(Translated by https://www.hiragana.jp/)
宝樹文彦 - Wikipedia コンテンツにスキップ

たからいつき文彦ふみひこ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

たからいつき 文彦ふみひこ(たからぎ ふみひこ、1920ねん6月1にち - 2014ねん9月23にち[1])は、昭和しょうわから平成へいせい時代じだい労働ろうどう運動うんどう全逓信労働組合ぜんていしんろうどうくみあい全逓ぜんてい中央ちゅうおう執行しっこう委員いいんちょう総評そうひょう右派うはぞくし、労働ろうどう戦線せんせん統一とういつ主張しゅちょうした[2]

経歴けいれき

[編集へんしゅう]

東京とうきょう入谷いりやまれ[3]ちち下谷しもたに郵便ゆうびんきょく取締役とりしまりやく[4]大門おおもん高等こうとう小学校しょうがっこうそつ[5]。1938ねん東京とうきょう逓信ていしん講習こうしゅうしょ卒業そつぎょう[ちゅう 1]浅草あさくさ郵便ゆうびんきょく電信でんしん配属はいぞく。2ねん9ヶ月かげつあいだ勤務きんむ、5年間ねんかん兵役へいえきて、1946ねん1がつ復員ふくいん同年どうねん4がつ浅草あさくさ郵便ゆうびんきょく復帰ふっき浅草あさくさ郵便ゆうびんきょく逓信ていしん従業じゅうぎょういん組合くみあい書記しょきちょう[4]ぜん逓信ていしん従業じゅうぎょういん組合くみあい全逓ぜんてい東京とうきょう東部とうぶ地区ちく本部ほんぶ書記しょきちょうて、1947ねん全逓ぜんてい中央ちゅうおう執行しっこう委員いいん[1]。1948ねん8がつ長谷ながたにたけ麿まろ大木おおき正吾しょうごらと全逓ぜんてい再建さいけん同盟どうめい準備じゅんびかい結成けっせい実行じっこう委員いいん。1949ねん2がつ全逓ぜんてい再建さいけん同盟どうめい全逓ぜんていさいどう)を結成けっせい中央ちゅうおう常任じょうにん実行じっこう委員いいん事務じむ局長きょくちょうとなり[4][6]共産党きょうさんとうグループと対抗たいこうするなか頭角とうかくあらわした。国労こくろうみんどうとともに社会党しゃかいとうけいしん全逓ぜんてい結成けっせい推進すいしんし、1949ねん10がつ大会たいかい共産党きょうさんとう支配しはい排除はいじょしたぜん逓信ていしん従業じゅうぎょういん組合くみあい正統せいとう全逓ぜんてい再建さいけん全逓ぜんてい[ちゅう 2]結成けっせいした。全逓ぜんてい組織そしき部長ぶちょう[3]、1952ねん書記しょきちょう、1956ねんふく委員いいんちょう[1]。1958ねん春闘しゅんとう公共こうきょう企業きぎょうからだとう労働ろうどう関係かんけいほう違反いはん解雇かいこ処分しょぶん[3]。このあいだ、1950ねん総評そうひょう結成けっせい主導しゅどう[7]。1951ねん国労こくろう岩井いわいあきら日教組にっきょうそ平垣へいがき美代みよらと「三角さんかく同盟どうめい」を結成けっせい[8]労働ろうどうしゃ同志どうしかい中心ちゅうしん人物じんぶつ1人ひとりとなったが、総評そうひょう高野たかのみのる事務じむ局長きょくちょうの「ひだり旋回せんかい」には反対はんたいし、1955ねん高野たかのみのる追放ついほう岩井いわいあきら事務じむ局長きょくちょう選出せんしゅつ推進すいしんやくとなった[3]

