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尊攘そんじょうどう

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尊攘そんじょうどう(そんじょうどう)は、幕末ばくまつ尊王そんのう攘夷じょうい運動うんどうたおれた志士ししまつられ、その肖像しょうぞう遺墨いぼくなどが保存ほぞんされているどう明治めいじ20ねん1887ねん品川しながわ弥二郎やじろう吉田よしだ松陰しょういん遺志いしいで建造けんぞうしたもので、現在げんざい京都大学きょうとだいがく構内こうないにある。

概略がいりゃく

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吉田よしだ松陰しょういん京都きょうと尊攘そんじょうどうてて、勤王きんのう志士ししまつり、人々ひとびとしんふるいたせようというこころざしいていたがたさず、安政あんせい6ねん1859ねん)10がつ門人もんじん入江いりえきゅういちたくして刑死けいしした。しかし入江いりえもまた元治もとはる元年がんねん1864ねん)7がつ禁門きんもんへん死去しきょし、松蔭しょういん遺志いしげられなかった。

門人もんじん品川しながわ弥二郎やじろうがこれを偶然ぐうぜんり、遺志いしたそうと明治めいじ20ねん(1887ねん)ドイツから帰国きこくすると京都きょうと高倉たかくらどおりにしき小路こうじ尊攘そんじょうどう建造けんぞうし、勤王きんのう志士ししれいまつり、志士しし殉難じゅんなん史料しりょう遺墨いぼく遺品いひんなどを収集しゅうしゅうし、祭儀さいぎいとなみ、一般いっぱん参拝さんぱいゆるし、収蔵しゅうぞうひん観覧かんらんさせた。しかし品川しながわ一家いっかのものとするのをいさぎよしとせず、京都きょうと在住ざいじゅう有志ゆうしから保存ほぞん委員いいん20めい選定せんていし、将来しょうらいのことを委託いたくしたが、明治めいじ33ねん1900ねん)2がつ死去しきょすると、松蔭しょういん京都きょうと大学だいがくおこそうとした素志そしもとづいて10がつ尊攘そんじょうどうおよびその収蔵しゅうぞうひん京都きょうと帝国ていこく大学だいがく寄贈きぞうすることになり、1903ねんどう大学だいがく構内こうない現在げんざい京都大学きょうとだいがく吉田よしだキャンパス)に新築しんちく寄贈きぞうした。

京都きょうとみかどだいでは尊攘そんじょうどうのために春秋しゅんじゅう2かい祭典さいてんおこない、のち毎年まいとしあきしょうさい執行しっこうし、3ねんごとに大祭たいさいしゅうすることとなった。収蔵しゅうぞうひん大学だいがく附属ふぞく図書館としょかん管理かんりし、篤志とくし随時ずいじ観覧かんらんさせた。

その尊攘そんじょうどう収蔵しゅうぞう寄贈きぞう資料しりょう大学だいがく附属ふぞく図書館としょかんに「維新いしん特別とくべつ資料しりょう」として移管いかん[1]尊攘そんじょうどう建物たてもの自体じたいいくかの転変てんぺんて1989ねん以降いこう京都きょうと大学だいがく埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい研究けんきゅうセンターの資料しりょうしつとして、どう大学だいがく構内こうないにおける埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい調査ちょうさ成果せいか保存ほぞん展示てんじ目的もくてき使用しようされており[1]、1998ねんくに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざいとして登録とうろくされた[2]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 京大きょうだい文化ぶんか遺産いさん調査ちょうさ活用かつよう部門ぶもんについて 文化ぶんか遺産いさんがく人文じんぶん連携れんけいセンター
  2. ^ 京都大学きょうとだいがく尊攘そんじょうどう くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース 文化庁ぶんかちょう

外部がいぶリンク

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関連かんれん項目こうもく

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