみである。

生産せいさん最盛さいせいだった1973ねん昭和しょうわ48ねん)9がつには大島紬おおしまつむぎ学校がっこう開設かいせつされ、りの実習じっしゅうやデザインの指導しどうなどもおこなっていたほか、どろ作業さぎょうりの実演じつえん披露ひろうする「大島おおしまつむぎ産地さんちまつり」もおこなわれていた[18]

製造せいぞう工程こうてい

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大島紬おおしまつむぎは、いと自体じたいけるために絹糸けんし綿糸めんしかりりをし、それをめたり加工かこうしたりして、いて最後さいごにまたるため、こまかくけると50ちか工程こうていつくられる。分業ぶんぎょうせいのため、それぞれにせんもん職人しょくにんがおり、職人しょくにんからへと織物おりものわたっていくなかで、すこしずつ完成かんせいがたかびがる。ぜん工程こうてい手作業てさぎょうで、図案ずあんから製織せいしょくまで、はやいもので半年はんとしから1ねんちかくかかるため、価格かかくだい部分ぶぶん長期間ちょうきかんわた作業さぎょうだいといえる[19]複雑ふくざつ大島紬おおしまつむぎほど製作せいさく日数にっすうがかかる。

図案ずあん作成さくせいいと準備じゅんび
図案ずあんようのパソコンソフトを使つかって設計せっけいをする。この時点じてんでどれだけのいと必要ひつよう計算けいさんし、いと用意よういをする。
しめばた
かすり模様もようつく工程こうてい最後さいごのはたおりよりもいちまわおおきなで、図案ずあんわせながら木綿もめんいと絹糸けんしつよめる。
染色せんしょく
織機しょっき要領ようりょう絹糸けんし木綿こわたはさみ、ぼうしみかすりめ)する。ティーチギ[注釈ちゅうしゃく 1]樹皮じゅひしたしるによりいろめる「テーチしみ」と、鉄分てつぶんおお泥土でいどにつけて発色はっしょくさせる「どろめ」の段階だんかい大別たいべつされる。テーチめによりいろピンク色ぴんくいろから、どろめをかえすことで最初さいしょはグレー、つぎあか茶色ちゃいろ最後さいごつやのあるあたたかい黒色こくしょくになる。 まずテーチふくまれるタンニン泥中でいちゅうてつぶん反応はんのうして、大島紬おおしまつむぎならではの黒褐色こっかっしょくむ。おおきながまで24~30あいだほどしる絹糸けんしれてもみこみ、えきえてなにじゅうかいかえめる [20]まりがわるくなると、染色せんしょくよう泥田どろた蘇鉄そてつれて鉄分てつぶんおぎない、化学かがくてき作用さようつよくする場合ばあいがある。
はた
はたりは、平織ひらおりでった反物たんもの総称そうしょうである。けい(タテ)いとぬき(ヨコ)いと一本いっぽんごとに交互こうご浮沈ふちんしてっていく。本場ほんば奄美あまみ大島紬おおしまつむぎは、いとを1ほん1ほん一部いちぶとなるてん染色せんしょくするためにり、てんはいったいとわせていきながら反物たんものにするためにげて、反物たんもの表現ひょうげんする。

大島紬おおしまつむぎ伝統でんとうてきかすり模様もよう

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大島紬おおしまつむぎは、事前じぜん計算けいさんされてされた、そのこまかなてんてんわせてつくかすりうつくしさが特徴とくちょうとされている[21]むかし奄美あまみ大島おおしま人々ひとびとうつくしくひろがる自然しぜんのモチーフにしていたが、時代じだいこう技術ぎじゅつ研究けんきゅう革新かくしんにより、現在げんざいでは古典こてんてき幾何きかがく模様もよう伝統でんとうがら)はもちろんのこと、 複雑ふくざつ繊細せんさい各種かくしゅ花鳥かちょう紋様もんよう山水さんすい調ちょうなどの日本にっぽん伝統でんとうてき紋様もんようにいたるまで、多種たしゅ多様たようわたっている[22]