1960ねん全逓ぜんてい中央ちゅうおう執行しっこう委員いいんちょうとなり、「たからいつき天皇てんのう」としょうされるまでになった[9]。このあいだ全逓ぜんてい東京とうきょうちゅう事件じけんでの勝利しょうり非常勤ひじょうきん本務ほんむ日曜にちよう配達はいたつ廃止はいしなどを実現じつげんし、「権利けんり全逓ぜんてい」の評価ひょうか定着ていちゃくさせた[7]全労ぜんろう会議かいぎ民社党みんしゃとう結成けっせいされると、1960ねん経済けいざい闘争とうそう政治せいじ闘争とうそう両立りょうりつ主張しゅちょうあらたな右派うはみを視野しやれた「日本にっぽんてき労働ろうどう組合くみあい主義しゅぎ」を提唱ていしょうした[3]。1967ねん1がつに「労働ろうどう戦線せんせん統一とういつ社会党しゃかいとう政権せいけん樹立じゅりつのために」(『月刊げっかん労働ろうどう問題もんだい』1967ねん2がつごう)とだいする論文ろんぶん発表はっぴょうし、社会しゃかい民社みんしゃさい統一とういつした社会党しゃかいとう単独たんどく政権せいけん樹立じゅりつ民間みんかん先行せんこう共産党きょうさんとう排除はいじょ前提ぜんていとした労働ろうどう戦線せんせん統一とういつ提唱ていしょうした[10]。また1970ねん1がつ1にちの『読売新聞よみうりしんぶん』に「いちきゅうなな年代ねんだい労働ろうどう運動うんどう前進ぜんしんのために――ねん目標もくひょう労働ろうどう戦線せんせん統一とういつ実現じつげんしよう」とだいする論文ろんぶん発表はっぴょうし、ふたた労働ろうどう戦線せんせん統一とういつびかけた[11]たからいつき論文ろんぶん労働ろうどう戦線せんせん統一とういつ運動うんどうへと発展はってんしたが、社会党しゃかいとう総評そうひょう左派さはとの対立たいりつや1972ねん12月のそう選挙せんきょでの公明こうめい民社みんしゃ敗北はいぼく、ストをめぐる総評そうひょう同盟どうめい対立たいりつなどにより、1973ねん7がつ労働ろうどう戦線せんせん統一とういつ民間みんかん単産たんさん連絡れんらく会議かいぎ解散かいさんをもって挫折ざせつした[3][12]。このあいだ、1971ねん2がつ全逓ぜんてい臨時りんじ大会たいかい前年ぜんねん労務ろうむ政策せいさく改変かいへんをめぐる年末ねんまつ闘争とうそう妥結だけつあん否決ひけつ執行しっこう不信任ふしんにん決議けつぎされ、全逓ぜんてい委員いいんちょう辞任じにんした[9][13](2がつ革命かくめい)。委員いいんちょう退任たいにんの1971ねん東海大学とうかいだいがく政経学部せいけいがくぶ講師こうし、1975ねん大蔵省おおくらしょう金融きんゆう制度せいど調査ちょうさかい委員いいん郵政ゆうせい審議しんぎかい委員いいん[1]公共こうきょう企業きぎょうからだとう労働ろうどう委員いいんかい公労委こうろうい労働ろうどうしゃ委員いいん[3]全国ぜんこく単産たんさん共済きょうさい連合れんごうかい理事りじちょうつとめた[2]

2001ねんから2003ねん進歩しんぽ改革かいかく研究けんきゅうかい機関きかん進歩しんぽ改革かいかく』に21かいにわたって「証言しょうげん 戦後せんご労働ろうどう運動うんどう」を連載れんさいし、2003ねんに『証言しょうげん 戦後せんご労働ろうどう運動うんどう』(東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかい)として刊行かんこうされた。また2001ねんから2004ねんに「C.O.E. オーラルヒストリー・政策せいさく研究けんきゅうプロジェクト」から17かいにわたってインタビューをけ、2005ねんに『たからいつき文彦ふみひこもと全逓ぜんてい委員いいんちょう)オーラル・ヒストリー(うえした)』(政策せいさく研究けんきゅう大学院だいがくいん大学だいがく)として刊行かんこうされた。

人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

著書ちょしょ

[編集へんしゅう]
  • 労働ろうどう戦線せんせん統一とういつ方向ほうこう』(労働ろうどう旬報じゅんぽうしゃ、1967ねん
  • 証言しょうげん 戦後せんご労働ろうどう運動うんどう』(東海大学とうかいだいがく出版しゅっぱんかい、2003ねん

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 現代げんだい日本人にっぽんじんめいろく 1998 だい3かん』(日外にちがいアソシエーツ、1998ねん)、『たからいつき文彦ふみひこもと全逓ぜんてい委員いいんちょう)オーラル・ヒストリー』(政策せいさく研究けんきゅう大学院だいがくいん大学だいがく、2005ねんとうでは1938ねんそつ。『現代げんだい人物じんぶつ事典じてん』(朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1977ねん)、久谷くたに与四郎よしろう編著へんちょ労働ろうどうかい見聞けんぶんろく』(東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ、1981ねん)、『ものがたり戦後せんご労働ろうどう運動うんどうⅦ』(教育きょういく文化ぶんか協会きょうかい、1999ねんとうでは1936ねんそつ
  2. ^ 1957ねん全逓信労働組合ぜんていしんろうどうくみあい改称かいしょう

