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かんねん

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かんねん(かんねん)は、近世きんせい武家ぶけ社会しゃかいにおいて幕府ばくふ主家しゅかなどの公儀こうぎたいしてとどけられた公式こうしき年齢ねんれいをいう。家督かとく相続そうぞく出仕しゅっし目見まみなどにかかわる年齢ねんれい制約せいやく回避かいひするため、年齢ねんれい操作そうさしてとどるこのような慣行かんこう成立せいりつした。おおやけねん(こうねん)ともいった。これにたいし、実際じっさい年齢ねんれい生年せいねんといった。

年齢ねんれい制約せいやくいちれい

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幕府ばくふ法制ほうせいでは17さい未満みまん武家ぶけ当主とうしゅ養子ようしむかえることができなかった。そのため、たとえ当主とうしゅ危篤きとく状態じょうたいもしくは急死きゅうししたとしてもきゅう養子ようし末期まっき養子ようし)をむかえられず、いえ断絶だんぜつしてしまう可能かのうせいがあった。その回避かいひさくとして、家督かとく相続そうぞくする可能かのうせいがある男子だんしたいしては、あらかじめ年齢ねんれい嵩上かさあげするかたち年齢ねんれい操作そうさおこなわれた。これをまるべき立場たちば大老たいろう老中ろうじゅう以下いか幕府ばくふ役職やくしょくしゃたちも規制きせい対象たいしょうとなっており、明日あしたということでたがいをかばいあっていた。

丈夫じょうぶとどけ存在そんざい

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この時代じだい乳幼児にゅうようじ死亡しぼうりつきわめてたかかったため、子供こどもまれたとしても即座そくざ公儀こうぎとど必要ひつようかならずしもなかった。出生しゅっしょう直後ちょくご届出とどけでおこなわなかった場合ばあいは、子供こども十分じゅうぶん成育せいいくした段階だんかいになってからはじめて「病弱びょうじゃくであったのでいままで遠慮えんりょしていましたが、随分ずいぶん丈夫じょうぶになりましたので」というかたちで、出生しゅっしょうとどけである丈夫じょうぶとどけ公儀こうぎ提出ていしゅつした。このように、実際じっさい出生しゅっしょう時期じき出生しゅっしょうとどけ提出ていしゅつ時期じきはなれているため、すうねん単位たんいでの年齢ねんれい操作そうさ可能かのうであった。

公儀こうぎがわ対応たいおう

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届出とどけでける公儀こうぎがわも、このような実態じったい把握はあくしていたようであり、以下いかのようなエピソードがつたわっている。

  • 目見まみのあと、将軍しょうぐんみずからが「いまもの生年せいねんはいくつなのだ?随分ずいぶんおさなくみえるな」と側近そっきん感想かんそうらした。
  • 老中ろうじゅう将軍家しょうぐんけ子女しじょ縁組えんぐみ関連かんれんして、相手あいてさき大名だいみょう縁組えんぐみ候補こうほ若君わかぎみ生年せいねん照会しょうかいした。

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