【モチーフ(人工じんこう)】

ツガ ますあらわ文様もんよう男性だんせい使つかわれることがおお小柄こがら模様もよう[23]基本形きほんけいとして、よく使用しようされる。
ヒバ いたいたつなとき使用しようするジョイント(接続せつぞく部分ぶぶん)をあらわ文様もんよう
トネ 生活せいかつみんである飼料しりょうおけかたちからできた文様もんよう
勲章くんしょう にちしんにち戦役せんえき軍人ぐんじんにつけた勲章くんしょうかたちからまれた文様もんよう高級こうきゅうもとめられた大島紬おおしまつむぎに、重圧じゅうあつかんあたえるとして、大正たいしょう末期まっきから登場とうじょうした。
カザモーシャ 子供こどもたちの玩具おもちゃ文様もんようしま植物しょくぶつであるアダンの材料ざいりょう手作てづくりされた風車かざぐるまがモチーフ。静止せいし回転かいてん状態じょうたいそれぞれから発想はっそうされ、そしてさらに変化へんかくわえられたおおくの文様もんようがある。風車かざぐるまがらふたわせたものが発達はったつして、ソテツ模様もようみ、これが龍郷たつごうがらとして定着ていちゃくしたとされ、カザモーシャの絵図えず大島紬おおしまつむぎ代名詞だいめいしてき存在そんざいである龍郷たつごうがら原点げんてんともわれている[24]
ガギ なべける道具どうぐがモチーフとなった文様もんよう
提灯ちょうちん 提灯ちょうちんかたちをしたもので変形へんけいがいくつかあり、小柄こがらとして活用かつようされている。
バラ 「バラ」とは奄美あまみ大島おおしま方言ほうげんで、たけあみかごという意味いみである。生活せいかつ用具ようぐたけんだサンバラとばれるザルがモチーフ。からだくろっぽいザルの格子こうしがらあかあお十文字じゅうもんじ交差こうさした模様もようつ。龍郷たつごうまち秋名あきな地区ちくの「秋名あきなバラ」が有名ゆうめい[25]
ハサン とき使用しようするいとりはさみの文様もんようつね身近みぢかにある道具どうぐだった。
あみ りょう道具どうぐであるあみから発想はっそうされた文様もんよう小柄こづか「ツガアミ」の基本形きほんけい
車輪しゃりん 牛舎ぎゅうしゃ車輪しゃりんがモチーフ。しき大島紬おおしまつむぎ基本形きほんけい
ヒジキ 製織せいしょく使用しようされる道具どうぐ文様もんよう
ぜに(ゼン) 中央ちゅうおうひらいているぜにかたちからきた文様もんよう
絨毯じゅうたん 豪華ごうか複雑ふくざつなオリエンタルな空気くうきかも絨毯じゅうたんから着想ちゃくそうられている。
タスキ がた十字形じゅうじがたがある。

購入こうにゅう見学けんがく

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大島紬おおしまつむぎ全国ぜんこく各地かくち呉服ごふくてん通信つうしん販売はんばいなどでうことができる。奄美あまみ大島おおしま喜界島きかいじまには、購入こうにゅうのほかどろめやりを見学けんがく体験たいけんできる工房こうぼう施設しせつがいくつかある[7]奄美あまみ大島おおしまだけではなく、鹿児島かごしまけん鹿児島かごしまにある「奄美あまみさと」でも奄美あまみ自然しぜん文化ぶんか堪能かんのうでき、大島紬おおしまつむぎ草木染くさきぞめ、り、着付きつ体験たいけんができる。

このほか大阪おおさか池田いけだに「大島紬おおしまつむぎ美術館びじゅつかん[26]」がある。

奄美あまみ大島おおしま観光かんこうきゃく体験たいけん可能かのう工房こうぼう[注釈ちゅうしゃく 2]
奄美あまみ大島おおしま龍郷たつごうまち 奄美あまみ大島おおしま奄美あまみ
工房こうぼう 大島紬おおしまつむぎむら 金井かない工芸こうげい ゆめおりのさと 肥後ひご染色せんしょく ゆめしぼり あいかな工房こうぼう はら絹織物きぬおりもの どろしみ公園こうえん あまみ〜る
どろ
あい
はた
着付きつ
製造せいぞう見学けんがく

上記じょうき紹介しょうかいした工房こうぼう以外いがいにも大島紬おおしまつむぎ関連かんれんする体験たいけん可能かのう工房こうぼうはある。

最近さいきんでは大島紬おおしまつむぎ洋装ようそうがコラボレーションしたものや、小物こものおお販売はんばいされており、着物きものだけではない大島紬おおしまつむぎたのしみかたえている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ テーチ車輪しゃりんうめのこと。
  2. ^ 大島紬おおしまつむぎの「どろ体験たいけん」などができる。