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e たからいつき文彦ふみひこ関係かんけい文書ぶんしょ | 憲政けんせい資料しりょう憲政けんせい資料しりょうしつ) | リサーチ・ナビ | 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん”. 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんサーチ(NDLサーチ) (2022ねん6がつ29にち). 2024ねん7がつ26にち閲覧えつらん
  2. ^ a b デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plusの解説かいせつ コトバンク
  3. ^ a b c d e f g 矢加部やかべ勝美かつみたからいつき文彦ふみひこ」、朝日新聞社あさひしんぶんしゃへん現代げんだい人物じんぶつ事典じてん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1977ねん、772ぺーじ
  4. ^ a b c たからいつき文彦ふみひこ証言しょうげん 戦後せんご労働ろうどう運動うんどう(1)」『進歩しんぽ改革かいかく』2001ねん8がつごう
  5. ^ 細谷ほそやまつふとし戦後せんご労働ろうどう運動うんどう歴史れきし人物じんぶつ日刊にっかん労働ろうどう通信つうしんしゃ、1972ねん
  6. ^ 田辺たなべまことあいちから政治せいじ日刊にっかん評論ひょうろんしゃ、1988ねん
  7. ^ a b たからいつき 文彦ふみひこ C.O.E.オーラル・政策せいさく研究けんきゅうプロジェクト
  8. ^ 望月もちづき宗明むねあき平垣へいがき美代みよ」、朝日新聞社あさひしんぶんしゃへん現代げんだい人物じんぶつ事典じてん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1977ねん、1114ぺーじ
  9. ^ a b 上田うえだ孝也たかやたからいつき文彦ふみひこ」、現代げんだい革命かくめい運動うんどう事典じてん編集へんしゅう委員いいんかいへん現代げんだい革命かくめい運動うんどう事典じてん流動りゅうどう出版しゅっぱん、1981ねん、176ぺーじ
  10. ^ 「1 「労働ろうどう戦線せんせん統一とういつ運動うんどう提唱ていしょう、抬頭」『日本にっぽん労働ろうどう年鑑ねんかん だい52しゅう 1982年版ねんばん (PDF) 法政大学ほうせいだいがく大原おおはら社会しゃかい問題もんだい研究所けんきゅうじょ
  11. ^ 「2 ろくきゅうねんそう選挙せんきょ結果けっかたからいつきの「戦線せんせん統一とういつ提唱ていしょう」『日本にっぽん労働ろうどう年鑑ねんかん だい52しゅう 1982年版ねんばん (PDF) 法政大学ほうせいだいがく大原おおはら社会しゃかい問題もんだい研究所けんきゅうじょ
  12. ^ 「7 単産たんさん会議かいぎ解散かいさん――「労働ろうどう戦線せんせん統一とういつ運動うんどう挫折ざせつ」『日本にっぽん労働ろうどう年鑑ねんかん だい52しゅう 1982年版ねんばん (PDF) 法政大学ほうせいだいがく大原おおはら社会しゃかい問題もんだい研究所けんきゅうじょ
  13. ^ 「4 「戦線せんせん統一とういつ世話人せわにんかい」」『日本にっぽん労働ろうどう年鑑ねんかん だい52しゅう 1982年版ねんばん (PDF) 法政大学ほうせいだいがく大原おおはら社会しゃかい問題もんだい研究所けんきゅうじょ
  14. ^ 労働省ろうどうしょうへん資料しりょう労働ろうどう運動うんどう 1961』労務ろうむ行政ぎょうせい研究所けんきゅうじょ、1963ねん
  15. ^ 松崎まつざきあきら宮崎みやざきまなぶ松崎まつざきあきら秘録ひろくどう時代じだいしゃ、2008ねん、212ぺーじ
  16. ^ 案内あんない92鈴木すずき市蔵いちぞうさんをご存知ぞんじほう 吉川よしかわ勇一ゆういちのホームページ

関連かんれん文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 高梨たかなしあきら編著へんちょ証言しょうげん 戦後せんご労働ろうどう組合くみあい運動うんどう』(東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ、1985ねん
  • 御厨みくりやたか政策せいさく研究けんきゅう大学院だいがくいん大学だいがくたからいつき文彦ふみひこもと全逓ぜんてい委員いいんちょう)オーラル・ヒストリー――オーラル・メソッドによる政策せいさく基礎きそ研究けんきゅう/C.O.E.オーラル・政策せいさく研究けんきゅうプロジェクト(うえした)』(御厨みくりやたか、2000ねん
  • 日本にっぽん労働ろうどう研究けんきゅう機構きこうへん戦後せんご労働ろうどう組合くみあい運動うんどう歴史れきし――分裂ぶんれつ統一とういつ だい1しゅう』(日本労働研究機構にほんろうどうけんきゅうきこう、2003ねん
  • 政策せいさく研究けんきゅう大学院だいがくいん大学だいがくC.O.E.オーラル・政策せいさく研究けんきゅうプロジェクト『たからいつき文彦ふみひこもと全逓ぜんてい委員いいんちょう)オーラル・ヒストリー(うえした)』(政策せいさく研究けんきゅう大学院だいがくいん大学だいがく[C.O.E.オーラル・政策せいさく研究けんきゅうプロジェクト]、2005ねん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]