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いや

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

いや(いやみ)とは、他人たにん不快ふかいかんあたえる言動げんどうのこと。嫌味いやみ厭味いやみとも。おおきくけて以下いかの3種類しゅるい分類ぶんるいできる。

  1. 言葉ことばによって相手あいて不快ふかいにさせること。
  2. 相手あいてにとって不快ふかいかんじるような気取きどった素振そぶり、もしくは外見がいけんのこと。
  3. 相手あいて真意しんいかかわらず、不快ふかいなものとしてめること。

1と2は他人たにん不快ふかいかんあたえる「言動げんどうおこなった人物じんぶつ」に注目ちゅうもくしているのにたいし、3は周囲しゅうい人物じんぶつが「どのようめるか」に注目ちゅうもくしてけていることに注意ちゅうい

言葉ことばでのいや[編集へんしゅう]

言葉ことばでのいやみとは、いわゆる「言葉ことばいやがらせ」である。相手あいて心地ここちよくおもわない言葉ことば相手あいて評価ひょうかきずつける可能かのうせいのある言葉ことばをわざとはっすることによって、特定とくてい特定とくていわず相手あいて意図いとてき不快ふかいかんあたえるための行為こうい。したがって相手あいてを「意図いとしない言動げんどう」で不快ふかいにさせても、がわ一方いっぽうてき不快ふかいかんじただけで嫌味いやみにならない。しかし、実際じっさいにはどのような意図いとおこなったかは本人ほんにんにしかわからない。そのため、相手あいていやみの対象たいしょうになるもの)や、その周囲しゅうい観察かんさつしていたもの不快ふかいかんじれば本人ほんにん意思いしかかわらずいやみとられることがおおい。

単純たんじゅん相手あいてらないために実行じっこううつものもいるが、なかには過去かこみずからがおかしたあやまりを、その相手あいていやみの対象たいしょうになるもの)によって注意ちゅうい勧告かんこくなどをけたために不快ふかいかんおぼえたものが、その相手あいてへの仕返しかえのために実行じっこうするというような逆恨さかうらみによってこる場合ばあいもある。このどちらの場合ばあいでも大抵たいてい自己じこ中心ちゅうしんてき心理しんり状態じょうたいにあるため、このような行為こうい実行じっこうするもの自己じこ中心ちゅうしん主義しゅぎてき人間にんげんであるとられることがおおい。しかし、そのいやみをわれる対象たいしょうしゃ自身じしん周囲しゅういものおもわれていなかったり、発言はつげんしゃ周囲しゅういから信頼しんらいされ社会しゃかいてきたか評価ひょうかされている場合ばあいには、周囲しゅういから賛同さんどうられる場合ばあいもある。ただし、そのぎゃくもある。発言はつげんしゃ周囲しゅういからの社会しゃかいてき評価ひょうかひく信頼しんらいされていない人物じんぶつ場合ばあいには、賛同さんどうどころか本人ほんにん評価ひょうかをよりおおきくげることになる。

相手あいて意図いとてき不快ふかいにするつもりがくても、いやみとられやすい言動げんどう発言はつげんした本人ほんにんからて)には、以下いかのものがある。

  1. 相手あいてのプライベートや仕事しごと人間にんげん関係かんけいなどにかかわる問題もんだいてん価値かちかんなどがちがうことを指摘してきする発言はつげん
  2. 相手あいて自分じぶん(あるいは第三者だいさんしゃなど)とのあいだ問題もんだいてん価値かちかんなどがちがうことを指摘してきする発言はつげん
  3. とく反論はんろんできない立場たちば目下めした)や状況じょうきょう(そのない)人物じんぶつへの発言はつげん
  4. 過去かこ出来事できごとかんする発言はつげん

以上いじょうは、問題もんだいてん現状げんじょう確認かくにんしたりはげますことが目的もくてきであったり、物事ものごと建設けんせつてきすすめるための善意ぜんいからくる発言はつげんであることもおおい。

とくに、がわがこのような状況じょうきょう不快ふかいかんじる発言はつげんをされたときは、こまかい言葉尻ことばじり自分じぶん感情かんじょうにとらわれず発言はつげん本意ほんい冷静れいせい判断はんだんする必要ひつようがある。また、道徳どうとくてきただしいとされる(たとえば不正ふせい指摘してきするような内容ないよう)であっても、好意こういてきめられなければいやみとして認識にんしきされる。反対はんたい犯罪はんざい肯定こうていするような発言はつげんであっても、好意こういてきめられれば問題もんだいとして認識にんしきされないこともある。道徳どうとくてきただしいとされる発言はつげんが、いやみとしてめられるような状態じょうたい社会しゃかいでは、安易あんい犯罪はんざい不正ふせい行為こうい容認ようにんされる可能かのうせいがある。たとえば、企業きぎょう組織そしきてき不祥事ふしょうじについて社会しゃかいてき性質せいしつ注目ちゅうもくすると、ふたつの原因げんいんけることができる。ひと個人こじん従業じゅうぎょういん)のはん社会しゃかいてき行為こうい思想しそうふたは、それを容認ようにんする社会しゃかいである。つまり不快ふかいかんじるという理由りゆう自由じゆう発言はつげん極端きょくたんにできない場合ばあい重大じゅうだい弊害へいがいをもたらすことがある。

いやみはいやがらせの一環いっかんであり、どのような背景はいけいがあろうとも実行じっこうしてよいものではない。また、意図いとてきでなくとも相手あいて不快ふかいにさせる発言はつげんは、発言はつげんしゃ自身じしん社会しゃかいてき評価ひょうか低下ていか孤立こりつ原因げんいんになるためけるべきである。たとえばおな意味いみでも、相手あいて意見いけん同意どういしていることや同情どうじょうしている気持きもちをくわえたり、前向まえむきな表現ひょうげんにすることでられかたおおきくわる。

行動こうどうでのいや[編集へんしゅう]

仕事しごと無理むりやり出来できない仕事しごとあたえる。特定とくていひと無視むしする。

かたによるいや[編集へんしゅう]

不快ふかいかんじる言動げんどうをとるものがいても、その目的もくてき本当ほんとうに「いやみ」かは本人ほんにんにしかわからない。つまり相手あいて行動こうどうが「いやみ」であるかどうかはめるがわの「サジ加減かげんしだい」であるともいえる。たとえば試験しけん成績せいせきわるかったときに、信頼しんらいしている人物じんぶつからであればきびしくしかられても「あいむち」としてめられる。しかし、反対はんたい信頼しんらいしていない人物じんぶつからはげまされても「いやみ」にしかこえないこともおおい。

これを回避かいひするためには「いやみなことをされた」ととらえるのではなく「いやみとしてってしまった」とかんがえて、相手あいてことうたがって疑心暗鬼ぎしんあんきになっている自分じぶんづくこと効果こうかてきである。つまり「相手あいて」の問題もんだいではなく、いやみとしてってしまった「自分じぶん」の問題もんだいとしてセルフで処理しょりしてしまえばよい。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]