出典しゅってん

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  1. ^ a b BUYSELL 着物きもの女王じょおう大島紬おおしまつむぎ魅力みりょくかりやすくご紹介しょうかいBuySell Technologies、2021ねん5がつ19にち
  2. ^ 本場ほんば大島紬おおしまつむぎ」KOGEI JAPAN。
  3. ^ 大島紬おおしまつむぎむらオンラインショップ
  4. ^ 大島紬おおしまつむぎ職人しょくにん後継こうけいしゃ不足ふそく」『奄美あまみ新聞しんぶん』、2019ねん6がつ15にち
  5. ^ a b 本場ほんば大島紬おおしまつむぎ歴史れきし」きものこうづくり
  6. ^ 本場ほんば奄美あまみ大島紬おおしまつむぎ奄美あまみ
  7. ^ a b 奄美あまみ大島紬おおしまつむぎむら大島紬おおしまつむぎ製造せいぞう工場こうじょう観光かんこう庭園ていえん
  8. ^ ゆめおりのさと
  9. ^ 大瀬おおせ商店しょうてん
  10. ^ 奄美あまみさと
  11. ^ 大島紬おおしまつむぎ反物たんものについて|奄美あまみ大島紬おおしまつむぎむら大島紬おおしまつむぎ製造せいぞう工場こうじょう観光かんこう庭園ていえん”. www.tumugi.co.jp. 2023ねん11月26にち閲覧えつらん
  12. ^ a b c d 本場ほんば大島紬おおしまつむぎ見分みわかた(1) 「証紙しょうし」を”. 2023ねん11月26にち閲覧えつらん
  13. ^ 証紙しょうし説明せつめい |”. 本場ほんば奄美あまみ大島紬おおしまつむぎ協同きょうどう組合くみあい. 2023ねん11月26にち閲覧えつらん
  14. ^ Vol.9 「地球ちきゅうしるし」と「旗印はたじるし”. 銀座ぎんざもとじオンラインショップ. 2023ねん11月26にち閲覧えつらん
  15. ^ a b 奄美あまみさと奄美あまみさと 庭園ていえん大島紬おおしまつむぎもん美術館びじゅつかん
  16. ^ 口上こうじょうさとし松岡まつおか文書ぶんしょ
  17. ^ a b 茂野しげのかそけかんがえ大島紬おおしまつむぎ歴史れきしみなみ日本にっぽん出版しゅっぱん文化ぶんか協会きょうかい、1966ねん
  18. ^ 1/25(大島おおしまつむぎ産地さんちまつり・大島紬おおしまつむぎ学校がっこう開設かいせつ(1973)”. MBCアーカイブス 昭和しょうわのふるさと. MBC南日本放送みなみにほんほうそう (2018ねん1がつ25にち). 2024ねん6がつ15にち閲覧えつらん
  19. ^ 大島紬おおしまつむぎFAQ”. 呉服ごふくのほていや (2021ねん5がつ21にち). 2021ねん12月23にち閲覧えつらん
  20. ^ 大島紬おおしまつむぎ歴史れきし製造せいぞう工程こうてい”. ゆめおりのさと. 2021ねん12月23にち閲覧えつらん
  21. ^ 大島紬おおしまつむぎについて|奄美あまみ大島紬おおしまつむぎむら大島紬おおしまつむぎ製造せいぞう工場こうじょう観光かんこう庭園ていえん”. www.tumugi.co.jp. 2023ねん11月17にち閲覧えつらん
  22. ^ つむぎ”. tsumugi-hanbai.com. 2023ねん11月17にち閲覧えつらん
  23. ^ つむぎ”. tsumugi-hanbai.com. 2023ねん11月17にち閲覧えつらん
  24. ^ つむぎ”. tsumugi-hanbai.com. 2023ねん11月17にち閲覧えつらん
  25. ^ 代表だいひょうてき |”. 本場ほんば奄美あまみ大島紬おおしまつむぎ協同きょうどう組合くみあい. 2023ねん11月17にち閲覧えつらん
  26. ^ 大島紬おおしまつむぎ美術館びじゅつかん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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