官話かんわきゅう就篇

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官話かんわきゅう就篇』(かんわきゅうしゅうへん)は、1904ねん明治めいじ37ねん)8がつ宮島みやじま大八だいはちによって善隣ぜんりん書院しょいんから発行はっこうされた中国ちゅうごく会話かいわ教科書きょうかしょ。タイトルはのちに『きゅう就篇』(きゅうしゅうへん)に変更へんこうされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1904ねん明治めいじ37ねん)8がつ、『官話かんわきゅう就篇』として初版しょはん発行はっこう。126はん出版しゅっぱんされる。1933ねん昭和しょうわ8ねん)6がつ、『官話かんわきゅう就篇』を改訂かいていし、名称めいしょうを『きゅう就篇』に変更へんこう。45はん出版しゅっぱんされる。六角ろっかくひさしひろの『近代きんだい日本にっぽん中国語ちゅうごくご教育きょういく』では「昭和しょうわ20ねんまで、(中略ちゅうりゃく中国ちゅうごくまなぼうとするはつ学者がくしゃは、だれでもいちにしたことのあるテキストである」と紹介しょうかいされている[1]

きゅう就篇』は日常にちじょう会話かいわ中心ちゅうしん構成こうせいされ、20世紀せいき初期しょき北京ぺきん中心ちゅうしんとする地域ちいき口語こうご中国語ちゅうごくごがどのようであったかをしめしている。その内容ないよう現代げんだい中国語ちゅうごくごとはことなっているが、中国ちゅうごく歴史れきしてき変遷へんせんじょうで、きわめて貴重きちょう資料しりょうとなっている。

きゅう就篇」は漢字かんじかれた中国ちゅうごくぶんのみであったため、解説かいせつしょとしてマ字まじ発音はつおんせた「うまきゅう就篇」、全訳ぜんやくせた「きゅう就篇そうやく」、独習どくしゅうようきゅう就篇を基礎きそとせるささえ独習どくしゅうとう発行はっこうされた。

名称めいしょう由来ゆらい[編集へんしゅう]

官話かんわ」とは、中国ちゅうごくでは役人やくにん使つか公用こうようし、とく華北かほくから東北とうほく通用つうようした「官話かんわ」を「北京ぺきん官話かんわ」とぶ。現代げんだい標準ひょうじゅん普通ふつうばなし)は北京ぺきん官話かんわ基礎きそとしている。

きゅう就篇」は、前漢ぜんかんまつふみゆうさくつたえられる漢字かんじ識字しきじよう不朽ふきゅう小学しょうがくしょ教科書きょうかしょ)に由来ゆらいする。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 六角ろっかく (1961)、95-96ぺーじによる

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 六角ろっかくひさしこう近代きんだい日本にっぽん中国語ちゅうごくご教育きょういく播磨はりま書房しょぼう、1961ねん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]