大だい 華はな璵(だい かよ)は、渤海の第だい5代だい王おう。
大だい興きょう57年ねん(794年ねん)に暴虐ぼうぎゃくな振ふる舞まいをした大だい元義もとよしを殺害さつがいする政変せいへんがあり、文ぶん王おう大だい欽茂の嫡孫ちゃくそんである大だい華はな璵に王位おういが継承けいしょうされた。
即位そくいした成なり王おうは中興ちゅうこうと改元かいげんし、また東京とうきょう龍りゅう原はら府ふより上京かみぎょう龍泉りゅうせん府ふへの遷都せんとを実施じっしし、渤海滅亡めつぼうまでの都ととなった。しかし遷都せんと間あいだもなく成なり王おうは病死びょうしし、その治世ちせいは半年はんとしにも満みたなかった。
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乞乞仲なか象ぞう
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