小島こじま恒久つねひさ

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小島こじま 恒久つねひさ(こじま つねひさ、1926ねん大正たいしょう15ねん1がつ20日はつか[1] - 2019ねん平成へいせい31ねん3月2にち )は、日本にっぽん経済けいざい学者がくしゃ社会しゃかい運動うんどういえ歌人かじん九州大学きゅうしゅうだいがく名誉めいよ教授きょうじゅもと社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかい代表だいひょう顧問こもんもと労働ろうどうしゃ運動うんどう資料しりょうしつ理事りじちょうせいよん[2]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

1926ねん佐賀さがけんまれ。1945ねん長崎ながさき経済けいざい専門せんもん学校がっこう在学ざいがくちゅう原爆げんばく被爆ひばく1950ねん九州大学きゅうしゅうだいがく経済学部けいざいがくぶ卒業そつぎょうつづいて大学院だいがくいん特別とくべつ研究けんきゅうせいとなり向坂さきさか逸郎いつお師事しじ1955ねんより九州大学きゅうしゅうだいがく教養きょうよう勤務きんむ経済けいざいがくこうじる。講師こうし助教授じょきょうじゅ教授きょうじゅつとめ、1989ねん定年ていねん退官たいかんつづいて熊本学園大学くまもとがくえんだいがく教授きょうじゅとなり、1996ねんまで勤務きんむ再度さいど定年ていねん退職たいしょく

九州大学きゅうしゅうだいがく在職ざいしょくちゅう三井みつい三池みいけ炭鉱たんこう四山よつやまこう労働ろうどうしゃ教育きょういくかかわるなど、研究けんきゅう社会しゃかい活動かつどう両面りょうめん向坂さきさか逸郎いつおこころざし積極せっきょくてき継承けいしょうする。1998ねんより2014ねんまで、社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかい代表だいひょうつとめる。『日本にっぽん資本しほん主義しゅぎ論争ろんそう』(ありえす書房しょぼう)は、労農ろうのう立場たちばからの数少かずすくない日本にっぽん資本しほん主義しゅぎ論争ろんそう概括がいかつである。2014ねん社会しゃかい主義しゅぎ協会きょうかい代表だいひょう引退いんたいし、顧問こもんとなる。アララギ歌人かじんでもあり、2006ねん福岡ふくおか文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう。そのうた朝日新聞あさひしんぶん折々おりおりのうた」で紹介しょうかいされた。

おも著書ちょしょたんちょ[編集へんしゅう]

  • 経済けいざいがく入門にゅうもん』(労働ろうどう大学だいがく 1963)
  • 『マルクスと向坂さきさか逸郎いつお』(ありえす書房しょぼう 1973.7)
  • 日本にっぽん資本しほん主義しゅぎ論争ろんそう』(ありえす書房しょぼう 1976.6)
  • 『マルクス・エンゲルス紀行きこう』(法律文化社ほうりつぶんかしゃ 1979.2)
  • はたら女性じょせいひゃくねんのあゆみ』 (河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1983.7)
  • 日本にっぽん経済けいざいながれ』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1984.9)
  • 日本にっぽん資本しほん主義しゅぎ労働ろうどうしゃ』(労働ろうどう大学だいがく 1986)
  • 戦後せんご日本にっぽん経済けいざいながれ』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1987.3)
  • 日本にっぽん労働ろうどう運動うんどう 激動げきどうの100ねん』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1987.6 )
  • 日本にっぽん経済けいざいきん現代げんだいのあゆみ』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1991.6)
  • 古典こてんへの招待しょうたい』(労働ろうどう大学だいがく 1994)
  • 戦後せんご日本にっぽん経済けいざいながれ』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1996.3)
  • 資本しほん主義しゅぎ経済けいざいのあゆみ』(労働ろうどう大学だいがく 1999)
  • 向坂さきさか逸郎いつお そのひと思想しそう』(えるむ書房しょぼう 2005.2)
  • 歌集かしゅう 原子げんし』(短歌新聞社たんかしんぶんしゃ 2005.11)
  • 歌集かしゅう ばん禱』(現代げんだい短歌たんかしゃ 2014.1)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本にっぽん著作ちょさくけん協議きょうぎかい へん著作ちょさくけん台帳だいちょう 文化ぶんか人名じんめいろく だい26はん ほんさつ日本にっぽん著作ちょさくけん協議きょうぎかい、2001ねん10がつ、661ぺーじ 
  2. ^ 官報かんぽう』7483ごう平成へいせい31ねん4がつ8にち

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

小島こじま祥弘よしひろ小島こじま恒久こうきゅうしのびて」

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

小島こじま祥弘よしひろ小島こじま恒久こうきゅうしのびて」